色々な歴史

歴代元号の移り変わりと改元のルール

歴ブロ

 

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2019年4月1日、新元号が【令和】と発表されました。

これによって、5月1日の皇太子さまが天皇の即位ともに改元が行われ、平成から【令和】の時代へと移ります。日本では、これまで1300年以上にわたり247の元号が定められ、令和が248個目の元号となります。

今更感もありますが、これまでの元号を振り返っていきます。

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元号の起源と改元のルール

元号は年号と言われることもある『特定の年代につけられる称号』のこと。

日本をはじめアジアで複数の国で使われていましたが、現在でも使用しているのは日本だけだそうです。

 

元号の起源は、前漢の皇帝・武帝が紀元前140年に建元と定めたことから始まりました。国を治める者が、時間をも秩序つける高度な中央集権国家の証となる制度で、歴代の中国王朝をはじめ日本や朝鮮、ベトナムなどの文化圏で受け継がれていきました。

他の文化と同様に元号も例に漏れず古代中国から周辺諸国に伝わり、日本でも645年の大化の改新をきっかけに使われ始めたと言われています(日本書紀の記述から)

 

冒頭でも書きかましたが、『大化』から始まって今現在の『平成』に変わるまで247回も改元が行われてきていますが、その改元の理由は『国家の繁栄と民の平安を願うため』。

これまで日本の元号は、中国古典を出展とし原則漢字2文字で決められました。しかし、例外もあり奈良時代に【天平感宝】や【神護景雲】までの元号は4文字で構成されており、唐王朝での先例にならっとされています。

元号候補を考えるのは、律令制の役職で【文章博士】の仕事で、鎌倉時代~幕末までの考案者は、菅原氏で占められていました。

 

令和に入る前に、平成30年の歴史を振り返る 平成もいよいよ4月30日には終わり【令和】の時代がやってきます。 今回の元号改正は、天皇崩御のためではなく、今上天皇自らが生前...

 

改元の理由

明治以降の近代日本では、天皇の代替わりに元号が変わる【一世一元】をとっていました。しかし、それ以前はその他にも様々な理由で改元がなされました。

 

歴代天皇と日本の歴史をたどっていきましょう。 日本最古の天皇といわれる神武天皇から今上天皇まで、128人の天皇が日本の歴史を見守ってきました。穏やかな人生を送った天皇もおられれば...

 

改元が行われる理由は主に4つ。

  • 新天皇の即位が理由の改元
  • 縁起の良い出来事を理由とする改元
  • 異常気象や災害など凶事の影響を断つための改元
  • 辛酉大きな社会変革が起きると甲子の年徳を備えた人による変乱の多い年の改元

 

その中でも飢饉や地震・火災といった災害が群を抜いて多いので、(例外の時期はありますが)改元の頻度を見ると当時の社会の安定度が見えてくるかと思います。

奈良時代によく見られたのが、めでたいときに改元した【祥瑞改元】と天変地異や天災などの凶事を断ち切るために行った【災異改元】があり、江戸時代まで続いていました。

また、60年に一度回ってくる辛酉、甲子の年に起こる政変を避けるために行った【革年改元】も行われていました。

現在の日本の改元方法

戦後の日本での改元は、昭和54年に成立した元号法によって定められています。

第二次大戦後では、平成が初めて政府が定めた元号ということになります。

元号法公布後に政府がまとめた【元号選定手続について】によると、内閣の委嘱を受けた学識者らがそれぞれ複数の候補を提出し、官房長官らが数個に絞り込みます。その後、全閣僚会議や衆参両院議長らの意見聴取などを経て、最終的に政令として決定するとされています。

 

元号選定の注意事項としては、

  • 国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ
  • 漢字2字で、書きやすく読みやすい
  • 俗用されていない
  • これまでに元号やおくり名(追号)で使用されてない

と定められており、前回の昭和から平成に代わる際は、現在の陛下の即位直後に開かれた有識者会議で、【平成】【修文】【正化】の3案が出され、閣議で平成となりました。

 

アルファベット表記での頭文字が明治・大正・昭和と重なっていなかったことが【平成】決定の理由だとされています。

今回の新元号でも、平成の時の手続きを踏襲しました。

ニュース等を見て調べた結果、今回の新しい元号の候補に【令和】のほかに「英弘」「広至」「万和」「万保」などの候補が上がっていたそうです。

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元号一覧

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飛鳥時代の元号【645~715年】

元号 読み 西暦 年数
大化 たいか 645-650  6年
白雉 はくち 650-654  5年
654-686 32年
朱鳥 しゅちょうなど 686.8-10 2ヶ月
686-701 15年
大宝 たいほうなど 701‐704  4年
慶運 けいうんなど 704‐708  5年
和銅 わどう 708‐715  8年

 

古墳時代から飛鳥時代にかけての豪族の対立 古墳時代から飛鳥時代にかけて、豪族たちが大きな力を持つことになります。 今回はその背景を詳しく見ながら磐井の乱に至るまで...

