地政学

【地政学的近代史】第一次世界大戦の勃発とヨーロッパ諸国の衰退

歴ブロ

日本がイギリスの支援を受けて日露戦争でロシアの南進政策を打ち破り、これにより長らく続いていたグレートゲームが終息しました。

しかしながら、ランドパワー国家の野心は収まることなく、今度は新興国・ドイツが領土拡大の意図を示し始めます。この状況は、イギリス、フランス、そしてロシアにとって重大な脅威となり、結果的に第一次世界大戦が勃発する遠因となりました。

この長期化する戦争は徐々に総力戦体制へと移行し、戦火がヨーロッパ全土に広がっていきました。結果的に、ヨーロッパは広範な破壊と経済的困難に見舞われ、その影響は世界中に波及し、ついには大国の没落をもたらす結果となりました。

世界の地政学、今回のテーマは、ドイツ帝国の台頭と第一次世界大戦の勃発について考えていこうと思います。

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1900年頃の世界情勢

出典:Wikipedia バルカン半島

1900年~1918年頃は、第一次世界大戦という重要な出来事が起こる時代です。

多くのヨーロッパ諸国との間で、アフリカ・アジア・太平洋地域で植民地獲得競争が拡大。これによって、各国の影響圏が重なり、緊張が高まっていました。
こうした状況で、列強同士の同盟が形成されて、ドイツ帝国・オーストリア・イタリアの【三国同盟】やイギリス・フランス・ロシアによる同盟が形成されました。

一方で、バルカン半島では異なる民族や宗教間の緊張が存在し、領土問題や自分たちの領土や宗教を重視するナショナリズムが高まっていました。

日英同盟締結と日露戦争

ロシアは、19世紀末よりシベリア鉄道の建設を進めていました。また、清国からは満州鉄道の建設権も得ていました。こうしたロシアの南下政策によって、清国で築き上げてきた権利が脅かされることを恐れていました。

一方で日本は、ロシアが朝鮮半島まで勢力が及べば自国の死活問題と考えていました。そこでイギリスと日本は、双方の利害が一致した事確認すると日英同盟を締結します。

そして、1904年に日露戦争が始まりました。

当時のイギリスは、アフリカや南アジアに兵力を送り込んでおり、東アジアに兵を送る余裕がありませんでした。そこで、イギリスの支援を受けながら日本がロシアと戦う事になったのです。

日露戦争では、日本は辛くも勝利するのですが、その要因が日本海海戦でのバルチック艦隊の撃破です。この海戦でイギリスの役割が大きく、バルチック艦隊は当時、喜望峰のルートで日本海に向かう航路を取っていました。

しかし、この航路はイギリスが掌握しており、各拠点に石炭の補給基地を設けていました。そこでイギリスはバルチック艦隊に対して良質な石炭の供給を拒否し事で、質の悪い石炭の提供で航行することになったのです。

ロシアは戦艦を十分な能力で航行できず、兵たちも疲れ切っていた状態で海戦に挑み日本海軍に全滅させられました。また、イギリスはバルチック艦隊の動向を日本に報告をしていました。

こうしてシーパワー国家・イギリスの後方支援によって、日本は強敵・ロシアに勝つことが出来たのでした。

ドイツの台頭と第一次世界大戦勃発

日露戦争での敗北により、ロシアの影響力は急速に後退し、その一方でドイツがイギリスにとって新たな脅威として頭角を現してきます。

ビスマルク時代のドイツは、ロシア、オーストリア、イギリスとの協調関係を築くことで、フランスへの対抗力を維持します。しかし、ヴェルヘルム政権下では、これまでのロシアとの協約を解消し、新たな外交方針を模索しました。

同時にドイツは海洋における力を高め、シーパワーの確立を目指しました。この動きは、イギリスにとってドイツへの対応を迫る重要な要因となりました。

一方で、ドイツは首都ベルリンからイスタンブール、バグダードに至る鉄道を建設し、その影響力をペルシャ湾方面に広げていきました。しかし、この行動がイギリスのカイロからケープタウン、カルカッタへの影響圏と交錯することで、対立が激化します。

同じくバルカン半島での主導権を巡り、ロシアとの間に摩擦が生じました。バルカン半島は複雑な民族・宗教が入り混じる地域であり、「ヨーロッパの火薬庫」とも称されるほどの緊迫した状態でした。
これにより、大国の思惑がからみ合って地域の不安定化が進行します。

こうした動きと緊張が、後の歴史的な出来事へとつながっていくこととなります。

ドイツとの対立が決定的になったイギリス・フランス・ロシアは【露仏同盟・英仏協商・英露協商】を結ぶことで関係強化を図りました。

これを三国協商と呼ばれています。

一方でドイツは、オーストリアやイタリアと組んで三国同盟を締結して三国協商に対抗しようとしました。

そして、1914年7月に上記の対立構造が激化して第一次世界大戦が勃発したのでした。

オーストリア皇太子夫婦がボスニアのサラエボで暗殺されるサラエボ事件】が起こると、オーストリアがサラエボに宣戦布告。これに対して、セルビアに味方するロシアがオーストリアに宣戦布告すると、ドイツがロシアに宣戦布告をしあっという間に各国が戦争に引き込まれていきます。

第一次世界大戦では、英・仏・露が連合国、独・墺陣営は同盟国と言われています。
イタリアは、オーストリアとの領土問題が原因で連合国側で参戦しています。

第一次世界大戦の長期化による欧州の衰退

この戦争の特徴は、世界大戦と呼ばれるように世界各国が戦場となりました。

このうちアジアでは、日本が日英同盟に基づき連合国側で参戦し、ドイツに宣戦布告をしました。この戦争で日本は、列強各国が戦線に居る間に、アジアで勢力を伸ばす絶好のチャンスでした。

戦争の長期化で主戦場のヨーロッパは、国民全員が戦時体制に組み込まれる総力戦になり、欧州各国の消耗が激しい物となります。

戦局は、1917年にこれまで中立を守ってきたアメリカがドイツに宣戦布告した事で連合国側有利に傾くかと思われましたが、ロシア革命が起きたロシア帝国が離脱した事によって、再び混とんとしてきました。

ドイツが降伏して戦争が終結するのは、1918年の事でした。

アメリカが国際社会の主役に

第一次世界大戦の終結後、1919年にはパリ講和会議が開催され、戦勝国が戦争の結果に基づいて新たな国境や国際秩序を設定しました。ヴェルサイユ条約は、特にドイツに対する厳しい条件を含んでいました。

この戦争によって、欧州各国は戦勝国も含めて著しく疲弊していきました。

欧州の影響力が小さくなる一方で、国土が戦場にならなかったアメリカが変わって台頭していくことになります。

アメリカの地理的優位性は、ユーラシア大陸から離れている上に、アメリカ大陸にライバルと言った国が存在しないために、敵対国から本土攻撃を受けるリスクが非常に少ないのが特徴です。

いわばアメリカは、巨大な島国と言えます。また、パナマを支配下に入れた事で、1914年にパナマ運河を完成させます。これで大西洋と太平洋を自由に行き来できる状態を作りました。

こうしてアメリカは、ヨーロッパにもアジアにも影響を及ぼすシーパワー国家の大国として国際社会の主役に踊り出てくるのでした。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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