ABCD包囲網とは?太平洋戦争前夜の「対日経済圧力」をわかりやすく
ABCD包囲網は「対日経済圧力」をまとめて呼ぶ言葉です。中でも資産凍結(許可制)と石油をめぐる供給制限は、取引そのものを止めやすい仕組みでした。ここを押さえると、日米交渉が難航し、期限を意識した判断が強まっていく流れが見えやすくなります。
この「ABCD」とは、A=米国(America)/B=英国(Britain)/C=中国(China)/D=オランダ(Dutch:蘭印を含む)を指しています。
ただし、これは国際条約などの正式名称ではなく、日本側(政府・軍部や新聞報道)の文脈で広まった呼称とされています。当時の日本側から見れば、資源や貿易のルートが複数方向から絞られていくように見えたのも事実です。
そこで本記事では、善悪の評価ではなく、「何がどう効いたのか」に絞って見ていきます。
なお、こうした対日経済圧力が強まった背景には、日中戦争の長期化と、そのさなかでの対外政策(とくに1941年夏の動き)があります。ここでは戦争の経過には踏み込まず、経済面だけ追っていきます。
ABCD包囲網で何が起きたのか(ポイント3つ)
ABCD包囲網と呼ばれる流れの中身は、だいたい次の3点にまとめられます。
貿易や決済が止まりやすくなる(資産凍結・許可制)
取引や送金が“自由に回らない”状態になり、民間の通常取引が機能しにくくなります。
とくに資産凍結は「資産を取り上げる」のではなく、送金・決済・取引を許可制にして止めやすくする性格が強い措置でした。貿易は「モノ」だけでなく「支払い」が回って初めて成立するため、ここが詰まると連鎖的に止まりやすくなります。
戦争継続に直結する物資が絞られる(とくに石油)
法形式として「全面禁輸」と言い切れなくても、輸出の許可運用次第で供給は細ります。
とくに石油は、軍事だけでなく輸送・発電・工業にも関わるため、供給が不安定になるだけで影響が広がります。「いつ入ってくるか分からない」状態になるだけでも、政策判断に強い圧力として働きます。
複数国の対応が重なり、逃げ道がなくなっていく(英・蘭印など)
米国だけでなく、英国・オランダ(蘭印)などの動きも絡み、調達先の選択肢が狭まっていきます。
一国の制限なら別ルートを探す余地が残りますが、複数方向で同じ傾向が重なると、現実的な「逃げ道」は小さくなります。これが「包囲網」という言葉の感覚につながった部分でしょう。
「対日資産凍結」はABCD包囲網の中核のひとつ
ABCD包囲網の中でも象徴的なのが、1941年夏の対日資産凍結です。これは「資産を没収する」というより、送金や取引を許可制にして貿易を止めやすくする措置でした。
要するに、全面禁止を宣言しなくても「許可が下りなければ取引は成立しない」ということなので、許可が出なければ輸入も決済も止まります。資源や物資の調達に直結するだけに、日本にとっては厳しい締め付けとなりました。
なぜ「包囲網」と感じられたのか
当時の日本は、軍事・産業の維持に必要な資源や物資を、海外からの調達に大きく頼っていました。そこに対して、金融・貿易ルートを制度的に絞る措置が重なると「交渉で時間を稼げば解決する」とは言いにくくなります。
さらに重要なのは、交渉が進んでも状況が自然に好転するわけではない点です。時間が経つほど条件が厳しくなるなら「交渉継続」と同時に別の選択肢を準備する動きを必要と考えるのも不思議ではありません。日米交渉が難航し、開戦準備と並走していく背景には、こうした条件もありました。
ABCD包囲網のよくある誤解
- 誤解その1
ABCD包囲網=4か国が最初から一枚岩で組んだ“公式の共同作戦”
実際には、各国の判断・タイミング・利害は同一ではありませんでした。日本語では便利なまとめ語ですが、中身は「複数の措置が重なった結果」として捉えた方が分かりやすいです。 - 誤解その2
資産凍結=即没収
基本は「勝手に動かせない」状態にする措置で、決済や取引を止めやすくする点に意味があります。
米国の対日経済措置の流れ(ABCD包囲網の中心部分)
米国が1911年条約の終了を正式に予告。条約は1940年1月26日に失効し、以後は「条約に基づく通商関係」が弱まって、米側が輸出統制・制裁を制度面でかけやすい土台ができます(いわゆる「条約なき時代」へ)。
許可制の運用が進む
対日を含む運用が厳しくなる
大統領令8832号などにより在米邦人の外国為替・外国資産・貿易取引が政府管理(許可制)下に置かれた
※在留邦人の活動がさらに大きく制限された例と言えば「日系人強制収容」ですが、これは真珠湾攻撃後に定められた大統領令9066号なので別物です。
少なくとも対日への供給は実務上止まりやすくなる
まとめ
ABCD包囲網は、太平洋戦争前夜の対日経済圧力をまとめて説明するための言葉です。資産凍結(許可制)や資源供給の制限が重なり、外交の選択肢が狭まっていく流れを押さえると、日米交渉や開戦決定の理解がつながります。