 

まだ元号を始めたばかりとあって定着していませんね。大陸文化を重視した時期とそうじゃない時期、当時の天皇の求心力の有無など様々な要素が絡んでくると思うので、調べてみるのも面白そうです。

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奈良時代の元号【715~806年】

元号 読み 西暦 年数
霊亀 れいき 715-717  3年
養老 ようろう 717-724  8年
神亀 じんき 724-729  6年
天平 てんぴょう 729‐749 21年
天平感宝 てんぴょうかんぽう 749.5‐8 3ヶ月
天平勝宝 てんぴょうしょうほう 749‐757  9年
天平宝字 てんぴょうほうじ 757‐765  9年
天平神護 てんぴょうじんご 765‐767  3年
神護景雲 じんごけいうん 767‐770  4年
宝亀 ほうき 770‐781 12年
天応 てんおうほか 781‐782  2年
延暦 えんりゃく 782‐806 25年

 

日本で元号が始まって以来、且つ奈良時代以降の元号は2文字。天平感宝から神護景雲までの4文字の元号は非常に珍しいものです。

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平安時代の元号【806~1185年】

元号 読み 西暦 年数
大同 だいどう   806‐810  5年
弘仁 こうにん   810-824 15年
天長 てんちょう   824‐834 11年
承和 じょうわなど    834‐848 15年
嘉祥 かしょうなど   848‐851  4年
仁寿 にんじゅ   851‐854  4年
斉衡 さいこう   854‐857  4年
天安 てんあんなど   857-859  3年
貞観 じょうがん   859‐877 19年
元慶 がんぎょう   877‐885  9年
仁和 にんななど    885-889  5年
寛平 かんぴょうなど   889‐898 10年
昌泰 しょうたい   898‐901  4年
延喜 えんぎ   901-923 23年
延長 えんちょう   923‐931  9年
承平 じょうへいなど   931‐938  8年
天慶 てんぎょうなど   938‐947 10年
天暦 てんりゃく   947‐957 11年
天徳 てんとく   957‐961  5年
応和 おうわ   961‐964  4年
康保 こうほう   964‐968  5年
安和 あんわなど   968‐970  3年
天禄 てんろく   970‐974  4年
天延 てんえん   974‐976  4年
貞元 じょうげん   976‐978  3年
天元 てんげん   978‐983  6年
永観 えいかん   983‐985  3年
寛和 かんななど   985‐987  3年
永延 えいえん   987‐989  3年
永祚 えいそ   989‐990  2年
正暦 しょうりゃく   990‐995  6年
長徳 ちょうとく   995‐999  5年
長保 ちょうほう  999-1004  6年
寛弘 かんこう 1004‐1013  9年
長和 ちょうわ 1013‐1017  6年
寛仁 かんにん 1017‐1021  5年
治安 じあん 1021‐1024  4年
万寿 まんじゅ 1024‐1028  5年
長元 ちょうげん 1028‐1037 10年
長暦 ちょうりゃく 1037‐1040  4年
長久 ちょうきゅう 1040‐1044  5年
寛徳 かんとく 1044‐1046  3年
永承 えいしょうなど 1046‐1053  8年
天喜 てんきなど 1053‐1058  6年
康平 こうへい 1058‐1065  8年
治暦 じりゃく 1065‐1069  5年
延久 えんきゅう 1069‐1074  6年
承保 じょうほうなど 1074‐1077  4年
承暦 じょうりゃくなど 1077‐1081  5年
永保 えいほう 1081‐1084  4年
応徳 おうとく 1084‐1087  4年
寛治 かんじ 1087‐1095  8年
嘉保 かほう 1095‐1097  3年
永長 えいちょう 1097‐1097  2年
承徳 じょうとくなど 1097‐1099  3年
康和 こうわ 1099‐1104  6年
長治 ちょうじ 1104‐1106  3年
嘉承 かしょうなど 1106‐1108  3年
天仁 てんにん 1108‐1110  3年
天永 てんえい 1110‐1113  4年
永久 えいきゅう 1113‐1118  6年
元永 げんえい 1118‐1120  3年
保安 ほうあん 1120‐1124  5年
天治 てんじ 1124‐1126  3年
大治 だいじ 1126‐1131  6年
天承 てんしょう 1131‐1132  2年
長承 ちょうしょう 1132‐1135  4年
保延 ほうえん 1135‐1141  7年
永治 えいじ 1141‐1142 約1年
康治 こうじ 1142‐1144  3年
天養 てんよう 1144‐1145  2年
久安 きゅうあん 1145‐1151  7年
仁平 にんぺいなど 1151‐1154  4年
久寿 きゅうじゅ 1154‐1156  3年
保元 ほうげん 1156‐1159  4年
平治 へいじ 1159‐1160  2年
永暦 えいりゃく 1160‐1161  2年
応保 おうほうなど 1161‐1163  3年
長寛 ちょうかん 1163‐1165  3年
永万 えいまん 1165‐1166  2年
仁安 にんあん 1166‐1169  4年
嘉応 かおう 1169‐1171  3年
承安 しょうあん 1171‐1175  5年
安元 あんげん 1175‐1177  3年
治承 じしょう 1177‐1181  5年
養和 ようわ 1181‐1182  2年
寿永 じゅえい 1182‐1184  3年
元暦 げんりゃく 1184‐1185  2年

