奴隷貿易とは何か?三角貿易とアフリカの変化をわかりやすく解説
「ヨーロッパが海へと乗り出した大航海時代から、世界のつながりが一気に広がった」。そんな話を歴史の授業で聞いたことがあるかもしれません。
けれど、その“つながり”の裏側には、華やかな功績とは違う影にもなりえる世界がありました。それが奴隷貿易です。
今回は、アフリカからアメリカへと人びとが運ばれた三角貿易の仕組みと背景・影響を掘り下げ、奴隷貿易の実態やアフリカ社会への影響をたどりながら、現代にも残るその影響を一緒に考えてみましょう。
大航海時代と“海を越えたつながり”
15世紀以降、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国は、アジアの香辛料や金銀を求めて海へと乗り出しました。
この「大航海時代」の流れについては下に紹介する『大航海時代とは?』の記事で詳しく紹介しています。
こうして開かれた世界は「商品」を地球規模で移動させる時代へと突入していきました。その中には“モノ”だけではなく“奴隷”という人間の商品までも含まれています。
三角貿易とは?仕組みを図で理解
奴隷貿易の中心となったのが、いわゆる「三角貿易」です。

おおまかな流れは以下の通り。
- ヨーロッパ → アフリカ
銃・布・酒などの工業製品が輸出される - アフリカ → アメリカ大陸
“奴隷”として売られた人々が移送される(中間航路) - アメリカ大陸 → ヨーロッパ
砂糖・綿花・タバコなどの商品が戻ってくる
中でもとくに残酷だったのが、②の“中間航路(ミドル・パッセージ)”と呼ばれるルート。
ぎゅうぎゅう詰めにされた船内、長い航海、逃げ場のない絶望。命を落とす人も少なくありませんでした。

アフリカ社会で奴隷貿易が成立した背景とは?
アフリカには当時、沿岸部に王国や部族社会が成立していました。武器や交易品と引き換えに、他の部族を襲って奴隷として売る勢力も現れます。
このようにして奴隷供給の“システム”が出来上がり、次第に次のような現象が起こっていきました。
- 内戦が激化し、社会が不安定化
- 若い労働力が奪われ、農村経済が崩壊
- 村や民族間の信頼が失われていく
表向きには「貿易」ですが、実態は人間社会を壊しながら進んでいく“略奪”のシステムだったのです。
奴隷たちが働かされたプランテーションとは?
アメリカ大陸に連れてこられた奴隷たちは、広大な農園=プランテーションで酷使されました。
主に生産されたのは、ヨーロッパで人気の高い「砂糖・綿花・タバコ」などです。
これらは莫大な利益を生み、奴隷制度とセットで新しい“商品経済”を作り出しました。
この流れについては以下の記事も参考になります。
研究によると、アフリカからアメリカへと運ばれた奴隷の数は15世紀〜19世紀の間で940万~1200万人以上とも言われていますが、航海の途中で亡くなった人々を含めると、被害者はそれ以上とされます。
現代の差別や格差にどうつながっているのか?
奴隷制度は19世紀に入って廃止されていきますが、その影響は今も残っています。
- アフリカの発展の遅れと不安定さ
- ヨーロッパの富の蓄積
- 黒人差別の構造化と文化的搾取
なぜこんな構造が長く続いたのか?その問いに答える鍵がウォーラーステインによる「近代世界システム論」にあります。
奴隷貿易や植民地支配を「世界経済の中での搾取構造」として読み解きました。この考え方を「近代世界システム」と呼んでいます。
影響力のある大国による搾取システムを長年続けたことで歪みが残り続けたのです。
まとめ
今回、まとめたのは
- 奴隷貿易は三角貿易の中で成立し、人間を“商品”として扱った
- アフリカ社会は分断と混乱に苦しみ、被害が深刻化した
- プランテーションや世界経済の発展の裏に、搾取の構造があった
- 現代社会に残る差別や格差にも、歴史的背景がある
といった内容になります。
「歴史」とは、単なる年号の暗記ではありません。
このような“見えない歴史”を学ぶことで、今ある世界の仕組みや自分が生きる社会への目の向け方が少し変わってくるかもしれません。