平安時代の災害史と年表
平安時代は災害の多い時代で、その災害が政治にも大きく影響しました。
どれだけの災害がいつ頃あったのかを知ることで、『怨霊が信じられた背景やそれに伴う幾度かの天皇の譲位、庶民が税から何故逃れようとしたのか??』少しは近づけるのではないかなと思います。もちろん災害が理由の全てではありませんが。
そんな理由から今回は年表を作っていこうと思います。
平安時代の災害年表
平安時代に突入した桓武朝の災害から見ていきましょう。
四角で囲んだ部分は天災によって引き起こされたと思われる事柄や災害対策、その天皇朝の際に起きた大きな事件などについて書いています。
■桓武天皇朝【781-806】
- 788年 霧島山(宮崎と鹿児島県境付近)の噴火
- 790年 京・畿内で天然痘流行
- 792年 高知で大洪水
- 794年 高知で大洪水
- 798年 香川で旱魃
- 799年 香川と愛媛で長雨
- 800年 富士山の噴火
784年に平城京から長岡京へ遷都。その一月前に平城京中に盗賊が続発したそう。794年には長岡京から平安京へ遷都。その理由は度重なる洪水とも桓武天皇の弟・早良親王の祟り(身近な人が次々と亡くなったことから)とも言われている。
蝦夷討伐を本格的に行っていた時代でもある。
■平城天皇朝【806-809】
- 802年 徳島で風水害
- 805年 徳島で地震・津波
- 806年 磐梯山(福島県)の水蒸気噴火(何月に噴火したかは不明)
- 807年 秋田焼山噴火か?
夫のある藤原薬子を寵愛。平城天皇自身が病弱だったこともあって即位3年で譲位。
■嵯峨天皇朝【809-823】
- 809年 香川で旱魃
- 810~823年 鳥海山(秋田・山形)で水蒸気噴火
- 810~824年 京で防鴨河所と防葛野河所を設置(治水に関する役所)と推定
- 817年 香川で大干ばつ
- 818年 香川で洪水
- 同年8月 北関東一帯でM7.0-8.0の地震(=弘仁の大地震)
- 819年 西日本の広い範囲で干ばつ
- 820年 凶作か?
↑ 同年5月に「国司・郡司に行路病者を収容し、正税を用いて加療させる」
との記載あり(日本史年表より)
810年に薬子の変←藤原氏や皇族の間の勢力争い。 819年に畿内の富豪の貯財を調査、困窮者に貸し出し。
■淳和天皇【823-833】
- 826か827年 富士山噴火か?(詳細不明)
- 827年8月 京でM6.5-7.0の地震(余震が翌年の6月まで)
- 830年 鳥海山(秋田・山形)で水蒸気噴火。泥流も発生。
- 同年 秋田でM7.0-7.5の地震
827年、京中の空閑地・荒廃地を払い下げた。
■仁明天皇【833-850】
- 837年 鳴子山(宮城)で水蒸気噴火
- 838年 伊豆大島で中規模噴火
- 838~886年 伊豆大島で大規模マグマ噴火と水蒸気噴火
- 841年 長野で2月13日以前に地震
- 同年 伊豆で5月3日以前に地震
- 848年8月 大洪水により京・畿内で河陽橋・宇治橋・茨田堤が損壊
- 850年 秋田でM7.0の地震(月日不明)
上の災害とは別に9世紀初めから中頃にかけて、陸奥・出羽国(現東北地方)では飢饉・長雨・疫病が頻発していたと言います。(東北平定で800年代の飢饉などの回数が載った表もあるので確認して下さい)。
842年、承和の変。藤原氏による初の他氏排斥事件。
伴氏と橘氏、藤原式家の打撃が大きく、仁明天皇の子・文徳天皇が跡を継ぐことに。
■文徳天皇【850-858】
- 852年 香川で旱魃
- 853年 京・畿内・畿外で天然痘流行
- 854年 陸奥の農民、凶作により困窮
- 856年 京でM6.0-6.5の地震発生
