色々な歴史

名刀正宗・妖刀村正と天下五剣と現在に伝わる逸話

歴ブロ

日本独自の鍛冶製法で作られた刀を『日本刀』と呼ばれています。

その歴史は平安時代末期に登場し、その寸法によって太刀・脇差・短刀に分類されています。一般的に武器として使用されますが、天皇や武士の権威の象徴や信仰・美術工芸品としての側面もありました。

武器使用しない現代では美術工芸品や文化財として扱われていますが、戦国時代でもその魅力に取りつかれ、伊達政宗なども刀マニアとして有名です。

以前、yahooニュースエキスパートの記事で刀狩りの記事を書いた時に触れましたが、戦後のGHQの政策で日本刀のほとんどが海外に流れてしまった事で、海外オークションなどで時折名刀が出品されることもあるのだとか…

しかし、現在でもわずかながら名刀・妖刀と呼ばれるものが日本にも残っています。そこで今回は、日本の名刀・妖刀を紹介していきましょう。

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妖刀はたくさんあるようで実は一種類しかない!?

出典:Wikipedia 村正が作成した短刀(室町時代)

日本の歴史上たくさんの刀を作ってきたのだから、その分多くの妖刀があるのではないかと思いますが、実際には違うようです。新選組の近藤勇は『今宵の虎徹は血に飢えている』と言っていたなんて話があるので【虎徹は妖刀なのか?】と怪しんだこともありますが違いました。

日本で妖刀と呼ばれているのが『村正』です。村正と言えば、徳川家と深い因縁がある刀として有名で、

  • 家康の祖父である松平清康が暗殺された時
  • 父・広忠も襲われた時

に使用された刀も村正でした。

時が流れ、家康の嫡男・信康と正室・築山殿が処刑された時に使用した刀もまた村正。また、家康本人も関ヶ原でケガをしたときに受けた槍、大坂の陣で真田幸村が投げつけた短刀も村正作のものでした。

これが徳川家と村正の血塗られた因縁で、この事から家康は村正と持つことを禁止しています。それがいつしか村正が妖刀と呼ばれるようなった所以だという事です。

以前、記事にもしていたのでよかったら読んでみてください。

日本刀と言えば名刀・正宗

出典:Wikipedia 金象嵌銘城和泉守所持 正宗磨上本阿

名刀と言えば鎌倉時代に生まれた正宗。物語やゲームなどにも登場し、日本刀と言ったら正宗と言うほどメジャーなブランドです。

正宗は斬る目的を超えた刀と言われ、正宗以上の名刀は以降出てこなかったとの事です。

有名な逸話では「落ちてきた一枚の枯葉に正宗を振りかざすと、枯葉を切ることなく避けた」なんていうものがあります。まるで枯葉を守ったかのようにすり抜けたのです。

本来刀は斬ってなんぼの武器です。正宗が決して斬れない刀ではなく、落ち葉はおろか木であろうとも簡単に切ってしまうほどの切れ味を持っていました。

ワンピースでもゾロが何でも切れるが切れない剣を目指していましたが、この正宗がまさにこう言った刀だったのでしょう。そういった意味で名刀と呼ぶにふさわしい刀だったと思います。

天下人の刀・宗三左文字(そうざさもんじ)

織田信長桶狭間の戦いの際に今川義元から奪い取った刀が『宗三左文字』です。

信長が本能寺で敗れると、豊臣秀吉が受け継ぎ所有していました。その後、秀吉から秀頼へ渡り、関ヶ原の戦いの後は徳川家康の手に渡りました。大坂の陣で家康がこの刀を帯びて出陣したと言われています。

戦国三英傑と言われた信長・秀吉・家康の腰に付けられた刀は後にも先にも宗三左文字だけでした。

菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)

新選組一番隊長・沖田総司が愛用したとされる刀が『菊一文字則宗』です。

とは言うものの、あまりの名刀に総司自身は実戦で使用していなったとされています。唯一の使用が戸沢鷲郎を斬った時で、その時に刀は刃こぼれ一つしなかったそうです。

実は、沖田総司が菊一文字則宗を所有していたのは作り話だと言われています。その理由が「菊一文字則宗があまりに貴重な刀で大名クラスでさえ手に入れるのが困難だった」と言われているからでした。

日本刀の中で特に名刀とされる天下五剣

画像はイメージ

天下五剣とは、日本刀の中で特に名刀といわれる5つの日本刀の総称で、【童子切・鬼丸・三日月・大典太・数珠丸】の5振の事を指します。

江戸時代の書物にその名が登場しますが、明確な登場時期などは不明で名刀5本の選定基準も『見た目』や『刀にまつわる逸話』ありきで選ばれたとも言われています。

童子切安綱(どうじきりやすつな)

源頼光が丹波国大江山の酒呑童子という鬼を斬ったという伝説によって、童子切という名前がついたと言われています。平安時代に作られた刀で、日本の国宝に指定されています。

鬼丸(おにまる)

鎌倉時代の執権・北条時頼が夢に現れる小鬼に苦しめられていたとき、太刀国綱が老翁として現れ、小鬼を退治したければ早く錆を取ってくれと時頼に訴えかけました。

早急に国綱の錆をとって部屋に立てかけておいたところ国綱が倒れ、火鉢の台に施された鬼の細工を切り落とし、それ以来、夢に小鬼は出てこなくなったそうです。

その後、この太刀を鬼丸と命名し、北条得宗家の宝刀として高時にまで伝わりました。その後は足利尊氏の手に渡り現在は皇室の御物として保管されています。

御物(ぎょぶつ)とは?

日本の皇室の私有品になっている絵画、書跡、刀剣の事。

三日月宗近(みかづきむねちか)

国宝に指定されている平安時代に作られら刀で、戦国時代には秀吉から正室である「ねね」に渡ったとされています。三日月の異名は、刃縁に沿って続く打ちのけが三日月のように見えることから付けられた名前です。

数珠丸(じゅずまる)

数珠丸は鎌倉時代の備中の刀工、青江恒次によって作られた刀で、日蓮が所有してた守り刀だったそうです。江戸時代に、一時期消失していましたが、大正8年に華族の競売で発見されました。

大典太(おおてんた)

大典太は平安時代に作られた刀です。

室町幕府の初代・尊氏の愛刀として足利氏の家宝だったが、足利義昭が豊臣秀吉に送ったとされています。その後前田利家に贈られ、病気の治癒と切れ味に関する伝承が残されています。

以上のように天下五剣は、鬼丸が御物(皇室の所有品)以外、国宝や重要文化財に指定されています。東京国立博物館で展示されることもあり、多くの人が訪れているそうです。

他にも天下三名槍と呼ばれるものもあり、本多忠勝が愛用した蜻蛉切もそのうちの一本にはいっています。

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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