奈良時代

国際都市・平城京

 

先の飛鳥時代以降続いていた唐への使者を送り続けていた事からも分かるように、奈良時代は外国との行き来が多い時代とも言えます。

奈良時代の外交政策

有名なのは遣唐使ですが唐の都・長安まで行くにはかなりの距離があるので、実際に最も多くの使者を送っていたのは、新羅の人々となります。続いて朝鮮半島北部から中国東北部にかけてあった渤海の人々で互いに使者のやり取りをしていました。それ以外には天竺(インド)や林邑(ベトナム)からの僧侶も来ていたと言われています。

会話や意思疎通はどのように行われていたかと言うと、当時の国際語は英語ではなく中国語と考えられておりましたが、外交官たちはそれぞれ通訳を介して交渉がなされていたようです。

 

彼らのような海外から日本に来た人々の中には、国を代表とする使者、僧侶、商人がいたと言われています。

その中でも商人たちは主に福岡県の筑紫館(つくしのむろつみ)という役所で交易を行っていたので、平城京まで来ることはそこまでなかったようです。この筑紫館ですが、交易の場としての役割だけではなく平城京へ向かうルートの最初の地点としても存在していました。来日理由や荷物の検査等、今で言う税関のような役割もありました。

そうは言っても、これは福岡に近い朝鮮半島からの使者が主に適用されていたようですが。渤海からの使者たちは海流の関係もあって日本海沿岸にやってくることが多くありましたので、本来正式な窓口であるはずの筑紫館は通らずに、そのまま到着した場所の近くの役所へ滞在してから(正当な理由であれば)そのまま案内役と共に陸路で平城京へと向かったそうです。

来日してきた理由

では、どんな理由があって来日したのでしょうか?

その目的は様々で、当然、相手国との力関係や国際情勢などにより変わってきます。

また、使者自身が多くの品々を持ってきて交易を行う事もありました。そうした品々のやり取りをしていた証拠として正倉院には交易したモノの伝票が数多く残っています。貴族や上流階級の人々は競うように、それらの品々を買ったと言われています。

次に諸説ありますが、僧侶の目的を書いていきたいところですが、これだけで一記事かけそうなので、別の記事で鑑真を例に挙げながら書いていきたいと思います。

 

奈良時代に僧侶が増えた理由と鑑真の来日理由を調べてみる前回の記事に載せた、僧侶が来日した理由・・・特に今回は鑑真に焦点を当ててみようと思います。今回のテーマ「僧侶が増えた理由」にも鑑真の来日...
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歴ブロ
歴史好きが高じて、日本史・世界史を社会人になってから始めました。史実を調べるのも好きですが、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。いずれ歴史能力検定を受ける予定。どうぞよろしくお願いします。