国民党とは?孫文・蒋介石から北伐、国共合作まで一気に整理
国民党(中国国民党)は、清朝を倒した辛亥革命(1911年)後の中国で、統一国家の建設を目指した政治勢力です。中心人物となったのは孫文。のちに蒋介石が主導し、北伐によって全国統一を進め、南京国民政府を成立させました。
一方で、国民党は中国共産党と協力(国共合作)した時期もあれば、対立して内戦へ進んだ時期もあります。
孫文と三民主義 ― 国民党の出発点

国民党の思想的出発点は、孫文の三民主義です。
- 民族主義:列強の干渉を排し、民族の自立を目指す
- 民権主義:共和政治の確立
- 民生主義:国民生活の安定
1911年の辛亥革命で清朝は倒れますが、中国はすぐには安定しませんでした。各地で軍閥が割拠し、統一国家とは言えない状態が続きます。

Wikimedia Commons(Rowanwindwhistler), CC BY-SA 3.0(日本語訳あり)
ここで国民党の課題は「軍閥を倒し、全国を統一すること」と明確になりました。
ソ連接近と第一次国共合作
統一のためには軍事力が必要でした。そこで国民党はソ連と接近し、その影響のもとで中国共産党と協力関係を結びます。これが第一次国共合作です。目的はあくまで現実的なものでした。
- 軍閥打倒
- 中国統一

(黄埔軍官学校校長時代)
国民党は統一を進めるため、第一次国共合作の時期にソ連(コミンテルン)から軍事顧問や組織づくりの支援を受けました。
この時期に設立されたのが黄埔軍官学校(こうほぐんかんがっこう)で、ここで台頭したのが蒋介石です。
黄埔軍官学校は孫文が設立した国民党の軍事学校。蒋介石が校長となり、北伐の中核人材を育てたんだ。
これは植民地や権益の獲得を目的にすることの多い列強の介入とは性格が異なり、ソ連側は「反帝国主義」や革命戦略の観点から中国の統一運動に影響力を持とうとした、という点が特徴です。
北伐とは何か ― 統一への軍事行動
1926年、蒋介石は軍閥打倒と統一を目指して北伐を開始します。ここでいう「北伐」とは対外戦争ではなく、中国国内の統一戦争のことです。
ただし軍閥の抗争は国内の権力争いだけでなく、地域によっては列強の利害とも結びつきました。たとえば満州の奉天派(張作霖)は、日本の満州での軍事・経済的利害を背景に支援を受けたとされます。
一方で、国民党もソ連からの支援を受けており、こうした外国勢力の関与は、中国の統一戦争をより複雑なものにしていきます。
そんな中で、1927年、北伐の途中で国共合作は大きな転換点を迎えました。
上海クーデターと国共対立
時を少し戻しましょう。
第一次国共合作の時点で国民党を主導していた孫文は、ソ連との協力を容認・推進の方針を取っていました。ところが、蒋介石は当初から共産党にかなり警戒心を抱いていたと言います。
北伐が進展し、国家運営が現実味を帯びるにつれて、国民党内部の路線対立が表面化します。
労働運動や農民運動を広げる共産党勢力を、蒋介石らは統一後の秩序を脅かす存在とみなし、1927年、蒋介石は上海で共産党勢力の排除へと踏み切りました(上海クーデター)。これによって国共合作は事実上崩壊します。
上海クーデター以後、国民党と中国共産党は全面的な対立関係に入り、中国は長期にわたる国共内戦の時代へ進みます。共産党は農村部を拠点に勢力を再建し、国民党は国家建設を目指しました。
南京国民政府の成立
上海クーデターで国共合作が崩れると、国民党は「統一を進める中心勢力」としての体制を固めていきます。北伐の進展にあわせて政権の基盤を南京に置き、1927年以降、国民党は南京国民政府を中心に国家運営を進めるようになりました。
南京国民政府の成立によって、中国は「軍閥が割拠する状態」から抜け出し、少なくとも名目上は統一へ向かいます。
同時に、国民党と中国共産党は内戦状態に入り、国内の安定は依然として大きな課題として残りました。
さらに、軍閥の完全な統制が容易ではない地域があったり、日本による満州事変(1931~33年)といった外圧もあったりして統一国家の建設は一気に完成するものではなく、困難を極めます。
この後、国共内戦が続く中で1936年に西安事件が起こります。
蒋介石が張学良らに拘束され、抗日を優先するよう迫られました。これを機に国民党と共産党は再び協力関係(第二次国共合作)を結び、対日戦争へと進んでいったのでした。
国民党のその後
南京国民政府は、国内では国共内戦と軍閥統制の課題を抱えながら、対外的には日本の侵略拡大に直面します。
1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が本格化すると、国民党政権は中国側の主力として抗戦を継続しました。第二次国共合作のもとで共産党も抗日に参加しますが、両者の協力は恒久的なものではなく、戦時下でも主導権や勢力圏をめぐる緊張は残ります。
1945年に日本が敗戦すると、抗日という共通目標が失われ、国民党と共産党の対立は再び前面化します。
やがて国共内戦が激化し、1949年に中国共産党が中国大陸を掌握。国民党(中華民国政府)は台湾へ移転し、以後は台湾を拠点に統治を続けることになりました。
このように国民党は、中国統一を推進し、日中戦争では抗戦の中心となった一方で、戦後の内戦に敗れて大陸を失い、活動の舞台を台湾へ移した政治勢力だと整理できます。