ヨーロッパのアメリカ進出<16~18世紀>
大航海時代以降、大西洋を西に進む航路とともに見つけた新大陸。ヨーロッパにとって新たな発見となった新大陸はポルトガル領のブラジルを除いてラテンアメリカの大半をスペインが植民地化していました。
が、その後の力関係の変化、ヨーロッパの諸事情でアメリカにおける植民地争奪戦が広がることになります。
今回は、アメリカ進出に伴う植民地争奪戦についてまとめていきます。
奴隷貿易開始
新大陸でのスペインは征服と植民地開発のために多くの人手を必要としていました。そこで現地の先住民と黒人奴隷を働かせて鉱山開発に努めて金銀を独占します。
スペインによる植民地支配の過酷さは『大航海時代とは?』に載っているので、よかったらご覧ください。
黒人奴隷たちはアフリカから連れてこられています。
アフリカでは西欧が進出する以前のアッバース朝成立以降、ムスリム商人によって黒人奴隷が貿易の対象とされていたようで、インド洋貿易の一環として行われていました。
ところが、アフリカ西海岸が大航海時代以降にポルトガル人と接触し、スペインが新大陸で人手を必要としてからは、新しい大西洋ルートでムスリム商人以上の規模で奴隷貿易が始まりました。
アメリカで奴隷たちが使役されていた場所とは
スペインで植民地支配が行われた当初は現地の先住民を労働力としていましたが、歴史上アメリカで流行したことのない新たな伝染病が持ち込まれたことで先住民たちの人口が激減。
先住民がいなくなったことによる労働力不足を補うためにアフリカの黒人を奴隷貿易で輸入し使役するようになっています。
アメリカ大陸で見つかった鉱山開発や西インド諸島でのサトウキビ・タバコ・綿花などのプランテーション経営で必要な労働力として使役されました。
なかでも鉱山開発でスペインは莫大な財を築き、金銀を独占しています。
アメリカの宗主国、スペインから他の国へ
そんなスペインでしたが、16世紀初期から始まった宗教改革の波を受けてスペイン内部では経済の要となる地域でオランダ独立戦争(1568~1609年)がはじまったことで状況が変わっていきました。
オランダ独立戦争が始まる頃、当時のイギリス女王エリザベス1世が海外に目を向け始めており、スペインと対立関係になったことでオランダを支援。その過程などでスペインの独占的な地位が崩れています。
なお、中南米や北アメリカ東海岸はスペイン(ブラジルはポルトガル)が長らく植民地を維持し続けたようです。
オランダとアメリカの関係
オランダは独立戦争で実質的な独立を手に入れると、1621年にオランダ西インド会社を設立しました。
西インド会社は南北アメリカとの貿易を行う特権を持つ会社です。
南北アメリカはスペインや当時スペインと同君連合だったポルトガルの植民地がほとんどだったのでオランダ西インド会社と商圏がまるかぶりでした。
しかも、この時はあくまでオランダの独立は「オランダとスペインの間でのみの」実質的な独立にすぎず、国際的には認められていませんでした。スペインとオランダは休戦状態のままで仲は険悪なまま。
そこで、オランダは(スペインと同君連合の)ポルトガルの船を攻撃し、ブラジルの一部を一時的に植民地にしています。
この後のオランダもスペインと同様、労働力の不足を補うために必要な奴隷を輸入。ここでも奴隷貿易を行いました。
さらに1624年には北アメリカ東岸にニューネーデルラント植民地を開き、本国から30家族が移民として定住。その中心都市にニューアムステルダムを建設しました。
オランダとイギリスの対立
以上のように、オランダが着々とアメリカ大陸での拠点を築いている中、かつて対スペインでオランダと協力関係にあったイギリスが敵対しはじめます。
もともとイギリスは海外進出に邪魔だからスペインを追いやろうとしたわけで、オランダがスペインの地位についてしまっては元も子もありません。
オランダはアメリカに限らず世界をまたにかけて取引を行っており、1623年にはイギリスと東南アジアでトラブル(アンボイナ事件)を起こしてイギリスを東南アジア市場から追い出す事件を起こしています。
イギリスはアンボイナ事件をきっかけにインド経営に乗り出し、後々インドが植民地経営の利益の中心となるほど発展しています。
そんな中でイギリス本国ではイギリス革命が発生。
クロムウェルら革命政権による重商主義政策の一環で「イギリスとその植民地への輸入品はイギリスか原産国の船で輸送しければならない」というオランダをピンポイントで潰そうとする法律・航海法を定めて3度の戦争【イギリス=オランダ(英蘭)戦争】に発展させています。
イギリスのアメリカ進出
イギリスのアメリカ進出は、オランダと対立姿勢に入る前から始まっています。
- ヴァージニア植民地:1607年
- マサチューセッツ湾植民地:1620年
- ニューハンプシャー植民地:1623年
そうした動きに加えて、オランダとの関係がきな臭くなる情勢でイギリスが