- 858年5月 京で洪水
852年、諸国の国司・郡司に池堰を修築し、農業を催勧。
854年、陸奥の兵士が逃亡、兵1000人を出して鎮める。
857年、京で群盗を捜補。
858年5月に穀倉院等の米殻・塩を京の窮民に与える。
池堰はため池の事で雨が少ない近畿・山陽・四国地方の瀬戸内海側でよく作られています。
857年には京で盗賊ではなく“群盗”が発生していることに注目です。
これまでの京でも盗賊の発生はありましたし、857年以前の災害後にも恐らくは盗賊達が出てきたことでしょう。ところが、857年以前の盗賊発生について主要な書物にその事実はそこまで言及されていなかったと考えられるのです。
もちろん探し方が足りないだけかもしれません。ですが、少なくとも日本史年表に書かれた盗賊の発生は平安初期から857年までの間だと837年の盗賊発生の記載しか見当たりません
度重なる災害と政治の腐敗でこのくらいの時期から徐々に朝廷の求心力が低下したのでは?とも推測できます。
■清和天皇【858-876】
- 859~877年 全国的に洪水・干ばつ・大風・疫病が多発
- 860年 京で地震・冷害・雪害 (京都歴史災害研究より)
- 861年 高知で大洪水
- 863年 春 京・畿内で咳病(インフルエンザ)流行
- 同年7月 越中・越後(富山・新潟)で地震、山崩れなど
- 864年5月~ 富士山大規模噴火
- 同年11月 阿蘇山(熊本)の噴火
- 866年 西日本で旱魃・風水害・洪水
- 867年 阿蘇山(熊本)噴火
- 同年 鶴見岳・伽藍岳(大分)の水蒸気噴火
- 868年 播磨・山城(兵庫・京都)で地震
- 869年 M8.3の貞観地震(三陸沖)。津波も発生。
- 870年 富士山の噴火??
- 871年 鳥海山(秋田・山形)の中規模な水蒸気噴火➡マグマ噴火へ
- 同年8月 京で洪水(鴨川が氾濫したか?)
- 874年3月 開聞岳(鹿児島)で大規模噴火、泥流あり
- 同年8月 京都で暴風雨
- 875年 富士山で噴気
861年3月、陸奥・出羽から国外に馬を出すこと禁止。11月、武蔵国の群ごとに検非違使。
862年5月、山陽道・南海道諸国などに海賊追補命じる。
865年7月、山陽道・南海道諸国などに海賊追補命じる。
866年4月、海賊を追捕しない国司を罰する。7月、尾張・美濃(愛知西部・岐阜南部)の郡司、広野河口開削を巡って闘乱。9月、応天門の変(藤原氏による他氏排斥事件、伴氏が没落)。 867年3月、海賊追補のために5家につき保長1人、要路に偵邏(ていら・見張りの様なもの)置く。11月、伊予国宮崎村に海賊追補命じる。
清和天皇の時代になると瀬戸内海で海賊が頻発しています。この海賊行為が始まった理由は過酷な取り締まりを行う国司への反発という意味もありました。861年の3月にあった「馬を出すこと禁止」令はやはり東北の不満を外に出さないようにするための処置ですね。
そのうち東北にいた蝦夷や朝廷に帰順した蝦夷・俘囚について記事を書く予定でいます。蝦夷は馬と非常に密接な関係があったようです。
まとめ
全体を通して見てみると、東北と瀬戸内海、九州の自然災害が目立ちます。平安初期には東北の火山噴火が頻発し、瀬戸内海は一時期落ち着いてはいますが基本的には干ばつや洪水。これは温暖化の影響が大きいと思われます。更には九州での噴火です。地震も9世紀には活動期に入っているのが分かります。
wikimipediaを見ると9世紀にいかに地震多いことがわかりますので調べてみてください。
これらの自然災害の他に火災も災害に含まれますが、京だけでもかなりの数になるので省略させていただいてます。
火災については失火もさることながら、勢力争いによるものもあったようです。