ロシア革命は世界に何をもたらしたのか?ソ連・コミンテルン・中国共産党への影響
ロシア革命はロマノフ朝を倒したロシア国内の革命として知られています。しかし、その影響はロシア国内にとどまりませんでした。
革命によって社会主義政権が成立し、やがてソ連が生まれ、コミンテルンを通じて世界各地の共産主義運動にも影響を与えます。中国共産党の成立も、この流れと無関係ではありません。
今回は、ロシア革命がその後の世界史に何をもたらしたのかを、ソ連・コミンテルン・中国共産党への影響を中心に整理していきます。
ロシア革命は「社会主義国家」への道を開いた
1917年のロシア革命は、単にロマノフ朝を倒しただけの出来事ではありませんでした。とくに十月革命によって、レーニン率いるボリシェヴィキが政権を握ったことは、その後の世界史に大きな影響を与えます。
ロシアはフランス・イギリスなどとともに連合国側として参戦するも、初期のタンネンベルクの戦いでの大敗以降、戦争の長期化や物資不足によって、帝政への不満が高まった。
第一次世界大戦中にロマノフ朝が倒れ、臨時政府が成立
レーニン率いるボリシェヴィキが政権を握る
ボリシェヴィキは、マルクス主義を掲げた社会主義政党『ロシア社会民主労働党』が分裂して生まれました
ボリシェヴィキは第一次世界大戦の継続に反対し、戦争に疲れた兵士や民衆の不満を背景に支持を広げていました。
その後、ソ連という国家が成立するまでには、第一次世界大戦からの離脱、内戦、外国干渉を経ることになります。
WW1東部戦線の戦闘が終結。ロシアはWW1から離脱した。
ロシアはすでに戦争から離脱済みだが、最終的に連合国側が勝利
ボリシェヴィキ政権に反対する勢力「白軍」とボリシェヴィキ側の「赤軍」による内戦が勃発。
WW1から離脱したボリシェヴィキ政権や社会主義革命拡大への懸念から、イギリスやフランス、アメリカ、日本などがロシア国内の混乱に介入した。
ロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)、ザカフカースが結びつき、ソ連が誕生
ザカフカースは、ロシア語だと「カフカス(コーカサス)山脈の向こう側」という意味です。
現在でいうジョージア、アゼルバイジャン、アルメニア周辺を指しています。
それまで社会主義やマルクス主義は、思想や運動としては広がっていました。しかし、社会主義を掲げる国家が実際に成立した例はありませんでした。その後のソ連成立へつながったという意味で、ロシア革命は、世界初の社会主義国家を生み出した革命だったといえます。
マルクスの理論と現実
ボリシェヴィキの思想の中心となったのがマルクス主義です。このマルクス主義の理論と当時のロシアの状況には大きな隔たりがありました。
というのも、そもそもマルクスは社会主義革命が起きる前提を

資本主義が発達し、労働者階級が成長した国で社会主義革命が起こる
このように考えていました。
ところが実際に革命が起きたロシアは、工業化が進み始めていたとはいえ、まだ農民の多い国です。
そのためロシア革命は、マルクス主義を掲げる政権を生み出した一方で、理論通りではない条件のもとで起きた革命でもありました。ソ連は、農民の多いロシアの現実に合わせながら、社会主義国家を作ろうとすることになります。
コミンテルンが世界の革命運動を支援した
ロシア革命の影響は、ロシア国内だけにとどまりませんでした。ボリシェヴィキ政権は、ロシアで成立した革命を一国だけの出来事として終わらせるのではなく、世界各地の革命運動へ広げようとします。
そのために1919年にボリシェヴィキ主導で作られたのが、コミンテルンです。
コミンテルンは「第三インターナショナル」とも呼ばれ、各国の共産党の結成や活動方針に影響を与え、社会主義運動を国際的に広げていきます。
ヨーロッパ各国への影響
ロシア革命の衝撃は、ヨーロッパの社会主義運動や労働運動にも大きな影響を与えました。第一次世界大戦後のヨーロッパでは、戦争による疲弊や生活不安が広がり、各地で労働運動や革命運動が活発になります。
その中で、ロシア革命を支持する勢力は、従来の社会主義政党から分かれ、各国で共産党を結成していきました。
ドイツ、フランス、イタリアなどで共産党が作られた背景には、ロシア革命の衝撃がありました。さらにコミンテルンの成立後、各国の共産党は国際的な社会主義運動の中に組み込まれていきます。
一方で、共産主義運動の広がりは、それに強く反発する勢力も生み出しました。イタリアでは、戦後の労働運動の高まりや社会不安への危機感が、ムッソリーニ率いるファシスト運動の拡大を後押しします。ドイツでも、共産主義への警戒は、のちにヒトラー率いるナチ党が支持を広げる際に利用されていきました。
つまりロシア革命は、共産主義運動を広げただけでなく、それに対する恐怖や反発も生み出し、第一次世界大戦後のヨーロッパ政治を大きく動かす要因の一つになったのです。
植民地や半植民地の民族運動への影響
コミンテルンの活動は、ヨーロッパだけに限られませんでした。
第一次世界大戦後、アジアやアフリカでも民族運動が高まっていました。コミンテルンは、こうした植民地・半植民地の民族運動にも注目し、帝国主義に反対する運動と社会主義運動を結びつけようとします。
その影響が特に分かりやすく表れた地域の一つが、中国でした。
中国共産党
当時の中国は、列強によって権益を奪われる半植民地的な状況にあり、第一次世界大戦後には五・四運動が起こりました。こうした反帝国主義的な空気の中で、知識人の間にマルクス主義への関心が広がります。
そこにロシア革命の成功とコミンテルンの働きかけが加わり、1921年に中国共産党が成立しました。
ロシア革命は冷戦構造の前提になった
ロシア革命の影響は、共産主義運動を世界に広げただけではありません。ヨーロッパでは共産主義への警戒や反発も強まり、イタリアのファシズムやドイツのナチズムが支持を広げる背景の一つにもなりました。
その後、世界は第二次世界大戦へ向かい、戦後の国際秩序は大きく変わります。ナチス・ドイツを倒すために協力していたアメリカとソ連は、戦後になると対立を深めていきます。
第二次世界大戦後のソ連はアメリカと並ぶ超大国となり、世界はアメリカ中心の西側陣営と、ソ連中心の東側陣営に分かれていきました。これが東西冷戦です。
冷戦は、戦後処理、ドイツ分割、東ヨーロッパへのソ連の影響力拡大、核兵器の存在など、複数の要因が重なって生まれた対立です。ロシア革命が東西冷戦の直接原因とは言い切れません。
それでも、ロシア革命によって社会主義国家が成立したことは、20世紀後半の冷戦構造につながる大きな前提だったといえます。