かつてジョン・カボット(1450-98年)が探検した地域はイギリス領だ
と主張、軍艦を送ってニューネーデルラントを奪取しています。
これが理由で第二次英蘭戦争が発生し、イギリスは敗戦したものの南米のスリナムと交換してニューアムステルダムはイギリスが獲得。ニューヨークとして発展していくことになりました。
なお、ニューヨークの『ヨーク』とはイギリス国王チャールズ2世の弟ヨーク公(後のジェームズ2世)が由来です。
イギリスは、その後もコネチカット(1636年)やロードアイランド(1636年)、メーン(マサチューセッツ湾植民地の一部)、バーモント(フランスと長らく抗争していた)などニューイングランドと呼ばれる地域に入植を進めていきました。
18世紀前半までには13植民地をアメリカに築き上げています。
フランスのアメリカ進出
最後に紹介するのはフランスです。フランスの場合、最初に北アメリカの拠点を作ったのはカナダでした。ケベック植民地を建設しています。
16世紀前半にフランソワ1世の命によりカルティエがカナダ北西部を探検したことからはじまります。
この頃のフランソワ1世はハプスブルク家のカルロス1世(カール5世)と真っ向から対抗している真っ最中でした。当時のスペインはアメリカ大陸の植民地化をほぼ独占していた時期でもあります。
そんな理由もあって積極的にアメリカ大陸に進出しようとしていたんですね。こうしてフランス領カナダの獲得がはじまっていきます。
この後もフランスの重商主義と海外進出が続き
- ケベック植民地:17世紀初頭/アンリ4世治世下
フランスの地理学者・探検家のシャンプランが基礎を築き、シャンプラン死後の1640年代からはモントリオールが建設開始。 - グアドループ:17世紀前半/ルイ13世治世下
カリブ海の西インド諸島の一角をなす島嶼群で現在もフランスの海外県。 - マルティニク:17世紀前半/ルイ14世治世下
カリブ海の西インド諸島の一角をなす島嶼群で現在もフランスの海外県。 - サン=ドマング(現ハイチ):17世紀前半/ルイ14世
- フランス領ルイジアナ:17世紀後半/ルイ14世治世下
フランス人探検家ラ・サールがミシシッピ川流域を探検し、フランス領に。
など、ケベックやルイジアナといった北アメリカ大陸の地域だけでなくカリブ海に浮かぶ西インド諸島でいくつかの植民地を獲得し、黒人奴隷制によるサトウキビのプランテーション経営で発展しました。
植民地戦争
ここまでで紹介してきたアメリカ大陸進出で出てきた4国、スペイン・オランダ・イギリス・フランス。
そのうち、
- スペイン
英蘭の協力体制により少しずつ衰退 - オランダ
英仏のような強力な指導者がいないまま相次ぐ戦争/人気商品の移り変わり/賃金高騰で国際競争力低下
の理由でイギリスやフランスが植民地争いの二強として残ることになりました。
一方で、ヨーロッパ本国では寒冷化し、経済停滞・ペストの流行など17世紀の危機と呼ばれる時代に入ります。この時にパワーバランスが崩れたことで、17世紀どころか18世紀に入るまで戦争続きになりました。
ファルツ(アウクスブルク同盟)戦争(1688-97年)、スペイン継承戦争(1701-14年)、オーストリア継承戦争(1740-48年)、七年戦争(1756-63年)では植民地にも飛び火し、第二次百年戦争と呼ばれる戦争に発展しています。
それぞれ
- ファルツ戦争 → ウィリアム王戦争
- スペイン継承戦争 → アン女王戦争
- オーストリア継承戦争 → ジョージ王戦争
- 七年戦争 → フレンチ=インディアン戦争
と連動してアメリカの植民地争いが繰り返されています。
植民地戦争の結果
ということで4つの戦争の結果をまとめてありますが、条約に関してはアメリカに関する部分だけ記載しておきます。
戦争名 | 条約 | 内容 |
---|---|---|
ファルツ戦争/ ウィリアム王戦争 | レイスワイク条約 (1697年) | |
スペイン継承戦争/ アン女王戦争 | ユトレヒト条約 (1713年) | イギリスがフランスから ・北アメリカのニューファンドランド島 ・ハドソン湾地方などを獲得 ・アフリカ黒人奴隷専売権(アシエント)を獲得 |
オーストリア継承戦争/ ジョージ王戦争 | アーヘンの和約 (1748年) | |
七年戦争/ フレンチ=インディアン戦争 | パリ条約 (1763年) | イギリスがフランスから ・カナダ ・ミシシッピ川以東のルイジアナ ・フロリダ ・西インド諸島の一部 ・奴隷交易の拠点、アフリカ西海岸のセネガルを獲得 スペインがフランスから ・ミシシッピ川以西のルイジアナを獲得 |
ということで、フランスがアメリカ大陸で植民地を全て失うこととなり、アメリカでの植民地戦争はイギリス勝利で幕を閉じました。
広大な領地を手に入れたイギリスは、経済発展に必要な条件を確保することになり、この後の産業革命が順調に展開する素地を作ることとなったのです。