昭和

なぜ日中戦争が起きたのか??きっかけの盧溝橋事件と戦争の泥沼化

歴ブロ

1937年~1945年まで続いた、日本と中国の間に起きた戦争を日中戦争と言います。

この戦争が原因で約80年たった今でも中国とのいざこざが起こっています。

1937年7月に領土拡大の野心が爆発し、盧溝橋事件をキッカケに日中戦争が勃発します。この戦争は泥沼化し、日本はこれ以降太平洋戦争へと向かっていくのでした。

そこで今回は、日本と中国に多大な影響を及ぼした日中戦争について書いて行きたいと思います。

 

第二次世界大戦の開戦から太平洋戦争への経緯 以前、世界恐慌から第二次世界大戦への記事では、大戦の引き金となった事件などを踏まえながら、第二次世界大戦の開戦の経緯を書きました。 ...

 

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日中戦争が起こるまでの流れ

1930年代は、日清・日露戦争で獲得した朝鮮半島や関東州(大連)を足掛かりとして中国大陸の進出を計画していました。

そこで、関東州を管轄していた関東軍は、日本の南満州鉄道の線路を爆発して満州を一気に占領します。こうした満州事変を引き起こして満州国と言う日本の傀儡国家の建設をしました。

 

なぜ日本は不利と言われた日清戦争と日露戦争に勝てたのか? 明治維新から20年あまり、富国強兵により急速に国際化を進めてきた日本にとっては、近隣諸国との良好な関係構築は急ぎの課題でした。 ...

 

ここで分かりづらいのが満州事変と柳条湖事件・盧溝橋事件で、違いを簡単にまとめてみたの参考にしてみてくださいね。

  • 満州事変…日本と中国のとの間で武力闘争で、満州全土を掌握した戦争の総称
  • 柳条湖事件…満州侵攻の理由として関東軍が自作自演した南満州鉄道爆破事件
  • 盧溝橋事件…中国軍の発砲により端を発した軍事衝突事件
なぜ大日本帝国は満州国を作ったのか?? 上記は満州国の国旗:Wikipediaより転載 1931年、日本が運営していた南満州鉄道の線路を何者かが爆破しました。 当時...

中国が怒るのは無理もありません。自分たちの領土に勝手に国が作られたのですから。

とは言うものの、当時の中国側は満州国に関わっている余裕がありませんでした。

この時の中国(中華民国)は、北伐を成し遂げ中国大陸を完全に支配していた蒋介石率いる国民党毛沢東率いる中国共産党の2党が内戦を繰り返していました。

時の政権・蒋介石は、満州にかまっている暇がなかったのです。

満州事変の後でも蒋介石は【満州の事は中国共産党を倒してからにしよう】と考えており、日本との関係を悪化させず、満州国の存在をひとまず黙認していましたが、ここで大きな転機が訪れます。

1936年蒋介石張学良に西安で監禁されてしまいます。(西安事件)

張学良とは元々満州の軍閥の人で、さらに父・張作霖は関東軍に爆殺された経緯があります。

張作霖爆殺事件とは?? 張作霖 前回の記事とはだいぶ時代が変わりますが、1928年に日本の関東軍によって(中国の)奉天軍閥トップ・張作霖が爆殺された事...

こうした経緯から日本が大嫌いな張学林は蒋介石を監禁し、直ちに内戦をやめて国民党と共産党が手を組み、日本に対抗しようと抗日民族統一戦線と呼ばれる一大連合が組織を作ろうと両党の架け橋となります。

 

華北の分離工作を進めてきた日本

日本陸軍は盧溝橋事件の数年前に権益拡大を狙い北京を含む中国北部の華北地方を手中に収めようとしていました。この華北地方を中国から切り離し満州と同じく傀儡政権を作り占領する【華北分離工作】を計画していたのです。

当然中国は反発をしていたのですが、先述したように当時の中国は一つにまとまっていませんでした。中国国民党が政権を握っていましたが、あらたな対抗勢力として中国共産党が台頭してきており、日本の計画を阻止する事が難しい状況にありました。

欧米並みの資本主義政策を掲げて成立した国民党に対して、共産党はソ連に習った共産主義を目指して創設されました。そして、農村部や知識層の支持を得て勢力を伸ばしていったのです。

共産党メンバーには後の国家主席となる毛沢東が参加し、その後、彼を支えた周恩来が入党しています。

 

やがて国民党と共産党の対立は内戦まで発展しますが、領土拡大を目論む日本は内戦を尻目に華北分離作戦を推し進めようとしました。

この動きに、共産党は国民党と共同で日本と戦おうと【八・一宣言】を行い、内戦を中止し抗日統一戦線を結成しようと考えたのです。しかし、国民党の蒋介石は、日本軍の対応より内戦の勝利が重要と当初は考えており、共産党の案を受け入れようとしませんでした。

共産党と国民党が揉めている間にも日本軍は予定通りに華北地方に傀儡政権を作り上げ、さらに内モンゴルにも関東軍の支援による自治政府を創設していました。

この状況に危機感を覚え、動き出したのが張学良で前項でも書いた二党共闘が実現したのでした。

こうして、西安事件によって中国政府は一つにまとまり、日本は一枚岩となった中国を敵に回すことになり、華北分離工作は失敗に終わり、日本の領土拡大政策は修正を余儀なくされるのです。

 

盧溝橋事件と日中戦争の勃発

抗日民族統一戦線が組織されて以降、日本と中国の関係は急激に冷え込み中国国内で日本人が殺されてしまう事件が後を絶ちませんでした。その中で日中戦争の引き金となる盧溝橋事件が起きてしまいます。

1937年7月7日、関東軍(日本軍)が北京郊外にある盧溝橋の近くで夜間に演習を行っていました。その近くには中国軍も駐屯したとの事。すると突然、数発の銃声が響き渡り、演習は中止され素早く点呼を行ったところ、一人の兵士が行方不明となっていました。

行方不明の兵士は見つかったが、この銃声は中国軍にあるとして不法射撃の陳謝を求めるとして交渉命令を出しました。しかし、交渉中に中国兵が攻撃を仕掛けてきたので、日本軍も応戦するなどして双方に死傷者を出す大事となりました。

これが一連の盧溝橋事件の概要ですが、同時に泥沼化した日中戦争の始まりでもありました。ちなみに、最初の銃声は誰が発砲したのかはいまだに分かっていないと言います。

 

盧溝橋事件自体は、数日で停戦協定が結ばれ終わっていたのですが、日本はこれを口実に中国大陸進出の拡大を図っており、石炭などの資源を狙って進出しようとしていました。

蒋介石も日本政府との和平交渉を進めていたのですが、上海において日本軍人が中国軍に殺される事件が起こると日本は交渉を打ち切り中国の進行を開始します。

こうして日本と中国は7年にわたる泥沼の戦争へと突き進んでいくのでした。

 

日中戦争の戦況

日本軍は北部の北京などを制圧し南下を始めます。

一方で、上海で駐留していた日本軍も、当時の首都・南京に向かって進軍を開始。戦争が始まって4か月後には南京周辺の地域を完全に掌握していました。

蒋介石は期待していたソ連やドイツの支援が全く来ないことを理由に南京から成都へと逃亡します。12月にはついに南京を占領し、これまで戦闘で得た占領地域を南京政府として当時国民党NO2の汪兆銘をトップに据えました。

その後も日本の攻撃は続き、臨時首都の漢口も陥落し、よいよ蒋介石が立てこもる生徒まで攻めようとしました。日本軍は、手始めに成都から近い重慶を無差別爆撃を開始し、4000人の被害を出し、各国から無差別爆撃を非難されています。

日本軍はドイツを仲介として中国に講和を図るように打診しますが、国民政府(中国側)は中々返事がくれず、当時の首相・近衛文麿がいらだち【国民政府相手にせず】と言い放ち、講和は打ち切られました。

その後、以前記事にした国家総動員法が設立し、全ての政党が解散して大政翼賛会という新たな政治組織が建てられ日本国内では戦争ムードが強まっていくのでした。

 

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三国同盟の締結と太平洋戦争の始まり

当初、日本有利で進んでいた日中戦争ですが、1937年後半には戦線が膠着状態になり泥沼化していきます。実は、イギリスやフランス各国が武器などの支援し、中国軍が強化されていたのです。

現在のウクライナとロシアの戦争に似た構図ですが、当時のこの蒋介石を援助すると言う意味で援蒋ルートと呼ばれ、この援助が日本にとって中国攻略の足かせとなっていました。

欧米諸国をけん制するために日本は、当時の破竹の勢いで頭角を現したドイツとイタリアと日独伊三国同盟を締結。イギリスとフランスによる中国の援助を抑えようとしますが、それでも援助が続き、さらにアメリカが日本に対し不快感を覚えます。

1940年にフランスがドイツに降伏すると、日本軍はフランス領インドシナに進軍。日本軍は日中戦争継続のために資源を求めて南方政策を取り始めました。これに対してとうとうアメリカは日本に対して全面禁輸措置を開始し、一滴の石油も輸出しない方針を決めます。

こうして日本はアメリカと戦争を決定。1941年にハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まり、アメリカ・イギリスなどの連合軍と全面戦争に突入する事になります。

 

太平洋戦争関連は、また別の記事で書きたいと思います。

第二次世界大戦の開戦から太平洋戦争への経緯 以前、世界恐慌から第二次世界大戦への記事では、大戦の引き金となった事件などを踏まえながら、第二次世界大戦の開戦の経緯を書きました。 ...

 

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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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