フランス

ケネーらによる重農主義とは?重商主義から自由放任主義へ

歴ブロ

これまで紹介してきた啓蒙思想は、人間の理性と自然の秩序を信頼し、それまで力を持っていた宗教や王権の権威を改めて検証しようとした動きのことです。啓蒙思想は政治や社会の領域に限らず、経済にも適用されていました。

今回紹介する重農主義は、それまでの絶対王政の権力を支え、近世国家の政策として広がった重商主義を批判したことから始まります。

国による保護・介入を良しとする発想から出てきた歪みを抑えるために出てきた考え方で、フランス出身のケネー(1694-1774年)を中心に生み出された理論で、彼の弟子テュルゴー(1727-81年)によって政策として推進されました。

ここでは、重商主義による歪みのおさらい、結果生まれた重農主義がどんなものか、なぜ重農主義がフランスで生まれたか?など迫っていこうと思います。

スポンサーリンク

重商主義で生まれた歪みを簡単に解説

重商主義は、国が産業や貿易を保護して国力を高めようとする政策でした。ところが介入が強まるほど、特権を得る側と負担を負う側の差が目に見えやすくなり、生活コストや税負担の重さが不満を生みます。

さらに植民地競争が激化すると、戦費と増税が重なって家計にも経済にも圧力がかかり、物価や供給の不安定さも広がりました。こうした状況の中で、「国家が細かく動かす経済」そのものを疑い、経済は自然の秩序に沿って自由に回るべきだとする重農主義が登場していきます。

まとめると以下の通りです。

  • 民衆は賃金が安く抑えられ、生活が苦しくなりやすい
  • 関税や禁制で輸入品が高くなり、選択肢が狭まる
  • 植民地競争で戦争が重なり、増税に
  • 戦争により物価が不安定に
  • 独占権や特権で利益を得る層と負担を負う層の差が目立つように

なぜ上記のような歪みが生まれたのかは下の記事でイラスト付きで書いてあるので、気になる方はご覧ください。

重農主義の誕生

重農主義は18世紀半ばのフランスで生まれた経済思想で、ケネーを中心に体系化されました。

重農主義の基本となったのは、重商主義が関税や独占、規制によって経済に強く介入し、国家財政や戦争を支える一方で、利害の偏りや生活負担の増大といった問題も抱えたことをふまえた新たな考え方です。

いわゆる「経済は本来、自然の秩序に沿って動くはずだ」という自由放任レッセフェール)ですね。

自由放任の考え方は「国家が細かな規制で人やモノの動きを縛るよりも、取引や生産の自由を認めたほうが社会全体の富が増えるだろう」という発想につながり、自由貿易に繋がりやすいものでした。

重農主義の特徴は、富の源泉を農業に求めた点にあります。工業や商業は重要ではあっても、それ自体が新しい富を生み出すというより、農業が生み出した余剰を加工・流通させる活動だと位置づけました。

こうした考え方から、重農主義は以下のような批判をしています。

  • 農業生産を妨げるような規制
  • 流通を阻害する関税・通行税、特権的な独占

さらに、穀物取引の自由化や国内市場の統一を重視しました。

また、経済の循環を一つの仕組みとして捉え、社会の各階層の間で富がどう移動するのかを説明しようとした点も重要です。

ケネーによる体系化『経済表』

経済表
経済表の初期の視覚化の図

ケネーが示した『経済表』は、農業で生まれた余剰が地主、農民、生産に関わる人々を経て社会全体に循環していく様子を図式化したもので、重農主義が「理論」として自覚的に組み立てられていたことを示しています。

れきぶろ
れきぶろ

地主には土地所有者からの地代という形で、農民や生産に携わる人々には賃金購買といった形で経済が流通していきました。

さらに、重農主義は租税のあり方にも踏み込みました。重商主義下の複雑な課税や特権身分の免税は、経済活動をゆがめ、農業の活力を削ぐと考えられたのです。

そこで彼らは、課税は最終的に農業の余剰にかかるのだから「税制はできるだけ単純化し、地主層への直接課税にまとめるべきだ」と主張しました。

こうした主張は当時のフランスの財政問題とも結びつき、テュルゴーの改革にも影響を与えていきます。重農主義はその後、イギリスのアダム・スミスらが展開した古典派経済学にもつながる議論を含み、重商主義から自由主義的な経済観へ移る過程の重要な段階として位置づけられました。

テュルゴーによる改革とは?

テュルゴー(1727–81)の改革は、重農主義の発想を「政策」に落とし込もうという試みです。時期はルイ16世の治世初期で、彼が財務総監(総監督官)として改革に動いたのは 1774~1776年ごろが中心です。

やろうとしたことは大きく分けて3つ。

  • 経済の流れを止めない
    穀物取引の統制を緩めて市場に任せようとし、穀物の流通・売買の自由化を進めた
  • 負担が特定の層に偏っている税制と特権の見直し
    身分や特権で負担に差が出る仕組みを問題視し、より単純で公平な形に近づけようとした
  • 労役の廃止と公共事業の財源の切り替え
    道路整備などで農民に課されていた強制労働(労役)を廃止。金銭でまかなう方向へ。

さらに、ギルド的な同業者組合の特権を弱め、営業や生産の自由を広げようとする改革も進めました。

一方で、反発も非常に強かった。

穀物自由化は短期的には価格上昇や不安を招きやすく、都市の民衆や統制を望む層の不満が噴き上がります。特権の見直しは当然、特権を持つ側の反対を呼びます。さらに宮廷内の政治闘争も重なり、テュルゴーは1776年に失脚しました。

結果として改革は途中で止まりましたが、「国家が経済を細かく縛るのではなく、自由化と制度改革で立て直す」という問題意識は、その後の議論にも影響を残します。

なぜフランスで重農主義が生まれたの?

重農主義がフランスで生まれたのは、農業が社会と財政の中心という土地柄にも理由がありました。農業人口が多く、税収も土地と農業生産に依存していたため、富の源泉を「土地・農業」に求める発想が現実と結びつきやすかったのです。

一方で、コルベール主義のような重商主義的な介入(関税・独占・特権)の蓄積が利益の偏りや生活負担を目立たせ、さらに不公平で複雑な税制が財政再建を難しくしていました。

こうした不公平や行き詰まりが目立つほど、「伝統や権威をそのまま信じるのではなく、理性で制度を点検し直す」という啓蒙思想も受け入れられやすくなりました。

重農主義自体が啓蒙思想の影響を受けて生まれた経済思想です。農業中心の社会構造、重商主義的介入の蓄積、不公平で複雑な税制といった条件が重なっていたフランスでは、こうした理論がまとまりやすい状況にありました。

スポンサーリンク
ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました