フランス

『法の精神』の著者モンテスキューは何をした人?【1689-1755年】<人物伝>

歴ブロ

今回紹介するフランスの啓蒙思想家・モンテスキューは現代の民主政治の基本原理・三権分立の考え方を『法の精神』で展開したことで知られています。

ここではモンテスキューのざっくりしたプロフィールや彼が活躍した頃の時代背景、当時の政治の問題点とそれを解決するための仕組みとして提案した三権分立がどのようなものか、その後、どんな影響を与えたのかを解説していきます。

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モンテスキューってどんな人?

モンテスキュー
モンテスキュー

フランスの思想家・法服貴族(司法官僚層)
生没:1689年〜1755年
主な活動:ボルドー高等法院(パルルマン)の職務経験
     欧州旅行(特にイングランド滞在)
代表作:『ペルシア人の手紙』(1721)
    『ローマ人盛衰原因論』(1734)
    『法の精神』(1748)

モンテスキューは、ボルドー地方の貴族階級で経済的にも非常に豊かな家の出身です。ボルドー大学の法学部を卒業。その後は法の実務にも携わり、ボルドー高等法院の判事・院長にも就任しています。

モンテスキューが生きた当時の時代背景

モンテスキューが生まれた当時は既にフランス絶対王政全盛期である太陽王ルイ14世(在位1643-1715年)の治世下にありました。

ルイ14世の治世下ではネーデルラント継承戦争(モンテスキューの生前1667-68年)プファルツ戦争(アウクスブルク同盟戦争・九年戦争/1688-97年)スペイン継承戦争(1701-14年)など大きな戦争が続いたほか、政治の道具として華やかな宮廷生活が演出され、王室の財政は非常に厳しくなっていきつつある時期に突入。税への不満や国家運営の不信感がたまりやすい状況下にあったのです。

加えて当時は貴族や聖職者には税制で有利な面があり、負担が偏りやすい社会でした。

第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)を担う第三身分
第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)を担う第三身分/

上のイラストは1789年、フランス革命期の風刺画ですが、身分制と特権、税負担の不公平への不満を象徴的に描いたものです。まさにモンテスキューも活躍していた「旧体制(アンシャン・レジーム)」時代の社会に通じます。

フランス以外にも目を向けてると、欧州各地で印刷物の流通やサロン・コーヒーハウスといった議論の場が増えて政治や社会を論じる空気が強まってきている時期でもありました。

そのうえ、イングランドでは1688年の名誉革命以来、王の権力が議会や法律で制限される政治体制が整っている状況です。絶対王政と比較しやすいモデルがフランスの隣国に存在していたのです。

モンテスキューの思想の特徴とは?

18世紀ヨーロッパの啓蒙思想は、昔からの決まりや権威をそのまま信じるのではなく、理性を手がかりに政治や社会のしくみを考え直そうとする考え方でした。

その中でモンテスキューが強みを発揮したのは、政治を「だれが、どの権力を持つのか」という制度の話として整理した点です。「権力が一か所に集まりやすい場面はどんな時か」そして「それを防ぐには仕組みをどう作ればいいか」を考えました。

こうした発想が、後の時代に権力分立と呼ばれる考え方につながっていきます。

主著『法の精神』の中心/権力分立の考え方について

権力分立の考え方を詳しく論じたのがモンテスキューの『法の精神』でした。中でも特によく知られている権力分立の具体例が、立法・行政・司法の三つに分ける三権分立です。

れきぶろ
れきぶろ

権力分立には三権分立以外にも…

  • 立法権を上院・下院で分ける(二院制など)
  • 行政権を分ける(大統領+首相など)
  • 連邦制/地方分権
  • 五権分立(孫文の提案、三権分立を改良)

他にも監査機関など政治の都合で動かしにくい「独立機関」を置いて権力を分離させる形なんかもあるようです。

立法機関・行政機関・司法機関が互いに全く関係のない状態というわけではなく、互いが互いに止めることのできる仕組みを作ることで、一つの機関に強力な権力が集中しないようにするという考え方です。

モンテスキューはその例として、王・議会・裁判所がそれぞれ力を持ち、どこか一つが全部を支配しにくい形になっていた当時のイギリスの憲政に注目しています。

政治の形は国ごとに違う

一方で、モンテスキューは「法律や政治制度が、地理・気候・経済・慣習などの条件と結びついて変わる」とも論じました。

これは、国によって地理や気候、経済のあり方、昔からの習慣が違うので「制度の形も異なるものになる」ということを意味しています。彼は「他国でうまくいった制度を、そのまま持ってきても同じように動くとは限らない」と考えていました。

制度は社会の条件と連動するため、理屈だけで設計しても運用で歪みが出ることがある。だから政治を論じるときは、その国の社会条件も含めて考える必要がある、ということですね。

その後の影響

モンテスキューの議論は、18世紀後半の憲法制定や政治の議論の場でよく引用されていきます。

特に「権力を分配して互いに抑制する」権力分立の発想は、アメリカ合衆国の政治制度を説明するときによく使われました。フランスでも、専制への警戒や制度改革の議論の中でモンテスキューの名がよく出ています。

最も分かりやすいモンテスキューの権力分立の考え方が練り込まれたものがアメリカ合衆国憲法とフランスの人権宣言第16条、1791年憲法です。

  • アメリカ合衆国憲法(1787年制定/1789年施行)

第1条(立法権)
第1節
この憲法によって与えられる一切の立法権は,合衆国議会に委ねられる。同議会は上院および下院により構成される。

<中略>

第2条(行政権)
第1節
(第1項)行政権は,アメリカ合衆国大統領に属する。

<中略>

第3条(司法権)
第1節
合衆国の司法権は,一つの最高裁判所および議会が随時設置を定める下級裁判所に属する。

詳説世界史図録 山川出版 2015年発行より

  • 人権宣言

第16条
権利の保障が確保されず,また,権力の分立が規定されていない社会は,すべて,憲法をもっていないのである。

詳説世界史図録 山川出版 2015年発行より

  • 仏蘭西憲法<1791年憲法>(立法権行政権裁判権ノコト)
    第三條
    • フランス憲法は代表制である。国民の代表は、民撰議院(議会)と国王である。立法権は(この代表の枠組みの中で)行われる。
    • 第四條
    • 政治体制は君主制である。行政権(法律を実行する権限)は国王に委ねられ、宰相(大臣)などを通して行われる。
    • 第五條
    • 裁判権(司法権)は、国民が任期を定めて選ぶ裁判官に委ねられる。

仏蘭西憲法.第1回 国立国会図書館サーチより抜粋、AIにて現代語訳しています

そういった意味では、アメリカ独立革命やフランス革命に大きな影響を与えたと言えるかもしれません。

ただし、モンテスキュー自身は革命をあおる急進派ではありません。

裁判や法律の世界にいただけあって、あくまで「王や貴族、議会がそれぞれ力を持ちながら、どれか一つに権力が集中しない仕組み」を重視しました。後の革命や憲法制定の際に革命家たちがモンテスキューを参考にしたのは確かですが、本人の関心は「暴走を防ぐ制度の作り方」にあったようです。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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