【地政学的近代史】冷戦終結による世界の統合と更なる混迷
1989年に米ソが『冷戦の終結』を宣言したことで約40年続いた東西冷戦時代は終わりを告げました。
冷戦終結により世界は大規模な対立が無くなり、各国が互いに協力しながら国際社会を運営していくと思われましたが、イラク戦争やテロ、EUとロシアの対立、中国の海洋進出の挑戦などによって裏切られていったのは、現在のニュースを見れば明らかでしょう。
さらに今の世界情勢は、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに東西冷戦時代よりも不透明さを増した状況となっています。
今回は、そんな東西冷戦が終わった後、どういった道筋を通っていったのかを解説していきます。
冷戦終結後の世界の急変
冷戦終結後の1989年から1991年の間、世界は急速に変化しました。
米ソの冷戦が終結宣言され、政治と経済の自由化が進展し、社会主義体制を持つ東欧諸国にも影響を与え、次々と東側陣営から離脱を始めます。また、ソ連を構成していた共和国も離脱し、1991年にはソビエト連邦が崩壊しました。
ソ連の解体によって、15の新たな独立国が誕生し、これによって冷戦時代のアメリカとソ連の対立が終結し、新たな地政学的状況が生じます。
同時に、東西に分かれていたドイツも、1989年にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツと西ドイツの再統一が実現しました。※ドイツの統一については後述します。
さらに、かつての東側諸国の多くがソ連の支配から解放されてNATOへ加盟しました。一方で、ソ連の解体に伴って誕生したロシアはNATOの東方拡大に懸念と反発を表明し、西欧諸国と対立。現在のウクライナ侵攻の要因とも考えられています。
アメリカ主導の外交戦略
冷戦終結に伴い自由主義の価値観が世界に広がり、国際社会は一体感を持ち始めました。
1990年の湾岸戦争では国連安全保障理事会が米ソで一致を見せ、イラクへの制裁措置が採択。翌年には米軍を中心に多国籍軍が編成され、イラクへの武力行使が行われました。
これにより、国際社会は自由主義の価値観を軸に運営され、これに反する行動をした国家に対し一致団結して対処する時代が訪れるかと思われました。しかし、湾岸戦争時に米軍がサウジアラビアに駐留したことでイスラム過激派のアル=カーイダが激怒し、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を引き起こします。
アメリカは報復としてアフガニスタン攻撃をはじめ、さらにイラク戦争が勃発。しかし、湾岸戦争と異なり国際社会の全面的な同意を得ることができず、アメリカの単独行動が批判を浴びる結果となりました。
アメリカはアフガニスタンやイラクの統治に失敗。これらの経験がオバマ大統領以降のアメリカの外交政策に影響を与えています。
結局、世界は一つに結束することができなかったのです。
東西ドイツの再統合とEUの発足
冷戦終結直後のヨーロッパにおいて、ドイツの再統合と欧州連合(EU)の設立は重要な出来事でした。
第二次世界大戦後、東西に分断されていたドイツは、冷戦終結に伴って東ドイツが西ドイツに統合され『統一ドイツ』が誕生していました。
しかし、過去のドイツによる強大な力を経験していた西欧諸国にとって新たな統一ドイツは懸念材料でした。そのため、西欧諸国はEUの設立を通じて西ヨーロッパを一つの共同体とし、ドイツを取り込む戦略を探ります。
EUは通貨統合(ユーロ導入)や共通の外交政策の確立など政治的な協力を深化させ、経済的な一体化を推進しました。
こうした巨大な組織はヨーロッパに新たな不安要素を呼び起こします。ロシアがEUに警戒心を抱き始めたのです。EUが東欧諸国にも拡大を進めた事でロシアの勢力圏を脅かされるようになり、警戒心が高まる結果となりました。
一方で加盟国の拡大したEUですが、さまざまな政治・経済状況の国が参加することでの不協和音が生じるようにもなりました。こうした、不協和音がイギリスのEU離脱の要因ともなっています。
中国による太平洋進出計画
冷戦終結後の東アジア地域では、中国の台頭が顕著になっていきます。
第二次大戦後は急な改革から経済的にも停滞していましたが、1970年代に社会主義体制から開放路線に政策転換をしました。
そこで目を付けたのが、海を通じた諸外国との貿易に適した沿岸部。ここに経済特区※をもうけ、外国企業の進出を促します。これを機に中国の経済躍進が始まりました。
中国の経済成長は当初、民主化の促進につながると期待されていました。しかし、1992年以降、中国は東シナ海の尖閣諸島や南シナ海の南沙諸島などで自国の領土を定めた領海法を他国との合意なしに制定するなど、海洋進出に向けた動きを見せ始めます。
中国はこれらの海域に対する領有権を主張し、領土の拡張、資源の探査・開発、軍事基地の建設などの活動を行っており、これが国際的な緊張を高めています。
青破線; 各国の排他的経済水域
南シナ海(wikipedia)より
赤破線; 中国が主張する領海
黄緑色; 領有権問題となっている諸島、中国とベトナムの排他的経済水域の境界にあるのが西沙諸島、ボルネオ島の北西に位置するのがスプラトリー諸島
南シナ海は中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイなど、複数の国が領有権を主張する海域であり、中国は南シナ海の大部分を【九段線】と呼ばれる境界線で囲み、領有権を主張しています。
中国は人工島の建設と軍事施設の建設を進め、海洋軍事支配を強化しています。これらの行動は、近隣諸国や国際社会から懸念を引き起こしています。
東シナ海では、中国と日本が尖閣諸島(中国名:釣魚島)を巡る領有権争いがあります。
これらの島々は豊富な漁業資源やエネルギー資源の潜在的な豊かさを持っており、紛争が激化しています。
日本でも、中国による領有権主張に関連する東シナ海での活動が報道されており、海洋監視船や軍艦の派遣、領空侵犯などが頻繁に発生しています。このような事態は地政学的な緊張を高め、国際的な注目を浴びています。
2000年代に入ると、中国は国益を優先する外交政策を展開します。特に、東シナ海や南シナ海への海洋進出は、日本や東南アジア諸国との対立を引き起こしました。
このような中国の動きは、太平洋を内海と見なしてきたアメリカにとっても容認できないものでした。こうして、この地域は国際的に見ても政治的に不安定な状態になっています。
東シナ海や南シナ海では、領土・領海の争いや軍事的な緊張が高まり、国際社会に懸念を引き起こしています。アメリカと中国の間における対立も、地域全体の不安定さに寄与しており、安全保障上のリスクを含んでいます。
このような状況において、地政学的な課題と国際的な緊張が交錯し、今後の安定に向けた取り組みが求められています。