フランス革命はなぜ起きたのか?旧制度と財政危機から国民議会へ
『啓蒙専制主義とは?』の記事に書いたように、啓蒙思想は君主による「上からの改革」にも影響を与えていました。しかし、フランスでは事情が異なります。
フランスでも国王や政府が財政危機を乗り切るために改革を進めようとしましたが、その改革は旧制度の枠組みの中で行われたため、特権身分への課税や政治参加をめぐって身分制社会の矛盾が一気に表面化していきます。
そうした矛盾が表面化した背景には
- アンシャン=レジームと呼ばれる旧制度の存在
- 特権身分と第三身分の不平等
- 国家財政の危機
- アメリカ独立戦争支援による財政悪化
- 三部会で高まった第三身分の政治参加要求
がありました。
今回の記事では、フランス革命がなぜ起きたのかを、旧制度・財政危機・国民議会成立までの流れから整理していきます。
革命前のフランス社会――アンシャン=レジームとは
フランス革命前の社会を説明するとき、よく使われる風刺画があります。
そこには、腰を曲げた一人の人物が、聖職者と貴族を背負っている姿が描かれています。下で支えている人物は第三身分(平民)を表しており、彼の背中には第一身分である聖職者と第二身分である貴族が乗っています。
この絵は、革命前のフランス社会を非常にわかりやすく表したものです。
当時のフランス社会は、アンシャン=レジームと呼ばれる旧制度のもとにありました。アンシャン=レジームとは、フランス革命前の身分制社会や国王を中心とする政治体制を指す言葉です。
第一身分と第二身分は、社会的に高い地位を持ち、さまざまな特権を認められていた一方で、第三身分には重い負担がのしかかっていました。もちろん、聖職者や貴族がまったく負担をしなかったわけではありませんが...
第三身分には、農民、都市の職人、商人、裕福な市民層であるブルジョワなど、人口の大多数が含まれています。
先ほどの風刺画で、第三身分が二つの特権身分を背負っているのは、この不公平な構造を表しています。
つまり、革命前のフランスでは、人口の大多数を占める人々が社会を支えていながら政治的に十分な発言権を持っておらず、身分によって権利や負担が大きく異なる社会だったのです。
このような旧制度への不満が、フランス革命の大きな背景になっていきます。
財政危機と三部会召集
とはいえ、アンシャン=レジームにおける身分制の不満がすぐに革命につながったわけではありません。大きなきっかけとなったのは、フランスの財政危機でした。
フランスでは度重なる戦争や宮廷費に加え、アメリカ独立戦争(1775-83年/ルイ16世の治世下で発生)への支援なども重なって国家財政が苦しくなっていました。財政立て直しのために税制の見直しを進めようとします。
ところが、特権を持っていた第一身分・第二身分の聖職者や貴族は簡単に課税を受け入れませんでした。その中で「新しい税を認めるには三部会を開くべきだ」という主張が強まり、ルイ16世は1789年に三部会を召集することになります。

ただし、三部会が開かれれば問題が解決するわけではありません。従来通り身分ごとに投票するなら、第一身分と第二身分の意見が通りやすく、第三身分の主張は反映されにくくなります。
こうした不満が積み重なった結果、第三身分を中心とした人々により発足されたのが国民議会でした。
当時の財政危機には、ルイ16世以前からのフランス内部の状況や国際情勢も関係していました。詳しくは別の記事にも書いてあるので紹介しています。
国民議会の成立と球戯場の誓い
国民議会が成立する前段階にて、三部会で問題になっていたのが投票方法でした。
人口で圧倒していた第三身分は「国民の大多数を代表している自分たちの意見が通りにくいのはおかしい」、「身分ごとに投票するのではなく代表者一人一人による投票をするべきだ」と考えました。
1789年に刊行されたシェイエスの『第三身分とは何か』は「第三身分こそ国民を代表する存在だ」と主張し、大きな影響を与えています。
それまで各身分の議員数は同数だったものを、第三身分の議員数を倍増するところまでは話し合いで認めさせることは出来ましたが、議員数が増えても従来の身分別投票では不利なままでした。
各身分の議員たちが別々に審議し、身分単位で票を投じる方式だったためです。イメージとしては以下の通り。第一身分と第二身分の結論が同じなら、第三身分が反対しても意見が通らない仕組みになっていたのです。
- 第一身分(聖職者)で意見をまとめる→第一身分として一票
- 第二身分(貴族)で意見をまとめる→第二身分として一票
- 第三身分(平民)で意見をまとめる→第三身分として一票
第三身分の者たちは、議員一人ひとりに票を持つ形を求めましたが、この意見が通ることはありませんでした。
そして、三部会が機能不全状態になった末の1789年6月17日。シェイエスを中心とした第三身分の議員たちが組織した議会・国民議会が成立しました。その二日後には第一身分の国民議会合流が決議されています。
なお、第一身分の聖職者の中には元平民の者たちもいたため、そうした元平民を中心に国民議会に賛成していたようです。
そうした平民出身の聖職者の一人が『第三身分とは何か』のシェイエスです。そのうえで三部会では第三身分の代表として参加しています。
一方の第二身分は拒否。国王も聖職者と第三身分の合流を警戒し、第三身分の会議場は閉鎖されました。

会議場を使えなくなった国民議会の議員たちはヴェルサイユの屋内球戯場に向かうと、憲法が制定されるまで解散しないことを誓います。これが、いわゆる球戯場の誓い(テニスコートの誓い)と呼ばれるものです。
国民議会には第二身分の一部も加わるようになり、国王も国民議会を認めざるを得なくなりました。
さらに、同年7月9日には立憲国民議会(憲法制定国民議会とも)と改称され、いよいよ本格的な憲法制定の動きが始まっていくのでした。



