世界史

【図解でわかる!】奴隷貿易と近代世界システム【誰が得をして、誰が搾取されたのか?】

歴ブロ

15世紀半ば以降に大航海時代が始まり、世界は大きく動き始めました。

大航海時代といえばロマンやヨーロッパの発展として語られることが多い一方で、「富を生むための巨大なシステム」=近代世界システムが誕生し、いびつな関係性ができ始めるきっかけになったことでも知られています。

今回は奴隷貿易とこの世界システムがどのように結びつき、誰が得をし、誰が苦しんだのかを図解とともに解説します。

れきぶろ
れきぶろ

この記事は山川出版の『詳説世界史研究』を基に書いているので『近代世界システム』って言葉を使ってるけど、もともとはアメリカの社会学者ウォーラーステインが提唱した学説を指した言葉だよ。

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「近代世界システム」ってなに?

「近代世界システム」とは、世界を各国単位でみるのではなく、もっと広範な視点から経済面や国際関係、歴史をみようという理論のことです。世界中の地域が経済的に結びつきながら、一部の地域(中心)が利益を独占し、他の地域(周辺)を搾取する構造が15~16世紀ごろから出来上がったとされています。

近代世界システムのイメージ

※さらに近代世界システムの外部にある国や地域は外延部と呼ばれています

この仕組みは、貿易だけでなく人・土地・制度すべてを巻き込んだ「世界の格差装置」でもありました。

16世紀ごろから、ヨーロッパを中心に“中核”が“周辺”を搾取して格差が広がり、間に“半周辺”という立場の地域も形成されていきます。

「中核」地域を担った国はどこだったの?

16世紀、近代世界システムが始まった当初は

  • スペインアメリカ大陸
     銀・金を独占し、大規模なプランテーション経済を展開
  • ポルトガルブラジル・インド洋交易網を支配
     香辛料・奴隷貿易に関与

といった国々が中核をなしていました。

しかし、やがてカトリックの盟主を自認するスペインは宗教改革の波に直面します(ポルトガルは世界進出が行き過ぎて人口減少、かつスペインに王女が嫁ぎ息子のフェリペ2世が国王になったためスペインと同君連合を結んでいた)

スペインはプロテスタント勢力の台頭に対抗すべく、エリザベス1世治世下のイングランドやオランダと衝突。英西戦争やオランダ独立戦争などの戦争が続く中で財政はひっ迫し、しだいに海外市場も両国に奪われて半周辺地域になっていきました。

一方、イギリス・オランダ、さらに両国に遅れながらフランスも中核国へ台頭します。

フランスは国内で起こった宗教戦争(ユグノー戦争)を経てブルボン朝が政権を安定させると、コルベール重商主義政策によって国家が豊かになり、中核国の地位を確立していったのです。

  • イギリス北アメリカ東部の13植民地カリブ海地域に進出。
     アメリカではタバコ・綿花・砂糖などを生産し、本国へ輸出。
     インドとの東インド会社貿易も盛んになり、アジアにも影響を拡大。
  • オランダ東南アジア香辛料貿易を支配。
    特にジャワ島・モルッカ諸島
    (香料諸島)で優位に立ち、バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点に交易網を構築。
    17世紀にはアムステルダムが“世界の商業中心地”となった。
  • フランスカナダ(ヌーベル・フランス)やルイジアナ周辺に植民地を展開。
    毛皮や木材を中心に、現地先住民との交易を行った。
    またカリブ海地域では砂糖プランテーション奴隷貿易にも関与。

三角貿易はこの“格差システム”の起点だった

上記のような近代世界システムには人手が不可欠でした。中核にあたる地域では「奴隷労働で安価な原材料を生産しよう」という方向に向かっていきます。

こうして中南米などで資源や作物を生産するためにアフリカから奴隷が送り込まれ、人間が商品として売買されるようになったのです。

16世紀以降、三角貿易はこの近代世界システムの心臓部として動き出していきます。

三角貿易の流れ

  1. ヨーロッパ → アフリカ:鉄砲・布・酒などの工業製品
  2. アフリカ → アメリカ:黒人奴隷
  3. アメリカ → ヨーロッパ:砂糖・綿花・タバコ、コーヒーなどの農産物

このサイクルによって、労働者(奴隷)・資源(農作物)・富(貿易利潤)がすべてヨーロッパに集中しました。

アフリカとアメリカが「周辺化」される仕組み

『奴隷船の内部』ヨハン・モーリッツ・ルゲンダスより

三角貿易はアフリカとアメリカを“周辺”地域として機能させるために次のような現象を引き起こします。

アフリカ社会の周辺化
  • 若年男性の喪失 → 村落の崩壊
  • 鉄砲を得た部族による内戦・奴隷狩り
  • ヨーロッパ製品への依存と伝統産業の衰退
アメリカ社会の周辺化
  • プランテーション(砂糖・綿花)での過酷労働
  • 白人富裕層による土地・資本の独占
  • 黒人奴隷の人間性を奪う法制度の整備(奴隷法)

この“周辺化”があってこそ、ヨーロッパは産業革命へと向かう「資本の蓄積」に成功するのです。

ヨーロッパはどうして“中心”になれたのか?

ヨーロッパが中心になれた理由は「世界中から搾取して利益を集中させる構造をつくった」から。

  • 三角貿易で富を得る
  • 奴隷労働で安価な原材料を得る
  • それを使って工業製品を作り、再び売りさばく

この循環が続くことでヨーロッパの富裕層は「世界を消費する社会」をつくり、19世紀の植民地主義へとつながっていったのです。

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ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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