【地政学の基礎知識】用語解説と地政学上で必要な要点を覚えておこう!!
地政学第一回目の記事では、『地政学となにか?』や【ランドパワー】と【シーパワー】について説明しました。その後、シリーズ記事として大航海時代を経て冷戦時代に差し掛かろうとしていたのですが、所々でチョークポイントやリムランドと言った聞きなれない用語が出てきています。
そこで今回は基本的な地政学用語を解説していこうと思います。
この記事書かれている事を頭に入れて地政学関連の記事を見るとより面白いと思うので、参考にしてみてください。
リムランドとハートランドが世界情勢を動かす
「リムランド」とは地政学の概念の一つで、主要な大国間の利益や影響が交差する地域を指します。具体的には、複数の大国が利害を持つ地域であり、その地域内での競争や対立が頻繁に発生することを表現するために使われます。
大航海時代以降シーパワー国家が台頭しますが、19世紀の鉄道の登場により陸上輸送の能力が大きく向上しました。これにより、ランドパワー国家は勢力の巻き返しを図ります。
更に20世紀に入ると、自動車と航空機の登場により新たな輸送手段が誕生しました。これらはランドパワー国家にとって大きな武器となり、勢力の回復を目指す際の重要なものとなりました。
実際、ランドパワー国家であるドイツは、ベルリン~イスタンブール~バグダードを鉄道で結び、勢力を拡大していきました。こうしたシーパワー国家が到達しづらいユーラシア大陸の内陸部は【ハートランド】と呼ばれ、東欧を制する者はユーラシア全体を支配できるとされました。
ハートランドを弧状に囲む地域が【リムランド】と呼ばれ、シーパワーとランドパワーの間の広大な緩衝地帯を指しました。このリムランドを制することでユーラシアを支配すると言われています。
リムランド地域はしばしば、大国間の代理戦争や影響力争いの舞台となります。冷戦時代においては、アメリカとソ連の間でリムランド地域での対立が多く発生しました。朝鮮戦争やベトナム戦争は、そのようなリムランド地域での代理戦争の例です。
国の生命線となる海上交通網【チョークポイント】
国の安全や経済活動を保つために極めて重要な海上交通路を、シーレーンと称します。
日本を例に取ると、ペルシャ湾からホルムズ海峡を通りアラビア海およびインド洋を経由してマラッカ海峡とバシー海峡を通る航路がシーレーンです。この経路を遮断されると日本の経済には大きな影響が及ぶでしょう。実際、中東からの石油輸入の8割はこのルートを通って日本に運ばれています。
さらにシーレーン内でも特に重要な箇所があり、これをチョークポイントと呼びます。ホルムズ海峡やマラッカ海峡などがその例です。日本に敵対する国がマラッカ海峡を制圧すれば、日本のタンカーはアラビア海への行き来が難しくなります。
世界中にはスエズ運河やパナマ運河のような国によって管理されるシーレーン上の要所が10カ所存在します。これらのチョークポイントは、海の交通を簡便に管理できる場所です。他の海域を制圧していなくても、ここを掌握することで海洋における優位性を手にすることが可能です。
19世紀にイギリスが海洋制覇を果たしたのは、こうしたチョークポイントを支配下におさめていたことが一因でした。
山と平野の大きく違う国境線
中国とインドは国境を接していますが民族、言語、文化の面では大きな違いがあります。
もちろん、仏教の伝来などの一定の交流はありましたが、他の隣国と比べて両国間の影響力は制限されていました。これは、両国を分けるヒマラヤ山脈が存在するためです。
海は国々が国境を越えて商業ネットワークを構築する助けとなる一方で、山はお互いの交流を妨げる要因となります。
ただし、海と山には共通点もあり、他国からの侵入を抑制する「防波堤」の役割を果たしています。実際にモンゴル帝国は東欧まで拡大しましたが、インドへの進出は難しかったようです。さらに急峻な山地は地域を孤立させやすく、少数民族による独自の文化が発展する場合もあります。
一方で、山に比べて平地は防衛が脆弱です。
ポーランドは南部に2000メートル級の山脈を持ちながらも、国土の大半が平野で占められるため周辺国からの侵略を受けやすく、18世紀には国家が一時消滅した時期もありました。
このように、地図を見る際には山や平野などの地形に注目することが重要です。
自分たちの海を持つ【閉鎖海】
閉鎖海とは地政学的な観点から、特定の海域が一つの国の支配下にある状態を指します。この種の海域は内海とも呼ばれます。
古代ローマによる地中海支配が典型的な閉鎖海の例です。
紀元前2世紀にはライバルのカルタゴとの戦い、前1世紀にはエジプトとの戦いに勝利したローマは、地中海を自国の領海とします。これにより、ローマは地中海で優越的な地位を確立しました。
同様に、19世紀から20世紀にかけてアメリカはカリブ海を閉鎖海とすることに成功しました。アメリカ=スペイン戦争での勝利により、スペインからプエルトリコを併合し、独立したキューバを保護国としました。さらに、パナマ運河の管理権を獲得し、アメリカはカリブ海諸国を政治的・経済的にも支配しました。
閉鎖海を支配する利点として、その海域の防衛に必要な軍事力を最小限に抑えることが挙げられます。これにより、他の海域を支配するための余裕のある軍事力を維持できました。
アメリカはカリブ海を支配することで、その海軍力を基盤としてグアムやフィリピンを拠点に、太平洋方面にも勢力を伸ばすことを考えました。
大国同士の直接衝突を防ぐ【緩衝地帯】
緩衝地帯とは、大国同士の直接的な衝突を防ぐ役割を果たす小国や地域を指します。
