日本史

【変わった名前の外国人②】耶楊子――現代でも地名として残っている人物・ヤン・ヨーステン

歴ブロ

当時はカタカナ表記が一般的でなく、聞こえた音を当て字にした結果、史料に不思議な形で残ることがあります。

耶楊子(やようす)も、その代表例です。

東京駅の「八重洲」という地名の由来として語られる名前ですが、もともとの本人の名前は、オランダ人のヤン・ヨーステン(Jan Joosten)でした。「八重洲」なんて和風な名前なので、かなり意外な由来な気がします。

スポンサーリンク

ヤン・ヨーステンは何者か

ヤン・ヨーステンは、1600(慶長5)年にオランダ船リーフデ号で日本に漂着した人物の一人です。同じ船には、のちに「三浦按針」と呼ばれるウィリアム・アダムスもいました。

れきぴよ
れきぴよ

ウィリアム・アダムスからの三浦按針も「どうしてそうなった?」名前の一つかもしれません。

外交顧問となって相模三浦郡の所領を与えられたこと、水先案内人を意味する言葉が按針だった(ウィリアム・アダムズはリーフデ号の水先案内人)ことから家康に三浦按針と名を与えられました。

日本に来たあと、ヨーステンは徳川家康に信任されて通訳や対外交渉に関わったとされます。日本社会の中で役割を持ったことでヨーステンも日本語の発音に合わせて呼ばれ、漢字も当てられるようになりました。

なぜ「耶楊子」と書いたのか

「耶楊子」は、意味で選ばれた漢字というより、音に合わせて置かれた表記です。こうした当て字は、ポルトガル語やオランダ語などの外来語が増えていく時期に広く見られます。

ヨーステンの名は、日本側では「やようす(やよす)」のように聞き取られたとされ、その音に合わせて「耶楊子」などの字が当てられました(史料や説明では、表記の揺れが出ることもあります)

日本語の音に直して呼び、それを漢字に変えた結果、名前の見た目が独特になったんですね。

「やよす河岸」から「八重洲」へ

中央区の町名由来の説明では、慶長のころ、ヤン・ヨーステンが江戸城内堀沿いに邸地を拝領したことから、このあたり一帯を「やよす河岸」と称するように。その後、やよす河岸が八重洲町となり、さらに昭和29(1954)年に「八重洲」という町名になりました。

現在でも八重洲エリアではヨーステンの名を紹介する掲示や像があり、「地名の由来になった人物」として扱われています。

スポンサーリンク
ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました