ギリシア史

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ギリシアの歴史というと、アテネやスパルタ、アレクサンドロス大王など、古代ギリシアを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし、現在のギリシアにつながる歴史には、ローマ帝国や東ローマ帝国、オスマン帝国の支配、19世紀の独立と領土拡大、20世紀の戦争や内戦、民主化まで、さまざまな変化がありました。政治的な枠組みが変わる一方で、ギリシア語や正教会をはじめとする文化や社会のつながりも受け継がれていきます。

このページでは、古代から現代までのギリシア史を時代ごとに整理し、詳しいテーマや出来事については個別の記事へ進めるようにしています。

まずは、ギリシア史の大まかな流れを見てみましょう。

時代大まかな流れ
エーゲ文明クレタ島やギリシア本土で青銅器文明が栄え、のちのギリシア世界につながる文化が形成される
古代ギリシア各地にポリスが成立し、アテネやスパルタを中心に政治・社会・文化が発展する
マケドニア・ヘレニズム時代マケドニアがギリシア世界を掌握し、アレクサンドロス大王の遠征によってギリシア文化が東方へ広がる
ローマ支配の時代ギリシア世界がローマ帝国に組み込まれ、ギリシア文化もローマ世界に大きな影響を与える
東ローマ帝国時代ローマ帝国の東側が存続し、ギリシア語と正教会を中心とする社会・文化が発展する
オスマン帝国時代オスマン帝国の支配下で正教会やギリシア語文化が受け継がれ、商人や知識人の活動も広がる
19世紀独立戦争を経てギリシア国家が成立し、その後は領土拡大が進む
20世紀前半バルカン戦争や二つの世界大戦、希土戦争などを経験し、領土や住民構成が大きく変化する
20世紀後半〜現代内戦や軍事政権を経て民主政治が定着し、ヨーロッパ統合の枠組みに加わる

エーゲ文明と暗黒時代(前2000年頃〜前8世紀頃)

前2000年頃にはクレタ島を中心にクレタ文明(ミノア文明)が栄え、宮殿を中心とした社会が形成されます。その後、ギリシア本土ではミケーネ文明が発展しました。

前1200年頃になると、ミケーネ文明を支えていた宮殿社会が各地で崩壊します。背景には、戦乱や東地中海世界の混乱など、複数の要因が重なったと考えられています。

その後の数百年間は文字史料が少ないことから、従来は「暗黒時代」と呼ばれてきました。現在では「初期鉄器時代」と呼ばれることもあります。この時代には鉄器の利用が広がり、各地で新たな共同体が形成されていきました。

前8世紀頃になると各地でポリスの形成が進み、アテネやスパルタなどが登場する古代ギリシアの時代へとつながっていきます。

前2000〜前1200年頃
エーゲ文明が発展

クレタ島でクレタ文明、のちにギリシア本土でミケーネ文明が栄える

前1200年頃
ミケーネ文明の宮殿社会が崩壊

東地中海世界の混乱のなかで、それまでの社会秩序が大きく変化

前12〜前9世紀頃
暗黒時代(初期鉄器時代)

文字史料が少なくなる一方、鉄器の利用や地域社会の再編が進む

前8世紀頃
ポリスの形成が進む

各地に都市国家が成立し、古代ギリシアの時代へつながる

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ポリスの発展とマケドニアの台頭(前8世紀頃〜前338年)

前8世紀頃になると、ギリシア各地でポリス(都市国家)が形成されました。それぞれのポリスは独自の政治や社会を持ち、地中海や黒海沿岸への植民活動も進めていきます。

なかでも有力だったのがアテネとスパルタです。アテネでは政治改革を重ねながら市民が政治に参加する民主政が発達し、スパルタでは軍事を重視した独自の社会制度が形成されました。

前5世紀には、アケメネス朝ペルシアとのペルシア戦争を経てアテネが勢力を拡大します。しかし、アテネを中心とする勢力とスパルタを中心とする勢力の対立が深まり、前431年にはペロポネソス戦争が始まりました。戦争は前404年にアテネの敗北で終わります。

その後もポリス間の争いが続くなか、北方のマケドニア王国が勢力を強めます。前338年のカイロネイアの戦いでフィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を破り、ギリシア世界の政治状況は大きく変化しました。

前8世紀頃
ポリスの形成

アテネやスパルタなどの都市国家が各地で発達

前8〜前6世紀頃
植民活動が広がる

地中海・黒海沿岸各地にギリシア人の植民市が建設される

前6〜前5世紀
アテネ民主政が発達

政治改革を通じて市民の政治参加が拡大

前499〜449年頃
ペルシア戦争

ギリシア諸ポリスとアケメネス朝が戦う

前431〜404年
ペロポネソス戦争

アテネとスパルタを中心とする陣営が争い、アテネが敗北

前338年
マケドニアがギリシア諸ポリスへの優位を確立

カイロネイアの戦いでフィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を破る

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マケドニアとヘレニズム世界(前338年〜前146年頃)

前338年のカイロネイアの戦いを経て、マケドニア王国はギリシア諸ポリスに対する優位を確立しました。

その後、王位を継いだアレクサンドロス大王は前334年から東方遠征を開始します。アケメネス朝を滅ぼし、エジプトからインド北西部にまで及ぶ広大な領域を支配しました。

れきぶろ
れきぶろ

アケメネス朝は紀元前6世紀に成立した古代ペルシアの大帝国。西アジアからエジプトまで広い地域を支配しました。

前323年にアレクサンドロスが死去すると、その帝国は後継者たちの争いによって分裂します。やがてマケドニア、エジプト、西アジアなどに複数の王国が成立し、ギリシア語やギリシア文化も各地へ広がりました。こうして成立した広域的な世界をヘレニズム世界と呼びます。

一方、地中海ではローマが勢力を拡大していました。マケドニア王国はローマとの戦争に敗れ、前146年にはギリシア本土でもローマの支配が強まります。ここからギリシアは、ローマ世界の一部として新たな時代を迎えることになります。

前334年
アレクサンドロス大王が東方遠征を開始

アケメネス朝へ進攻し、広大な帝国を築く

前323年
アレクサンドロス大王が死去

後継者争いが始まり、帝国の分裂が進む

前3世紀頃
ヘレニズム諸国が成立

マケドニア、エジプト、西アジアなどに王国が形成される

前168年
マケドニア王国がローマに敗れる

ピュドナの戦いでローマが勝利し、マケドニアの勢力が大きく後退

前146年
ギリシア本土でローマの支配が決定的になる

ローマ軍がギリシア側の勢力を破り、コリントスを破壊

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 └ アレクサンドロス大王による大帝国とパルティアの出現

ローマ支配とキリスト教の広がり(前146年〜395年)

マケドニアやギリシア諸勢力を破ったローマは、前2世紀以降、ギリシア世界への支配を広げていきました。

政治的な主導権はローマへ移りましたが、ギリシア語やギリシア文化は引き続き大きな影響力を持ちます。ローマの上流層にもギリシアの文学や哲学を学ぶ人が多く、ギリシア文化はローマ世界の文化形成にも深く関わりました。

ローマ支配のもとでキリスト教も広がり、4世紀には帝国内で公認・国教化されます。

一方、3世紀以降のローマ帝国では内乱や国境地域への外敵の侵入が相次ぎ、広大な領域を複数の皇帝が分担して統治する動きが進みました。4世紀にはコンスタンティノープルが帝国東部の重要な政治拠点となり、395年のテオドシウス1世死後、帝国は東西それぞれの皇帝によって統治されます。ギリシア地域は東側の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属しました。

前1世紀
ローマの内乱や東方での戦争に巻き込まれる

スラによるアテネ攻略やアクティウムの海戦など、ギリシア各地が戦乱の舞台となる

前27年
ギリシア南部がローマの属州として再編

ローマ帝国の行政体制の中に組み込まれる

1世紀
キリスト教が広がる

ギリシア各地にもキリスト教共同体が形成される

330年
コンスタンティノープルが帝国東部の中心となる

コンスタンティヌス帝がビザンティオンを新たな都として整備し、東方の政治的重要性が高まる

4世紀
キリスト教が公認・国教化

ギリシア社会でもキリスト教の重要性が高まる

395年
ローマ帝国が東西に分裂

テオドシウス1世の死後、帝国が東西に分かれ、ギリシア地域は東側に属する

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 └ 【古代ローマ】内乱の一世紀
 └ 帝政ローマとローマの危機
 └ ローマの分裂と帝国の滅亡
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ビザンツ帝国の時代(395〜1453年)

395年にローマ帝国が東西に分かれた後も、東側の帝国はコンスタンティノープルを中心に存続しました。後世、この国家は一般にビザンツ帝国と呼ばれています。

ビザンツ帝国はローマ帝国を継承する国家でしたが、時代が下るにつれてギリシア語の比重が高まり、正教会も社会や文化の重要な基盤となっていきました。こうした変化は、後世のギリシア社会を考えるうえでも重要です。

一方、帝国はイスラーム勢力や周辺諸国との戦いを重ね、1204年には第4回十字軍によってコンスタンティノープルを占領されます。1261年に帝国は復活しましたが、その後はオスマン帝国が勢力を拡大し、1453年にコンスタンティノープルが陥落しました。

476年
西ローマ帝国が滅亡

西側の皇帝が廃される一方、コンスタンティノープルを中心とする東側のローマ帝国は存続

6世紀
ユスティニアヌス帝の時代

北アフリカやイタリアなど旧西ローマ領の一部を奪回

7世紀
イスラーム勢力の拡大

シリア・エジプトなどを失い、帝国の中心がアナトリアやバルカン半島へ移っていく

7世紀頃〜
帝国の性格が変化

ギリシア語の重要性が高まり、政治・社会の仕組みも変化

11世紀頃
東西教会の分裂が明確になる

ローマ教会とコンスタンティノープルを中心とする教会の違いが深まる

1204年
第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領

ビザンツ帝国はいったん首都を失う

1261年
ビザンツ帝国が復活

コンスタンティノープルを奪還

13世紀末〜14世紀
オスマン勢力が拡大

アナトリアからバルカン半島へ進出し、ビザンツ領を次第に奪う

1453年
コンスタンティノープル陥落

オスマン帝国が首都を攻略し、ビザンツ帝国が滅亡

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 └ イスラーム帝国の形成と分裂【7世紀後半~10世紀】<中東の歴史>
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オスマン帝国支配と独立への動き(15世紀〜1821年)

1453年にコンスタンティノープルを征服したオスマン帝国は、その後もバルカン半島やエーゲ海周辺への支配を広げ、ギリシアの多くの地域を領土に組み込んでいきました。

れきぶろ
れきぶろ

現在のギリシアにあたる地域がオスマン帝国の支配下に入った時期は、地域によって異なります。クレタ島は長くヴェネツィアの支配を受け、17世紀にオスマン帝国の支配下へ入りました。

オスマン帝国はイスラーム国家でしたが、支配下のキリスト教徒にも一定の宗教活動や共同体の維持を認めていました。ギリシア地域では正教会が存続し、地域社会を支える重要な役割を担います。こうした仕組みも、多様な民族や宗教を抱える地域を長く統治する基盤の一つとなりました。

17〜18世紀になると、商業で力をつけたギリシア人や国外で学ぶ知識人が増え、ヨーロッパの啓蒙思想にも触れるようになります。さらに18世紀末のフランス革命を通じて自由主義やナショナリズムが広がると、オスマン帝国から独立して自らの国家を築こうとする考えも強まっていきました。

1814年には秘密結社フィリキ・エテリアが結成され、独立運動が組織化されます。こうした動きは、1821年に始まるギリシア独立戦争へとつながっていきました。

15〜17世紀
ギリシア各地にオスマン支配が広がる

地域によって時期は異なり、ヴェネツィアなどの支配が続いた地域もあった

17〜18世紀
ギリシア人商人の活動が拡大

地中海・黒海交易などを通じて商人や知識人層が成長

18世紀後半〜
独立につながる思想が広がる

啓蒙思想やフランス革命などの影響を受け、民族意識が高まる

1814年
フィリキ・エテリア結成

オスマン帝国からの独立を目指す秘密結社が組織される

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ギリシア独立と領土拡大(1821〜1912年頃)

1821年、オスマン帝国からの独立を求めるギリシア独立戦争が始まりました。戦争は長期化しましたが、イギリス・フランス・ロシアなどヨーロッパ列強の介入もあり、1830年には独立が国際的に認められ、1832年にギリシア王国が成立します。

ただし、独立当初の領土は現在よりかなり狭く、多くのギリシア人が暮らす地域はオスマン帝国などの支配下に残っていました。そのため19世紀には、こうした地域を国家へ統合しようとする『メガリ・イデア(大ギリシア主義)』が大きな影響力を持つようになります。

ギリシアは1864年にイオニア諸島、1881年にはテッサリアの大部分などを獲得して領土を広げました。一方、1897年の希土戦争ではオスマン帝国に敗れています。20世紀初頭になるとバルカン半島でオスマン帝国の支配がさらに弱まり、1912年のバルカン戦争へつながっていきました。

1821年
ギリシア独立戦争が始まる

オスマン帝国からの独立を求める戦いが広がる

1830〜32年
独立国家が成立

独立が国際的に承認され、ギリシア王国が成立

1864〜81年
領土を拡大

イオニア諸島やテッサリアの大部分などを獲得

1897年
希土戦争で敗北

オスマン帝国との戦争に敗れ、領土拡大の限界も表れる

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戦争と国境の再編(1912〜1949年)

1912年に始まったバルカン戦争で、ギリシアはマケドニア南部やテッサロニキなどを獲得し、クレタ島のギリシアへの統合も国際的に確定しました。。

第一次世界大戦では、中立を主張する国王と、連合国側への参戦を求める首相が対立しました。最終的にギリシアは1917年に連合国側で参戦し、戦後はオスマン帝国領の一部への進出を目指しました。

しかし、1919年からの希土戦争ではトルコ側の反攻を受けて敗北します。1923年のローザンヌ条約によって国境が定められ、ギリシアとトルコの間では宗教を基準とした大規模な住民交換も行われました。これによって、19世紀以来のメガリ・イデアは事実上終わりを迎えます。

第二次世界大戦では、ギリシアはイタリア・ドイツなど枢軸国の侵攻を受けて占領されました。占領下では抵抗運動が広がる一方、戦後の政治体制をめぐる対立も深まります。

解放後には王政を支持する政府側と共産主義勢力を中心とする側の対立がギリシア内戦へ発展しました。1949年に政府側が勝利し、ギリシアはその後、冷戦下の西側陣営へ組み込まれていきます。

1912〜13年
バルカン戦争

オスマン帝国などとの戦争を通じてギリシアの領土が大きく拡大

1917年
第一次世界大戦に参戦

国内対立を経て連合国側で参戦

1919〜22年
希土戦争

小アジアへ進出するが、トルコ側の反攻を受けて敗北

1923年
ローザンヌ条約・住民交換

トルコとの国境が定まり、大規模な住民移動が行われる

1941〜44年
枢軸国による占領

ドイツ・イタリアなどの占領下で抵抗運動が展開

1946〜49年
ギリシア内戦

政府側と共産主義勢力を中心とする側が戦い、政府側が勝利

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冷戦下のギリシアと民主化(1949年〜現代)

1949年にギリシア内戦が終結すると、ギリシアは冷戦下で西側陣営に組み込まれていきました。1952年にはNATOへ加盟し、アメリカや西ヨーロッパ諸国との関係を強めます。

一方、国内では政治的な対立が続き、1967年には軍部によるクーデターが発生しました。その後は軍事政権が政治を支配し、議会政治や政治活動が大きく制限されます。

1974年、キプロス問題をめぐる混乱をきっかけに軍事政権が崩壊し、民政へ復帰しました。同年の国民投票で王政復活が否定され、現在につながる共和政が確立していきます。

民主化後のギリシアは西ヨーロッパとの結びつきをさらに強め、1981年にはヨーロッパ共同体(EC)へ加盟しました。その後はEUの一員として歩む一方、2000年代末からは深刻な財政危機にも直面します。現在のギリシアは、こうした政治・経済上の変化を経ながらヨーロッパ統合の枠組みの中に位置しています。

1952年
NATO加盟

冷戦下で西側陣営との結びつきを強める

1967年
軍事クーデター

軍部が政権を掌握し、軍事政権が成立

1974年
軍事政権が崩壊

キプロス問題をめぐる混乱のなかで民政へ復帰

1974年
王政廃止

国民投票によって共和政への移行が確定

1981年
EC加盟

西ヨーロッパの経済・政治統合へ加わる

2009年頃〜
財政危機が深刻化

巨額の財政赤字や債務問題が表面化し、EUを巻き込む問題となる

ギリシア史のまとめ

ギリシアの歴史は、エーゲ文明やポリスの成立から始まり、マケドニアとヘレニズム世界、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の時代を経て、19世紀に近代国家として独立しました。

その長い歴史のなかで、政治的な支配や国家の枠組みは何度も変化しています。一方で、ギリシア語や正教会をはじめとする文化や社会のつながりは、それぞれの時代の影響を受けながら受け継がれてきました。

独立後も領土拡大や二つの世界大戦、内戦、軍事政権などを経験し、1974年の民主化を経て現在のギリシアへとつながっています。

このページで全体の流れをつかんだあとは、気になる時代や出来事について、それぞれの個別記事もあわせてご覧ください。

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