【歴史の裏話】ナポレオンにまつわる意外すぎるエピソード5選

皇帝ナポレオン・ボナパルトと聞くと、戦争に勝ち続けた天才軍略家という印象が強いかもしれません。でも、そんな偉人にも思わずクスッと笑ってしまうようなエピソードがたくさんあります。
今回は、あまり知られていないナポレオンの素顔に迫るエピソードを5つ紹介します。
壮絶スピード卒業!わずか11ヶ月で士官学校を修了
普通なら4年かかるパリの陸軍士官学校を、ナポレオンはたった11ヶ月で卒業。これは当時としても異例中の異例です。
もちろん優秀だったから…というのもありますが、実は家庭の経済状況が苦しくなったことが背景にあったとも言われています。父親が亡くなり、早く働く必要があったという現実的な理由も。
早く現場に出たいという思いが、結果的に「史上最短卒業」という記録を残すことに繋がったのかもしれません。
コーヒーで人脈と集中力をゲット!
ナポレオンはコーヒーが大好きで「飲みすぎて胃を壊した。」なんて話もあるほどです。
当時のカフェは今と違って情報交換や議論の場。ナポレオンはカフェで多くの政治家や軍人と交流を深め、そこから影響力を高めていったとも言われています。
軍隊にもコーヒーを導入し、眠気覚ましや集中力アップに活用していたとか。ちなみに、コーヒー代が足りなかった時、帽子を置いて帰ったというユーモアたっぷりの逸話も残っています。
トレードマーク「二角帽」の秘密

歴史の肖像画でよく見る、ナポレオンの横にかぶった帽子。これは二角帽(バイコーン)と呼ばれ、当時は海軍や陸軍で使われていたものです。
ナポレオンは、正面から見たときに自分の顔が強調されるよう、通常とは違う角度(横向き)でかぶっていたのだとか。
彼は常に12個の帽子を持ち歩き、トータルでは100個以上を所有していたそうです。2023年には実際に使われた帽子がオークションに出され、なんと3億円超えで落札されました!
食のイノベーター?缶詰の原点を作らせた男
遠征先での食料確保は、ナポレオンにとって大きな課題でした。
彼は「食べ物を長期間保存できる方法を考案した者に報奨金を出す」と公募。これに応えたのが、瓶詰の加熱殺菌による保存方法でした。
この技術により、兵士たちは栄養豊富で保存性の高い食料を手にでき、戦意を維持するうえでも大きな意味があったといいます。この発明が、後の缶詰技術に繋がっていきます。
恥ずかしいラブレターが新聞に…
ナポレオンは最初の妻ジョセフィーヌにかなり夢中でした。しかし、彼女は自由奔放で、結婚後も愛人との関係が続いていたようです。
エジプト遠征中にそれを知ったナポレオンは、兄へ悲しみを綴った手紙を送ります。しかし不運なことに、その手紙を積んだ船がイギリスに拿捕されてしまい、なんとその手紙は英訳付きで新聞に掲載されてしまったのです。
この一件はヨーロッパ中で話題に。最終的にナポレオンはジョセフィーヌと離婚し、ハプスブルク家の皇女と再婚しますが、ジョセフィーヌは兵士たちから「勝利の女神」とまで呼ばれていたため、離婚を惜しむ声も多かったといいます。
おまけ:ナポレオンは実は平均身長だった!
「ナポレオン=低身長」というイメージは強いですが、実際は167cmほどあり、当時のフランス人男性の平均身長と大差ありません。
ではなぜ小柄と言われたのか?
それは【側近に背の高い軍人を多く従えていたから】という説が有力です。また、敵国イギリスが風刺画で彼を小さく描いたことも影響しているようです。
ナポレオンというと、征服者や天才軍人というイメージが先行しますが、こうした人間味あるエピソードを知ると、ぐっと親しみが湧いてきませんか?
歴史の裏側にはいつも人間くさい物語が隠れているもの。ナポレオンもまた、その例外ではなかったのです。