主権国家の誕生と絶対王政<15世紀~>【ヨーロッパ史】
主権国家とは
国境に囲まれた国土を持ち、自分の国を自分達で決定できる権利を持つ
国のことを指しています。
自分たちの国のことを決める存在が王様の時には絶対王政と呼ばれました。議会のような合議体により国の方針を決める国もあります。
そこには、近世に入ってヨーロッパで起こったルネサンスや宗教改革を通じて「それまで絶対的だったカトリック教会や神聖ローマの権威が動揺するようになっていた」という背景が隠れていました。
いくら国であっても中世ヨーロッパでは教会の意見もだいぶ国の運営に絡んでいましたからね。
今回は、そんな主権国家と強い王様による国家運営がなされた絶対王政についてまとめていきます。
絶対王政が誕生した頃のヨーロッパの様子は?
十字軍遠征の失敗で
- 教会
十字軍言い出しっぺのため、失敗に終わって発言力が低下した - 皇帝/国王
十字軍遠征の資金調達制度を作り上げられる立場だったため、地位向上 - 諸侯/騎士
領地を留守にすることが増えて荘園内での影響力が低下。
遠征先では国王指揮下に入ることを余儀なくされた結果、その地位は低下。
といった変化が起こりました。
一方で、遠征が理由で道路やお店が整備されるなど商業は発達。
商業の発達でお金を獲得できる手段を持つ商人を含む一般市民たちの地位は少しずつ向上していきます。そんな彼らの地位をさらに押し上げたのが国王です。
王権が強くなった背景を見てみよう
封建社会が崩壊して王の権力が高まっているとは言っても、領主である貴族や聖職者といった免税などの特権を持つ昔ながらの身分制度は残ったままでした。
国王は旧来の既得権益を持たない層の力をつけて相対的に領主達の力をなくそうとします。商人や金融業者などの社会的地位を向上させるために経済上の独占権を与えるなどして規制緩和を進めていきました。こうした商人や金融業者などは有産市民層(=ブルジョワジー)と呼ばれています。
※騎士の一部は地方で地主化し、地代を受けて有力階級にのし上がる者も出てきたようです。
その結果、より効率的に確実に商品を手に入れるため、商人が手工業生産者に道具や原料を前貸しして生産する問屋制(といやせい)が広まりました。
さらには資本家が多数の労働者を一つの仕事場に集めて、分業方式で製品を作るマニュファクチュア(工場制手工業)の形態も見られるようになります。より近代的な働き方につながる働き方が生まれてきたのです。
例えば、イギリスだとマニュファクチュアの発達は中世末期15世紀にまでさかのぼると言います。
より力を持つようになった市民層との協調関係を強めることで、思惑通り国王たちはより権力を高めることに成功したのです。
一方で、市民層の中からも王権に批判的な勢力も誕生しはじめていくのでした。
各国の政治的緊張の高まり
強い国王を有した国家の中から探検事業を試みる国が出てきました。多額の金銭が必要になるため、反対意見を押しのけてでも事業を進められる権力を持つ国じゃないと探検事業を進められなかったのです。
この動きに最も早く動いたのがポルトガル。続いてスペインとヨーロッパ諸国では大航海時代に突入します。その後、有力諸国が競って新大陸やアジアへの海外進出に乗り出しました。
この動きで港湾都市を中心に資金を持つブルジョワジーが増加。問屋制がますます広がるループが出来上がっていくわけです。
さらに16世紀前半の宗教改革が起こると、各国で宗派をめぐる内戦が起こったり弾圧したりが続いて軍事的、政治的緊張が高まります(裏で他国が宗教対立を煽るようなこともありました)。
そのうえ、軍事的脅威はヨーロッパ内に限りません。
ヨーロッパよりも東側。1453年にコンスタンティノープルを陥落させたアナトリア半島を本拠地とするオスマン帝国の軍事的脅威が迫ってきます。
そうした緊張が高まる中で、最初に戦争に発展したのは教皇領・ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィア・ナポリなどをはじめとする小国に分裂していたイタリア半島です。
このイタリアを舞台にしたイタリア戦争の他、宗教改革や海外進出に絡んだヨーロッパ諸国の国内外で争いが起こるようになっていったのでした。
王権神授説
上記のような動きと共に国王の権力をさらに高めたのが『王権神授説』です。
16~17世紀のヨーロッパ世界に大きな影響を与えた王権は神から賦与されたものとする考え方です。
フランスの場合、16世紀のユグノー戦争が起こった頃に活躍した思想家で『国家論』の著者ボーダンが、イギリスではスチュアート朝初代国王ジェームズ1世や次代チャールズ1世の臣フィルマーが王権神授説を唱えています(そうした王権の絶対化に反対した議会との対立が悪化し、クロムウェルが台頭します)。
この思想が絶対王政と結びつき、ますます王権を強めることとなりました。
主権国家の誕生
こうした思想や様々な戦いを経て、強い主権を持つ統治者が誕生。自分たちのことを自分たちで決めることの出来る主権国家が複数成立し始めます。そうした国々は国際社会での話し合いを対等な立場で、互いに協力・対抗しながら利害調整を行うようになったのです。
こうして作り上げられた国際秩序を主権国家体制と呼び、現在まで続いています。