【図解】重商主義はどう変わった?重金主義→貿易差額主義の流れと歪み
古代ギリシア以降、経済思想に関しては色々ありますが、近代経済学に繋がる近世ヨーロッパの体系的な経済思想のはじまりと言えば重商主義です。
重商主義といっても時期によって中身が少々異なります。
ここでは、重商主義の初期に見られた重金主義と、その後主流となった貿易差額主義の違いと問題点をイラスト付きで整理していきます。
重商主義とは?
重商主義の始まりはおおよそ大航海時代にまでさかのぼります。
当時、いろいろあって教会や領主たちの発言力が低下中。しかもイベリア半島(スペイン・ポルトガル)ではレコンキスタ(国土回復運動)が終わって宗教熱が高まっていた一方で、ほかのヨーロッパでは教会の腐敗から後の宗教改革につながる萌芽が生まれ始めていました。
教会や領主たちの発言力低下の背景については主権国家の誕生と絶対王政の記事に載ってます。
国王たちにとっては王権拡大の大チャンスでもあり、なおかつ宗教を広めようという思惑などもあってスペイン・ポルトガルから大航海時代が開始されます。

発言力を高めるためにはいつの時代もどの国でも(多少比率は変わりますが)
- 資金力
- 軍事力
- 正当性・大義名分
が揃うほど高まりやすくなります。
さらに諸侯や騎士が複数の主君に仕えて主従関係を結ぶ封建社会が衰退し、王権が強まっていく過程で領主が争いながら、国王・皇帝たちはその存在感を増していきます。

国王を中心とした国づくりが出来上がっていくと戦争も徐々に変化。
王権拡大の中で起こっていたような 領主 vs. 国王といった比較的小規模なもの以外に、シャルル8世の侵攻による大規模動員+砲兵が投入されたイタリア戦争のような以前よりも複数の国が関わる戦費が増えるタイプの戦争が増えました。「資金集め」が以前よりも大きな意味を持つようになっています。
当時の人口構成上、多くは農民でしたが、天候や土地に左右されやすい農業よりも商工業の方が「政策で増やしやすい」と考えたのでしょう。
国王たちは資金を獲得する仕組みとして、商工業に繋がりそうな探検家や業者に航海許可や独占権、交易拠点の確保、武力行使の許可などお墨付きを与える代わりに上納金や手数料を支払わせるなどして国庫にお金が集まりやすい仕組みを作り上げていきました。
こうした商業を重視し、国が経済に介入して自国を豊かにしようという考え方を重商主義と呼んでいます。
具体的にどんなひずみが生まれたかを見てみよう
実際に重商主義で生まれた歪みに移ろうと思いますが、そもそも「重商主義」にも段階があります。段階ごとに問題点が違うので、それぞれ紹介していきます。
重金主義
早い段階で王権が比較的強かったスペイン・ポルトガルなどは、国力の裏付けを金銀の蓄積に求めました。いわゆる重金主義です。

重金主義はポトシ銀山などの発見による銀の流入で加速し、貨幣量の増加は物価上昇を通じて貨幣の購買力を下げる副作用も生みました。
他方、金銀の国外流出を防ぐために輸出を制限・禁止する政策もとられましたが、流出を完全に止めることができず、スペイン経由で他のヨーロッパにも銀貨が広がり、物価上昇の影響も広範囲に及ぶようになっていきます。

それに加えて、戦争が続いたスペイン(ハプスブルク家が統治)では、戦費や債務返済、輸入代金の支払いなどを通じて銀が大量に国外へ。こうしてヨーロッパ各地に広がったことも、16世紀の物価上昇(価格革命)が広範囲に及んだ背景の一つです。
重金主義の発想が銀の大量流入と結びついてインフレを加速させる一因になったわけですね。
貿易差額主義

貿易差額主義とは、輸出額>輸入額の状態を作り、国富となる金銀を蓄えていこうという考え方。その結果、市場や原材料確保のための植民地競争が激化し始め、財政負担が重くなりました。
こうした状況の中で、次のような問題が目立つようになります。
- 民衆は賃金が安く抑えられたまま賃金が増えず生活が苦しい
- 関税や禁制によって輸入品の供給量が少なく価格高騰、選択肢が狭まる
- 植民地獲得競争で戦争が重なると戦費確保のために税が高くなる
- 戦争や海上封鎖などの影響で商品が入りにくく、物価が不安定に
加えて重商主義で説明したような国家が介入して独占権や特権といった恩恵を受けられる層と負担を強いられる層があからさまだったことも不満を強めました。
こうした問題意識の中、貿易に国家介入を良しとしない考え方が育っていったのです。
そんな背景から登場したのが重農主義。「国家が経済を細かく動かすのではなく、自然の秩序に沿って自由に回すべきだ」とするものです。こちらは次回の記事で紹介していきます。




