南北アメリカ

マヤ文明とアステカ文明【南北アメリカ文明】

南北アメリカ大陸の地理的特性を学んだところで、今回はいよいよ南北アメリカ文明に入ります。

アメリカ大陸に栄えた国といえばアステカ王国やインカ帝国が有名ですが、それ以前から栄えていた文明についても簡単にまとめていこうと思います。

古代アメリカ文明の流れ

現在のメキシコ中央・南東部、グアテマラなどの中央アメリカの一部に成立した高度な文明をメソアメリカ文明と呼び、南アメリカの文明とは区別していました。

メソアメリカでもメキシコ湾岸で起こった文明とユカタン半島で起こった文明は異なっています。

古代アメリカ文明

南アメリカではアンデス山脈に沿った地域でチャビン文化が成立して以降、様々な王国が現れ最終的には広大なインカ帝国が成立することとなります。

※年表ではチャピンとなっていますが、チャビン文化が正しいです

 

メキシコ湾岸に起こった文明とは?

メキシコ湾岸を中心とした地域には紀元前2000年にオルメカ文化と呼ばれる宗教色の強い文化が成立していました。紀元前500年頃にオルメカ文化は衰退し始めますが、この文化の影響は大きく、メキシコ一帯にその遺産が引き継がれています。

その後、メキシコ中央高原の東北部にテオティワカン文明が起こりはじめ、太陽と月のピラミッドをはじめとした多数の建造物が作られるようになりました。

テオティワカン(wikipedia)
「月のピラミッド」から望む「死者の大通り」と「太陽のピラミッド」より

人口も増え、5世紀ごろには数万〜十数万人もの人々が暮らしていたと言われています。が、そこまで栄えたにもかかわらず8世紀の半ばに突如衰退するも、今でも原因は分かっていません。

 

次に栄えたのがトルテカ文明(7世紀〜12世紀ごろ)

この文明について詳細はわかっておらず、担い手についてもメキシコ西部に住んでいた「ユト・アステカ語族説」や「テオティワカンに住んでいた一部の集団による説」などはっきりしていません。

トゥーラ・シココティトラン(wikipedia)より

テオティワカンが衰退した後にメキシコ高原に建設された都市「トゥーラ」を作り上げた文明として知られています。

写真のトゥーラ・シココティトランと呼ばれる遺跡はトルテカ帝国の首都だったという伝承が残っているようです。

 

その後、メキシコ高原に誕生した16世紀に全盛期を迎えるアステカ王国は、14世紀ごろにメキシコ高原の北方から移住したアステカ人によりトルテカ文明を継承して作られたとされています。

テスココ湖の浮洲の上にテノチティトラン(現在のメキシコ=シティを建設し、優れた軍事組織を通じてメキシコの広い領域を支配することとなりました。

テノチティトラン(wikipedia)より『市内の想像図』

湖上の浮洲ということもあって水が非常に豊富な都市で、テノチティトランには多くの水路と橋が築かれていました。この都市の交通手段は徒歩かカヌーだったようで、人口は20〜30万人もの人々が暮らしていたと言われています。

アステカ王国の発展に伴ってメソアメリカ最大の発展した都市となり、交易範囲もメキシコ湾沿岸、太平洋沿岸、インカ帝国と広範囲に及びました。

なお、アステカ文明もピラミッド状の神殿や絵文字が使われています。

 

マヤ文明とは?

メソアメリカでオルメカ文明やテオティワカン文明が衰退し、アステカ王国が作られていた最中、ユカタン半島で繁栄を築いていたのがマヤ文明です。この文明は2000年以上にわたって長らく栄えています。

マヤ文明(wikipedia)より 『ティカル2号神殿』

マヤ文明が起こる兆しは紀元前1000年には始まっていたとされ、4〜9または10世紀頃に全盛期を迎えました。

ティカル・コバン・パレンケなどに祭祀センターが作られ、ピラミッド上の建築物も作られた他、0の概念も取り入れた二十進法による数の表記法や計算、精密な暦法、マヤ文字など独自の文明を発達させています。

そうした中でも10世紀後半には祭祀センターが急速に衰退。10世紀末〜12世紀にはユカタン半島北部でチチェン=イッツァ・マヤパン・イシュマルの都市同盟による新帝国が栄えるようになりました。

同じマヤ文明と言っても文明の中心は時代ごとに異なり、細かく時代区分も分けられています。

 

インカ帝国

チャビン文化から始まったアンデス地域で、スペイン植民地以前にできた最大の帝国がインカ帝国です。その領域は現在のコロンビア南部からチリに及び、クスコを首都としています。

アンデス山脈のような険しい山岳地帯で起こった文明だけに、空中都市とも呼ばれるマチュ=ピチュの遺跡を見て分かる通り石造建築の技術に優れていました(紀元前から続くチャビン文化・ナスカ文化などでも同様の傾向があります)

石積みされた石壁の隙間にはナイフの刃すら入らず、地震にも強いと言われています。

マチュ・ピチュ(wikipedia)より

インカ皇帝は太陽神とされ太陽信仰のための神殿や宮殿が建てられ、キープ(結縄)と呼ばれる縄の結び目の位置や数・色によって数量や事件などの記録を行う独自の文明を築き上げました。

また、インカ帝国の特徴として金や銀の鋳造も行われ種々の技術を駆使した金属細工が作られた一方で、アジアなどでは割と早い段階で使われていた青銅器は祭祀用に使われる程度で鉄器も知られていなかったことが挙げられます。車輪や馬も使われていなかったようです。

というわけで鉄器や青銅器を生産具として使用することはせず、農業技術は他の地域における新石器時代の生産技術の上に成り立っていたようです。ジャガイモなどの根茎類を主食用に栽培、リャマやアルパカを家畜として用いていました。

歴ぶろ
歴ぶろ

ジャガイモは家庭菜園の初心者にオススメの作物としても知られているので、農業技術をそこまで必要としていなかったのかもしれませんね

 

こうした南北アメリカで築き上げられた文明の数々もヨーロッパが大航海時代を迎えてスペイン人が入植したことで滅亡することとなったのでした。

 

ちなみに...

インカ帝国で金銀の鋳造が行われていたことから分かるように、インカ帝国の支配下には金や銀の鉱山がありました(ただし金は1500年代には激減していたと言います)

後にスペインによる征服後にも中南米で銀山が見つかり、ヨーロッパへと銀が大量に流入。銀価格は大幅に下落し、物価は急激に高騰すると大インフレに見舞われることになります(価格革命)

最も銀が流入したスペインでは賃金がヨーロッパで最も高くなり、スペイン産の毛織物などの製品は国際競争力を失ったほか、オランダの独立戦争なんかも重なってスペインは衰退することとなるのでした。

大航海時代のキッカケになった出来事 タイトルは思いっきり世界史ですが、18~19世紀に外国船が頻繁にやってきたことに繋がる出来事でもあります。その度重なる外国船来航によ...
ABOUT ME
歴ブロ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。