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日本史の大まかな流れ サイトマップ

 

日本史の流れを分かりやすく掴んで学びたい方用のサイトマップです。

 【日本史の大まかな流れ】

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近代日本の歴史

 

学校での近代史は学年の最後の方で習うことが多く、ついつい飛ばして学習したりすることが多いので、幕末~第二次大戦くらいまでの近代と呼ばれる時代の専用のカテゴリーを作り、近代史を深めてもらえればと思います。

 

近代史専門カテゴリー

戦国時代にドップリつかりたい方必見!

 

室町幕府の衰退から、大坂の陣までの戦国史の流れをわかりやすく紹介していきたいと思います。これまでは、信長⇒秀吉⇒家康を中心に書いてましたが、周りの大名の動向なども踏まえながら、戦国史にドップリつかってみましょう!!

※2018年10月14日 公開しました。一つ一つ増やしていくのでお楽しみに!!

 

大河ドラマ【麒麟がくる】関連記事

 

2020年1月19日から、NHK大河ドラマ【麒麟がくる】が始まりました。

そこで、ドラマ中に登場する人物や出来事に関連する記事をまとめてみました。

歴史をより深めることによって麒麟がくるをより面白くなると思っています。

 

 

 

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年表

 

時代出来事備考
旧石器氷河期真っただ中
旧石器時代から縄文時代への移行期旧石器時代との違い
縄文
温暖化により縄文海進が起こるアスファルトが使われていた?
・再度寒冷化
・生き残り戦略として中国大陸で発生した農耕を取り入れ始める
・稲作が本格的になり、貧富の差が拡大
・集落がやがてムラ、クニに発展
縄文→弥生文化の移行期について
弥生
・強力な支配者の誕生
邪馬台国の成立
・倭国大乱
卑弥呼と魏の関係性
古墳・大和政権の誕生
・古墳の誕生
・各地で有力者が生まれ、勢力争いが活発に(豪族の対立までの経緯
空白の4世紀
古墳が作られた理由
氏姓制度について
飛鳥時代仏教伝来を巡って豪族の中でも有力だった物部氏と蘇我氏が対立 → 蘇我氏が台頭

・中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我馬子・入鹿を暗殺し乙巳の変、政治体制を変えるために改新の詔を出す(大化改新)

・中大兄皇子が天智天皇として即位

・中臣鎌足が天智天皇から藤原氏の姓を賜る

・天智天皇崩御後、皇位継承をめぐる壬申の乱が勃発

■制度について
大化の改新後、政治体制が変化
四等官制
八色の姓
律令制度と国府について
土地制度について(初期荘園ができるまで)
律令制の交通制度

■遣唐使について
遣唐使と古代日本・中国の関係
遣唐使の派遣状況

■その他
遷都を繰り返した理由

奈良時代平城京に遷都(他の関連記事

藤原不比等(鎌足の次男)を中心に律令制度が確立

・不比等の息子達が藤原北家・南家・式家・京家の祖となる

藤原氏が天皇家との姻戚関係により地盤を築くように

・藤原氏と対抗勢力のイザコザが頻発
(藤原氏内部では式家⇒南家⇒式家と移り変わっていた)

・土地制度の変更

■藤原氏とのイザコザとは?
長屋王の変
・橘奈良麻呂の変
孝謙太上天皇による道鏡への寵愛と藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱■土地制度の変更について
班田収授法が崩壊し、三世一身法・墾田永年私財法が成立
・荘園が発達
平安平安京へ遷都

・少しずつ東北地方へまで行政支配が浸透

・譲位により政治のトップが天皇と上皇に。両者対立により「二所朝廷」と呼ばれる事態となる

摂関政治が始まる(藤原北家が本格的に台頭)

・子沢山の天皇がポツリぽつりと出てくるように

・地方では国司の役割が大きくなりはじめる

・不輸不入の権が拡大し、さらに荘園が発達
⇒ 国司と荘園領主の対立に
各地で紛争が発生
⇒ 武士(兵)となる者が現われはじめる

・藤原氏北家の地位が不動のものになる

藤原氏内部で摂関の地位を巡る争いが続くも、藤原道長・頼道親子の代で収まる

摂関政治が衰退し、院政が始まる

政治的混乱の末、武士が重用されはじめる

■二所朝廷となった結果とは?
薬子の変(平城太上天皇の変)
⇒・藤原氏の内部争いで式家が衰退。天皇の命を直接伝える蔵人頭が設置され、その地位に北家出身の人物がついた他、当初の律令制度と合わなくなっていた法制の整備を進めた

