なぜアメリカは世界の警察をやめようとしているのか??
これまでアメリカは、テロとの戦いや民主主義と自由を大義名分に世界各国の紛争や問題に介入し米軍を派遣してきました。
そのためアメリカは【世界の警察】と呼ばれるようになります。
ところが2013年にオバマ大統領が「もうアメリカは、世界の警察官ではない」と演説で発言したようにアメリカの介入政策が消極的になりました。その後のトランプ政権も同様の発言をしています。
これまでのアメリカの介入政策は多くの国々からの反発も強く、ブッシュ(子)政権の時に国際社会の了承も得ず独断で軍事介入を行なったことで単独行動主義などと強く非難されていました。
しかし、アメリカが世界の警察を完全に降りてしまうことで世界の混乱を招くことになります。実際にオバマ大統領の発言以降、ロシアのクリミア編入や中国が東シナ海や南シナ海への海洋進出が加速しています。
そこで今回は、アメリカはどうして世界の警察をやめようとしたのか?どうして今まで世界の警察を続けてきたのか?を書いていきたいと思います。
18世紀のアメリカは孤立主義だった
アメリカは、イギリスとの独立戦争に勝利して1873年に独立を果たしました。始めは東部の13州だけの小さな国で、北アメリカの大陸のほとんどはまだイギリスとスペイン・フランスの植民地でした。
アメリカは、この植民地を領土割譲、買収などを経て領土を拡大していきます。メキシコ領だったテキサスは強引に合併したことで、1846年にアメリカ=メキシコ戦争が起こりアメリカが勝利します。この勝利の副賞としてカリフォルニアも手に入れ領土として編入しました。
1823年、アメリカのモンロー大統領はアメリカ大陸への西洋諸島の干渉を排除し、大陸での領土拡大を円滑に進めていくため、アメリカへの再植民・干渉を許さない代わりに「アメリカもヨーロッパに干渉しない」とする【モンロー宣言】と呼ばれる外交政策を発表しました。
こうしたアメリカの領土拡大政策を支えていたのが【マニフェスト・デスティニー】という考え方です。
アメリカの移民たちのほとんどはイギリスからのピューリタンで、彼らは聖書の教えに基づいて国を作ろうとしていました。その理想国家を作り大きくしていくには【神に与えられた使命である】という考え方がマニフェスト・デスティニーです。
こうして18世紀のアメリカは北アメリカの数々の地域を編入し、領土を拡大しつつ他国の不干渉を貫く孤立主義を貫きます。
ところが、やがて時が過ぎ、広大な領土を獲得したアメリカは孤立主義に縛られる必要が無くなると、今度は建国以来の【民主主義と自由の国】という理念を世界に知らしめるのを使命として介入主義に転じていくことになります。
第二次世界大戦をきっかけに介入政策を行うように…
オバマ政権以降のアメリカは、世界の警察として介入政策に消極的になりましたが、それまでのアメリカはむしろ積極的に介入政策を行ってきました。
アメリカが介入政策を積極的に行うようになったのは、1941年の第二次世界大戦以降の事です。
上述したように20世紀前半までは「アメリカはヨーロッパに干渉しないからヨーロッパもアメリカに干渉するな」という立場であり、1914年に第一次世界大戦が勃発した時も、アメリカは中立を保っています。
しかし、1915年にドイツの潜水艦がイギリスの客船を無警告撃沈し、アメリカ人128名が犠牲になった事をきっかけに、国内で反独感情が高まりました。さらに1917年に再び無警告撃沈を始めると、アメリカも重い腰を上げ連合国側に付き参戦決意をしました。
第一次大戦後に創設された国際連盟はアメリカのウイルソン大統領の提案で作られましたが、アメリカ国内ではまだ孤立主義の人達も多かった事から不参加を表明しました。
第二次世界大戦もアメリカは、1941年の日本による真珠湾の攻撃されるまで中立を守っていたのですが、戦後は世界一の大国となり世界の警察を自認することになりました。
そういう意味では、このアメリカの介入政策のきっかけを作ったのは日本だとも言えますね。
冷戦時代は自由と民主主義を守るため
冷戦時代のアメリカは「自由と民主主義を守る」ことを使命に色々な国際問題に介入してきました。
ケネディ大統領も、1961年に「我々は自由の既族と成功を確保するならいかなる代償も重荷も背負い、いかなる困難も受け入れ、いかなる友人も援助し、いかなる敵にも立ち向かう」と述べています。
ここでの友人とは民主主義国家のことであり、敵とは共産主義陣営のことです。
この頃のアメリカは、共産主義勢力を民主主義の敵と捉えており、ある国が共産主義化すれば、隣国も共産化するのでこれを食い止めると言う理論で外交政策を行っていました。
アメリカが朝鮮戦争やベトナム戦争に介入したのも共産主義の拡大を防ぐためで、共産主義を抑えるためなら独裁国家をも支援していました。
朝鮮戦争で味方した韓国は、李承晩大統領が独裁政治を行なっていますし、ベトナム戦争で味方した南ベトナムは汚職や不正が横行した政権でした。
一見するとアメリカが推奨する民主主義に相反する政権でしたが、それよりも共産主義の駆逐を優先した政策だと言えます。
このように冷戦時代のアメリカは民主主義と自由を守るためと掲げながら、国民を抑圧する独裁政権を支援するなど矛盾した様な政策を行なっていたのです。
同時多発テロ後に介入政策を加速させるブッシュ大統領
アメリカは冷戦終結後、唯一の超大国として各地の軍事紛争に介入していました。
クエートに侵攻したイラクには湾岸戦争を、2001年の同時多発テロでは、ブッシュ大統領がテロとの戦いと宣言しアフガニスタンへの攻撃を開始しました。
2003年には「イラクのフセイン大統領が大量の破壊兵器を保有している」と言って国連の承認を得ずに湾岸戦争を開始しました。
