徳川家を呪うと言われている妖刀村正伝説
村正と言えば、日本を代表する名刀として多くの武士たちから愛されてきました。
その最も愛されたのは、凄まじいほどの切れ味で生産地から近い事から特に、三河武士を中心に人気があったと言われています。
三河と言えば、徳川家康のお膝元として徳川家家臣たちも村正を帯刀していました。しかし、徳川家康は家臣たちに村正の帯刀を禁止するようになります。
実用性に富み、切れ味が良い事から、実践でも大いに役に立つであろう村正がどうして禁止されたのか?
それは、村正が妖刀を呼ばれおり、徳川家との因縁があるからと言われています。
村正とは?
室町時代から江戸時代にかけて伊勢国桑名にあった刀工集団の事を村正と呼んでいました。彼らによって作られた刀が【村正】と呼ばれています。
村正は、観賞用の美しい刀というよりは、片手持ちや脇差、槍などの実践で役に立つ刀を作ることに重点を置いており、目利きの評価としては日常使いの品物として価値をつけられていました。
正宗が天下の名刀なら村正は天下の業物と呼ばれていました。
徳川家康の祖父・父・息子・妻の死因が村正!?
なぜ村正が妖刀なのか?
それは、徳川家康の祖父・父・息子・妻が同じ【村正】で斬られていたからとされています。
1535年に三河国を統一した家康の祖父・松平清康は、斎藤道三と組んで尾張の守山城を攻めようとしている中で家臣・阿部正豊により広忠の父・松平清康が惨殺されました。
この時に使われた刀が村正でした。
家康の父・宏忠も村正の餌食に…
その後、清康の子・宏忠が松平家を継ぎますが、まだ幼かったので家中をまとめる事が出来ず、大叔父に当たる松平内膳信定らの謀略によって三河を追い出されてしまいます。やがて、駿河の今川義元の支援を受けて三河に返り咲きますが、今川氏に対する従属を余儀なくされます。
西からの織田氏からの侵略と東の今川氏との突き上げの板挟みに翻弄されながら、松平氏の独立を取り戻すために宏忠は奔走しました。しかし、1549年に側近が突如発狂し身につけていた「村正」の脇差を抜いて広忠を刺し殺してしまいます。
この時、広忠は享年24歳、遺された竹千代(家康)はたった7歳で織田家に人質の身でありました。
家康の嫡男・信康も村正に
祖父と父も村正に斬られた家康ですが、嫡男である徳川信康もまた村正の餌食になってしまいます。
1579年に信康に嫁いでいた信長の娘・徳姫と信康の生母である築山殿の嫁姑問題がこじれ、母に味方する信康ともども徳姫が父である信長に「信康と築山殿が武田勝頼と内通している!」と愚痴をこぼします。
これにキレた信長が信康と築山殿の極刑を要求し、当時信長を敵に回したくなかった家康は、泣く泣く二人を処刑したのでした。
その際の介錯人には服部半蔵を指名しましたが「主君の命令といえども、主君のご嫡男に刃を向けることなどできません。」と辞退したため、検屍役であった天方山城守道綱が代行する事に…
この時、道綱の使用していた刀が奇しくも「村正」だったのですが、それを後から知った家康は「村正は我が徳川家に怨みでもあるのだろうか。今後、村正の帯刀を禁止する。もし持っている者がおれば、すべて打ち捨てるように」と家臣達に言ったそうです。
徳川家康との間に起こった妖刀村正との因縁
- 家康の祖父・清康が殺害されたときの刀が村正
- 父・広忠が岩松八弥に襲われたときの刀も村正
- 嫡男・信康が死罪になり介錯に使われた刀も村正
- 妻・築山御前を小藪村で野中重政が殺害して斬った刀も村正
- 関ヶ原の戦いの際、家康が怪我をした槍も村正
- 大阪の陣において真田幸村が徳川本陣を急襲した際、家康に投げつけた短刀も村正
というように家康と村正には切っても切れない因縁みたいなのがあったようです。
妖刀と呼ばれる所以
当時の刀業界において村正は高級ブランドと言うより、ユニクロのようなスタンダードなものでした。そのため、ひときわ鋭い切れ味で実用性を追求しているのが村正だったのです。
村正の妖刀伝説は、家康自身が作り上げた訳ではなく、江戸後期の歌舞伎などの妖刀村正の演目が作られ大変な人気を博しました。その結果、幕末の頃には村正の伝説は庶民の間に完全に定着し「村正=徳川に祟る妖刀」という図式が完成していたようです。
そのため、倒幕を志す者にとって村正は「徳川に仇なす刀」=「倒幕を達成するための縁起物」と解釈され大人気商品となりました。
そのため、由井正雪や倒幕派の志士が帯刀してた村正は、逸話→伝説ではなく、むしろ伝説→逸話でありゲン担ぎのために使用していたようです。
切れ味が測定できない村正
戦前にある研究者が、刃物の切れ味を数値化する測定器を作り、皆が古今東西の名刀をその研究室に持ち込み測定を行いました。各名刀の性能は概ね通りの結果だったのですが、なぜか村正だけの数値が安定せず、測定するたびに変化したのです。
まさしく、持つ者の心によって切れ味を変える妖刀そのものです。
斬られると他の刀とは違う痛みが伴う
刀研ぎ師によると、村正を研いでいると刀身を握るための布がザクザク切れる。研いでる最中、他の刀だと切れて血が出てから気が付くが、村正だと他にはない痛みを伴う。と言っています。
現在、国宝指定されている刀剣には村正はありません。
その理由とは、芸術品としては見てくれが悪いからだと言われています。華やかで美しい正宗に比べると地味な印象はぬぐえません。やはり、見た目よりもその実用性・人を斬ることを追求した結果になるのでしょうか?