■清和天皇(在位858-876)の子孫が臣籍降下 ⇒ その子孫たちが武士の棟梁に(平氏・源氏など)

■北家の地位を確立するために行ったこととは??
菅原道真の追放
安和の変

災害が続いた時代でもあった

■東北での反乱・前九年の役後三年の役で源氏の地位が確立、東国での影響力を増やす

・皇位継承問題と摂関家の内紛が重なり、保元の乱が勃発、摂関家が大ダメージ

・保元の乱後に学者出身の信西が台頭。信西が軍事力を持つ平氏一門を優遇するように

・二条天皇親政派と後白河上皇派(共に反信西派)、信西派と反信西派さらに武力を持った武士勢力(平氏と源氏)が絡む平治の乱が勃発

・二条天皇親政派と後白河上皇派は双方共倒れ、平清盛が政治への影響力を拡大(信西は平治の乱で命を落としているため、平氏政権の様相を呈するように)させる

平清盛が目指したものとは?

平安から鎌倉へ

 

鎌倉
源平合戦で平氏が滅亡

・源頼朝が鎌倉に幕府を開く

・頼朝の血筋が途絶え、執権政治

・飢饉による情勢不安の末、頼朝以降の慣習などを明文化した御成敗式目が制定

元寇

・朝廷では二つの系統(大覚寺統/持明院統)から交互に天皇を輩出する両統迭立状態になる

イイクニからイイハコへ…

■頼朝の急死により若くして跡を継いだ頼家を補佐したのが有力御家人13人。

■有力御家人による合議制の中心にいたのが北条氏で、内部争いの末に完全に権力を掌握した

■元寇を機に権力がますます北条氏へ

→ 不満募る

→ 不満解消のために徳政令を出すも、徳政令の対象から外れていた層に不満募る

・力を失くした鎌倉幕府への反乱が度々起こっていた中で、後醍醐天皇が即位

・後醍醐天皇が倒幕運動開始。二度目で成功し、建武の新政が始まる → 3年で失敗

・後醍醐天皇側についていた足利尊氏が反乱。

足利尊氏らは両統迭立だった皇室の系統のうち、持明院統を正式な朝廷とした
室町
・足利尊氏らとの戦いに敗れた後醍醐天皇が自らの正当性を訴え、南朝を樹立。

南北朝時代の幕開けとなる。

・1338年、足利尊氏が征夷大将軍に任命される

・3代目将軍・足利義満の時代に全盛期を迎え、幕府の機構も整い始める

・幼年の将軍が続いて周囲の有力者に力が行くようになり、少しずつ幕府と守護との力関係が変化

鎌倉幕府と室町幕府の違い

■幕府の機構とは…

・京:将軍補佐の管領という職、京の治安維持のための四職などを置く

・地方:関東を統治する関東府など遠方の土地を支配する仕組みを整えた他、守護を置くようになった

■関東府の中にはトップの鎌倉公方・補佐の鎌倉公方が置かれるように鎌倉公方と関東管領の違い

室町幕府成立から滅亡

室町時代の歴代将軍について

・幕府と守護の力関係の変化の結果、将軍の跡継ぎ争いや有力家臣の家督継承争いが合わさって応仁の乱が起こる
戦国時代
桶狭間の戦い
本能寺の変
関ヶ原の戦い幕府と外様大名との関係
江戸
生類憐みの令制定
寛政の改革

天保の改革

開国と安政の大獄

大塩平八郎の乱に繋がった戦国時代の技術とは?
黒船来航
桜田門外の変と坂下門外の変
薩長同盟締結
王政復古の大号令
18~19世紀にアメリカ船が頻繁に来ていた理由

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※2020年6月3日更新

ABOUT ME
歴ブロ
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。