19世紀の東南アジアでは多くの国々が欧州列強の植民地となりましたが、タイだけはそれを免れています。当時のタイはビルマ(イギリス領)とインドシナ(フランス領)に挟まれ、いつ侵略されるかもしれない状況でした。
しかし、1896年にイギリスとフランスはタイの領土を巡る紛争を避けるためにチャオプラヤ川流域を緩衝地帯とすることで合意します。これは、北米やインドで植民地戦争を繰り広げた両国が同じ事態を避けるための措置でした。タイでの紛争を未然に防ぐために緩衝地帯が設けられたのです。
タイが独立を維持できたのは近代化を早くから進めたことも一因ですが、地理的条件も大きく味方してくれています。
ただし、緩衝地帯は大国の対立を抑える場として期待される反面、実際には紛争が起こりやすい地域でもあります。このような地域に自国の影響力を広げることで、対立する国に対して有利な立場を築こうとする動きが起こるからです。
また、緩衝地帯にある小国は中立を保つことができると言っても実際にはどちらかの大国の影響下にあることもあります。冷戦時代にソ連の影響下にあった東欧諸国がその典型的な例と言えるでしょう。
資源を持っている国、持たざる国
長い間、人類は鉄や銅などの鉱山資源を製造の原料として使用してきました。
18世紀後半には石炭や石油、天然ガス、ウランなどの資源が、エネルギーや輸送のために使われるようになりました。これらの資源は埋蔵地が限られている特性を持っています。
そのため、資源豊富な国々はこれらを主要な輸出産業とすることができます。また、「資源外交」という言葉通り、資源を持たない国々に対して外交手段としても利用されます。
最近ではウクライナ侵攻による経済制裁で、ロシアが原油大国として国際社会に影響力を行使しているのは周知の通りです。ただし、石炭に関しては世界中に比較的均等に埋蔵されており、政治的な駆け引きが少ない資源とされています。
一方、石油は西アジアやアフリカなどに偏って埋蔵している傾向にあり、産油国はこれを自国の国際的存在感を高める手段として利用してきました。1970年代の石油危機が象徴するように、産油国の行動が国際社会に影響を及ぼす場面が何度も生じました。
21世紀に入ると、シェール革命によりアメリカでシェールオイルの生産が急増しました。これにより産油国の力関係が大きく変動し始めています。また、将来的には脱炭素化の動きが進展すると見込まれています。
したがって、これらの出来事がエネルギー資源に関連する地政学的な状況にどのような影響を及ぼすのかについて注視する必要があります。
気候が地政学的に影響を及ぼす
世界は、様々な気候帯に分かれています。中でも農業に適した気候は、地中海性気候、温暖冬季少雨気候、温暖湿潤気候、西岸海洋性気候の4つです。
「ハートランドを制する者は世界を制する」という言葉は、気候の観点からも意味があります。
ハートランドの大部分は冷帯湿潤気候に属し農業には適しません。また、ロシアなどのハートランド地域は鉱山資源が豊富ですが、極端な気候のために人口密度が低く、資源開発も遅れがちです。
大国となった多くの国々は、農業に適した気候区分に属しています。ただし、気候は時間の経過と共に変化し、各国の地政学的条件や国際情勢に影響を与えてきました。
紀元前2世紀から3世紀にかけてのシルクロードの繁栄は、中央アジアの温暖で降水量の多い気候に支えられたオアシス都市の成長に起因していました。しかし、急激な寒冷化によりアジア内陸部は乾燥化し、シルクロードを通じた貿易は衰退しました。
3世紀ごろからの中央アジアの乾燥化はシルクロードの衰退だけでなく、モンゴル高原に住むフン族が豊かな土地を求めてヨーロッパ東部に移住する原因となりました。
これに伴い、ゲルマン民族の大移動が始まり、その後ゲルマン人がローマ帝国に侵入し、崩壊を招く結果となりました。西ローマ帝国は476年に滅びます。
このように、歴史は気候の変動とも密接に結びついており、現代の地球温暖化も地政学的な状況に影響を及ぼす可能性があります。その影響が顕在化するのは私たちがいない遠い先の未来になるかもしれませんね。
今も昔も宗教を巡って人は対立してる
世界の歴史は、宗教戦争の影響を受けた部分が大きいと言えます。
キリスト教とイスラム教の激しいぶつかり合いを見る十字軍遠征や、カトリックとプロテスタントの間の紛争が繰り広げられた16世紀のユグノー戦争など、宗教を巡る戦争は歴史の中で大きな位置を占めています。
これらの宗教的な衝突は、アジア内でも起こってきました。
第二次世界大戦後、インドが独立する際には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立から、インドとパキスタンが分離独立しました。その後も両国は何度かの武力衝突を経験しています。
宗教問題は今でも国際的な紛争の火種となっており、世界中で異なる宗教や宗派の対立が紛争を引き起こしています。そのため、地政学的な分析を行う際には宗教の視点を無視することはできません。
例えば、1949年にカトリック教徒の多いアイルランドがイギリスから独立しましたが、北アイルランドにはプロテスタント系の住民も住んでおり、これが対立を引き起こしました。同様に、イスラム過激派による欧米でのテロ事件も、異なる宗教的価値観の対立を示しています。
グローバル化が進む現代においては、異なる宗教を持つ人々が共存するための課題が増えており、宗教間の対話と融和の重要性が一層高まっています。
長くなりましたが、以上のことを頭に入れて地政学の記事を見ていただければ、また違った方向で歴史を見て行く事が出来ると思います。