絵で見てわかる?旧石器時代から縄文時代へどう移行していったのか??
今回は少々趣向を変えてイラストや写真を多用して流れを追って行きます。緩いのが苦手な方はご注意ください。若干、歴史の流れは想像力で補完してますのでご了承下さい。
後に日本列島となる場所に日本人になる人類が入ったと思われるのが約4~5万年前。
それ以前については石器を用いた形跡はあるものの『今現在の日本人』の直接の祖先かどうかは定かではありません。
絵で見る旧石器時代~縄文時代へ…
当時は非常に寒い時期でして、日本列島はまだ出来上がっておらず陸続きでした。そのため、衣服にも住居にも寒さ対策が随所に見られます。
なお、移住した理由は一般に言われているのが大型獣を追いかけてきて日本の地に留まる様になったというものです。
狩猟がメインでしたので、移住生活が常でした。そのために旧石器時代では軽くて持ち運びしやすいテント状の家に住んでいたと言われています。
出典:塾長の遺跡レポート第2弾!今度は、日本の旧石器時代の遺跡、岩宿遺跡に行ってきました! – 河原塾 西茨城校へようこそ!
ちなみに私はアメリカの先住民族の住居・ティピーにそっくりだと思ってます。
こちらがティピーです。ほぼ同じに見えますね。
現代のアジア人とアメリカ先住民の祖先は古代の中国人、DNA分析で判明 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
こんな記事もあったりするので、ひょっとすると日本に住んだことのある人たちが持ち込んだのかもしれません。
少々脱線しましたが…
寒くて獲物が大きかった(※ベルクマンの法則)ので
旧石器時代は大所帯で連携して生活していました。中央部に石器を作るスペースがあり、それを取り囲むようにしてテントを張ったと考えられています(もちろん地域によっては異なりますが)。旧石器時代のこの形状の集落(のようなもの)は 環状ブロック と呼ばれています。
ベルクマンの法則とは…
恒温動物において、生物は同じ種類であっても、寒い土地に生息する動物の方が温かい土地に生息する動物よりも体格が大きくなる。
3万年前を境に少しずつ温暖化が進んで大型獣が姿を消すことに。他にも旧石器時代の前半とは環境が大きく変わっていきます。
今までの武器で通用する訳はなく、石器がその獲物に合わせた武器に変化していきます。また、獲物が小さい中で大人数で狩りをすると食料の奪い合いにもなりかねないので以前のような環状ブロックも見られなくなったようです。
さらに最も変わった変化というのが縄文時代突入直前。
海面上昇によって旧石器時代の生活跡の多くが海底に沈んでいきます。今まで生活していた場所が海に沈んでいくなんて当時の人たちは相当な危機感を覚えていたことでしょう。
そのために彼らは大きく二つの対応で危機を乗り越えようとします(良いとこどりで危機を乗り越えようとした集団もあったそう)。
- 機能性を追求した道具を使用するグループ
- 実用的じゃない石斧や大型ヤリを作っていたグループ
機能性を追求したグループというのは想像しやすいかと思います。簡単に言ってしまえば『狙った獲物は逃さない』です。かなり画期的な武器なのが見ると分かります。
一方の石斧や大型ヤリは…というと、
ネットワークを重視したと考えられていますが、実際にはイマイチ分かっていないのが現状です。
個人的には
こんな感じで集団をまとめ上げるための道具として使用したり
物々交換、あるいは情報を手に入れるための手段として利用していたりしたのかな?と考えています。
集団をまとめ上げてどうにかしようとするのは危機に直面した時の常套手段ですし、暖かい地方にいた集団はひょっとすると落葉広葉樹で採れる食料事情に精通しているかもしれません。情報収集の手段に用いた可能性や細石刃を手に入れる為に物々交換していたのかもしれません。
この様な形で徐々に縄文時代へと近づきますが、ネットワーク重視型の社会は縄文時代にもそのまま受け繋がれていきます。縄文時代の船を使った交通網の広さは旧石器時代のネットワーク重視した集団の名残とも言えそうです。
ネットワーク重視+移住生活メインということは…
- 調理の際に使った焚火跡が固まるのを経験的に知っていた可能性が高い
- 粘土質の土地を知っていた可能性高い
- 情報伝達がされやすい状況だった
この辺の事情が後に縄文時代の土器使用に繋がったような気がします。
更新:2023/07/02