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イギリスの産業革命③/イギリス社会と世界に与えた影響

歴ブロ

18世紀半ばに始まった産業革命は新たな技術の導入として始まりましたが、実際のところ工業生産の6割を占めていたのはアジアのままでした。特に東アジアでは農工業の生産性や成長率はヨーロッパに引けをとらない値となっています。その経済成長を支えたのが勤勉革命と呼ばれる生産革命です。

それでもイギリスの産業革命のみが財や技術面といった一部の事象だけにとどまらず、社会全体に大きなインパクトを与えることになりました。

ここでは産業革命がどんな影響を与えたのかまとめていきます。

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資本家と労働者の登場

産業革命では、特に綿工業などの分野で資本家と呼ばれる経営者が多数の非熟練労働者を賃金雇用する形態が広がりました。「非熟練」なのは機械の開発によって職人でなくとも一定のクオリティの商品を作り出せたためです。

機械は使いこなすのに多くの労働者を必要とします。労働者を一か所に集めて商品を生産する機械制工場が出現しました。

機械や場所の確保など工場経営には多額の資本が必要という理由などから資本家たちは労働力を雇って商品の生産を行う際に利益の獲得と資本の拡大を目指します。いわゆる資本主義体制が確立し、格差は拡大していきました。

機械打ちこわし運動の頻発

機械が登場し、非熟練の安い給料でも商品を作り出せるようになったことで職人たちによる熟練の技の価値は大暴落。職人たちまでもが賃金労働者として工場で働きます。また、農業革命と第二次囲い込みで土地を失い、農村部から続々と流出する小規模農民。

誰でも働けて「代わりがいくらでもいる」という状況は労働者の立場を弱くしました。労働者たちは非常に安い賃金で酷使されています。

さらに賃金が安くて生活できなければ一人ではなく女性や子どもも職を求め、労働者になりたい人達は増え...と負のループに陥っていました。様々な労働問題が生まれています

ラッダイトたちの指導者

そんな中、労働者階級の人たちの一部は資本家階級への抗議としてラダイト運動(1810年代)と呼ばれる機械打ちこわし運動を展開しています。

工業都市の誕生

イギリスでは、17世紀末には人口の四分の三が農村部に暮らしていましたが、産業革命などを機に農村部から人手が流出。蒸気機関の改良と交通革命も人口の流動化を後押ししました。

工場は建設するのに広い敷地が必要で郊外に設置されたのですが、人々はその工場の周辺に居住するようになっています。代表的な都市がマンチェスターバーミンガムリヴァプールなどです。

結果的に19世紀末までにイギリスは都市に暮らす人口が全人口の四分の三まで押し上げられています。どれだけ農村部から人口が流出したか分かりますね。

同時に、劣悪な生活環境に身を置かなければならない貧困層が増え、社会問題となっています

考え方・働き方の変化

家族経営で行われてきた農村部での働き方から、機械を中心に大人数が集まって働く働き方に変わったことで人々の考え方・仕事への向き合い方が大きく変わっています。

農村部では正確な時間を気にすることなく農業に従事していましたが、工場で働く時は時間に正確に、規律を守って働くことが求められるようになりました。

それまでの熟練職人や小規模農民の生活スタイルは大きく変わり、歴史が「進歩」という軸に沿って進むという時間のイメージができあがったのでした。

資本主義的世界システムの成立

産業革命を経て綿糸・綿織物といった軽工業、さらに鉄や蒸気機関車、機械に至るまで様々な財が安価で大量に生産されることになりました。これによりイギリスは世界の工場としての地位を確立しています。

大量に生産された商品を生産するための原材料供給地と出来上がった商品を売り出すための市場を求めて世界各地に進出し始めました。

世界各国では

  1. イギリスから技術を導入し技術者を招いて機械など国内生産を行う
  2. イギリスで作った消費財を輸入する代わりに原材料や特産品を輸出する

対応を迫られることになります。

当然ながら①を選択する方がベストですが、各国の技術を導入できる下地の有無だけでなく政治情勢なども複雑に絡んで②を選ばざるを得ない国も多数ありました。

①の代表国がヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国、ロシア、日本などです。

1825年にイギリスが機械の輸出を解禁し、イギリス製機械を使った消費財の生産が行われるようになりました。イギリスと地理的に非常に近い位置にあるフランスベルギーでは1830年代には繊維産業を中心とした産業革命が他国に先んじて行われています。

少し遅れて導入されたドイツ諸邦では保護関税主義が多く、輸入を制限して国内産業を奨励する形(輸入代替型)で産業革命が進められていきました。既に他国で繊維産業が先行されていたこともあって国家や銀行の支持のもと重化学工業の技術革新が始まっています。

アメリカの場合は北部の繊維産業から始まり、南北戦争で国内市場が統一されて産業革命が本格化。ロシアは農村部に残っていた農奴制が近代化を阻んでいる原因だとしてクリミア戦争を契機に農奴解放が行われて近代化の道に進んでいきました。

日本では海外の技術や考え方を導入する際にひと悶着も二悶着も起こった末に近代化の必要性の認識が広まったのはよく知られているところです。

②にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの大部分が挙げられるほか、①を目指しながら導入に失敗した、かつての大帝国オスマン帝国も含まれています。

特定の商品や特産品に依存するモノカルチャー経済の沼に入り込む国が多く誕生します。

※オスマン帝国がヨーロッパに経済依存するようになった件は東方問題の記事で軽く触れています。

さらに、産業革命が出来た国々は市場として植民地化の圧力をかけていくことになります。その圧力をかけられた国の代表例が中国(産業革命時は清)です。

各国で以上のような変化が起きた結果、イギリスをトップとし後発的資本主義国、それ以外の地域という新たな序列が出来上がりました。

世界規模で経済の結びつきが強まって産業の一体化・分業・序列化の特徴が如実に表れた資本主義的世界システムが構築されたのです。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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