パパブッシュは湾岸戦争を、子供ブッシュはイラク戦争を開始しました。親子そろって戦争を始めた大統領ですね。
このブッシュ政権では「自由主義や民主主義と言ったアメリカの理念を浸透させるためには、軍事力行使も辞さない」と考える人たちが主要ポストを占めていました。
イラク戦争を前にしてラムズフェルド国務長官は「戦争は5日ないし5週間くらい、5か月あれば十分だろう」と発言していました。しかし、終わってみれば8年かかり、米軍撤退後もイラク情勢は混乱し、イスラム過激組織【イスラム国】を生み出す結果となりました。
アフガニスタンに至っては、いまだ米軍が撤退ができずタリバンとの戦いを続けています。
こうした軍事介入によってアメリカ国民がうんざりしていたところから、その後のオバマ・トランプ大統領の誕生へとつながっていきます。
オバマ大統領は国際協調路線を目指す
2009年~2016年のオバマ大統領政権ではアメリカが各国と協調して世界の秩序を守っていく国際協調路線を推進していました。
アメリカは、前政権下からイラクやアフガニスタンの平和や民主化を進めるために、米軍を派遣していましたがいつまでたっても情勢が安定しましせんでした。
現地ではたくさんの米兵が命を落としますが、現地の人からは反米感情が高まる一方でした。アメリカ国内でも批判が強くなり、オバマ大統領は国際戦略の見直しを図りました。
その見直しの政策は、中東への関与を薄める一方でアジア優先の政策を行う事でした。
中国の台頭が著しいアジア地域で、アメリカは引き続き影響力を保持する事を目的にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の枠組みを作りました。TPPを決める際にオバマは「我々がルールを決めなければ中国がルールを確立してしまう」と述べています。
ところが、その間に中東ではシリアの内戦が勃発。この内戦で、オバマは「シリアのアサド政権が化学兵器を使用した場合、レッドラインを越えたとみなす」と発言し軍事行動を示唆しました。
その後、シリアによる化学兵器の使用が確認されましたが、軍事介入をためらったために国際社会からは弱腰と批判される事になります。
オバマによる【アメリカは世界の警察でない】の発言は、この時期に飛び出した発言で、この発言以降ロシアと中国の勢いをつかせる結果となったのです。
トランプ第一主義の外交政策
トランプ大統領時は「世界の秩序を守るために使われるお金は自国の為に使うべきだ」と、オバマ政権とはまた違った視点での世界の警察否定をしまいた。
しかし、2017年4月にはシリアのアサド政権が科学兵器を使用したとして軍事攻撃を断行。また、2018年6月には、北朝鮮の非核化を目指して米朝首脳会談を実現しました。
これらの行動を踏まえると、今でもアメリカは世界の警察を担っているようにも思えますし、18年~19年までの国防予算は、過去9年間で最大規模にもなっています。
この米朝首脳会談はアメリカと北朝鮮の首脳会談としては史上初となるのものでした。
一方で、トランプ外交では世界の秩序構築よりも自分の支持者を喜ばせる事を優先させるケースが見受けられました。
わかりやすい例では、イスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移した件で、これまでアメリカはパレスチナ問題の仲介役を担おうといてきましたが、このトランプの行動は、アメリカがエルサレムをイスラエルの首都だとはっきり示すことになりました。
こうして、トランプ大統領はアメリカ第一主義もといトランプ第一主義の考え方で行動し、これまでの世界の秩序を守るために様々な問題に介入する大義名分を覆す政策をしてきました。
戦後アメリカ大統領の政策
大統領 | 当時の出来事・政策 |
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ルーズベルト(民) 1933-1945 | 景気回復のためにニューディール政策を牽引。 第二次世界大戦は当初不介入だったが、日本による真珠湾攻撃により参戦を決定。 |
トルーマン(民) 1945-1953 | ソ連の政治的影響力を封じ込めるために、トルーマン・ドクトリンを発表。 ギリシャとトルコへの反共産援助を行う。 |
アイゼンハウアー(共) 1953-1961 | 日米安全保障条約を締結。米ソの関係改善 |
ケネディ(民) 1961-1963 | キューバ危機でソ連と緊張が頂点に。在任中暗殺。 |
ジョンソン(民) 1963-1969 | 公民権法が成立。ベトナム戦争に介入し北ベトナムを爆撃。 |
ニクソン(共) 1969-1974 | ベトナム戦争によりドル不安からのドルショックへ。 ベトナムより撤退し。訪中し米中関係を改善。 |
フォード(共) 1974-1977 | ベトナム問題への不介入を表明。 |
カーター(民) 1977-1981 | エジプト=イスラエルの平和条約を仲介する。 米中国交正常化。イラン=イラク戦争 |
レーガン(共) 1981-1989 | レーガノミクス実施。 対ソ連強硬路線をとり、米ソ関係が悪化する。 |
ブッシュ【父】(共) 1989-1993 | 冷戦終結宣言【マルタ会談】 パナマ侵攻、湾岸戦争勃発。 |
クリントン(民) 1993-2001 | NAFTAの発効。 ベトナムとの国交樹立。パナマ運河を返還。 |
ブッシュ【子】(共) 2001-2009 | アメリカ同時多発テロの発生。 アフガニスタン攻撃、イラク戦争。 |
オバマ(民) 2009-2017 | イラクから撤退。キューバとの国交回復。 |
トランプ(共) 2017-2021 | TPP撤退。 イランへの制裁発動。史上初の米朝首脳会談実施。 |