 

平安時代は災害が頻発した時代でもあります。改元の理由が全て災いによるものではありませんが、確実に平安時代の度重なる改元は自然災害が影響しています。平安時代だけで全88の元号が付けられています。

 

平安時代の災害史 平安時代は災害の多い時代で、その災害が政治にも大きく影響しました。どれだけの災害がいつ頃あったのかを知ることで、怨霊が信じられ...

 

鎌倉時代の元号【1185~1333年】

元号 読み 西暦 年数
文治 ぶんじ 1185‐1190  6年
建久 けんきゅう 1190‐1199 10年
正治 しょうじ 1199‐1201  3年
建仁 けんにん 1201‐1204  4年
元久 げんきゅう 1204‐1206  3年
建永 けんえい 1206‐1207  2年
承元 じょうげん 1207‐1211  5年
建暦 けんりゃく 1211‐1214  3年
建保 けんぽう 1214‐1219  7年
承久 じょうきゅう 1219‐1222  4年
貞応 じょうおう 1222‐1224  3年
元仁 げんにん 1224‐1225  2年
嘉禄 かろく 1225‐1228  3年
安貞 あんてい 1228‐1229  3年
寛喜 かんき 1229-1232  4年
貞永 じょうえい 1232‐1233  2年
天福 てんぷく 1233‐1234  2年
文暦 ぶんりゃく 1234‐1235  2年
嘉禎 かてい 1235‐1238  4年
暦仁 りゃくにん 1238‐1239  2年
延応 えんおう 1239‐1240  2年
仁治 にんじ 1240‐1243  4年
寛元 かんげん 1243‐1247  5年
宝治 ほうじ 1247‐1249  3年
建長 けんちょう 1249‐1256  8年
康元 こうげん 1256‐1257  2年
正嘉 しょうか 1257‐1259  3年
正元 しょうげん 1259‐1260  2年
文応 ぶんおう 1260‐1261  2年
弘長 こうちょう 1261‐1264  4年
文永 ぶんえい 1264‐1275 12年
建治 けんじ 1275‐1278  4年
弘安 こうあん 1278‐1288 11年
正応 しょうおう 1288‐1293  6年
永仁 えいにん 1293‐1299  7年
正安 しょうあん 1299‐1302  4年
乾元 けんげん 1302‐1303  2年
嘉元 かげん 1303‐1307  4年
徳治 とくじ 1307‐1308  3年
延慶 えんきょう 1308‐1311  4年
応長 おうちょう 1311‐1312  2年
正和 しょうわ 1312‐1317  6年
文保 ぶんぽう 1317‐1319  3年
元応 げんおう 1319‐1321  3年
元亨 げんこう 1321‐1324  4年
正中 しょうちゅう 1324‐1326  3年
嘉暦 かりゃく 1326‐1329  4年
元徳 げんとく 1329‐
大覚寺統:1331
持明院統:1332
大覚寺統:3年
持明院統:4年

 

鎌倉時代後半から両統迭立のため皇位が分裂状態に。この時代は徐々に改元でも武家の意向が入るようになっていますが、改元の主導権は朝廷が持っています。

改元と朝廷は切っても切れない関係のため、朝廷が二つある時代(建武の新政~南北朝)には二つの元号がある特殊な時代に突入することになります。

 

鎌倉幕府と室町幕府の違い 源頼朝が鎌倉後に幕府を開き、その後500年近く武士による日本の統治が続きます。 その中でも鎌倉と室町幕府は一見似たような仕組み...

 

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建武の新政時期【1333~1336年】

大覚寺統 持明院統
元号 読み 西暦 年数 元号 読み 西暦 年数
元弘 げんこう 1331‐1334  4年 正慶 しょうきょうなど 1332‐1333  2年
建武 けんむ 1334‐1336  3年 約1年
建武 けんむ 1334‐1338  5年

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南北朝・室町時代

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 【南北朝:1336~1392年 室町:1336~1573年】

南朝(大覚寺統) 北朝(持明院統)
元号 読み 西暦 年数 元号 読み 西暦 年数
延元 えんげん 1336‐1340  5年
暦応 りゃくおうなど 1338-1342  5年
興国 こうこく 1340‐1347  7年
康永 こうえい 1342‐1345  4年
貞和 じょうわなど 1345‐1350  6年
正平 しょうへい 1347‐1370 25年
観応 かんおうなど 1350‐1352  3年
文和 ぶんななど 1352‐1356  5年
延文 えんぶん 1356‐1361  6年
康安 こうあん 1361‐1362  2年
貞治 じょうじ 1362‐1368  7年
応安 おうあん 1368‐1375  8年
建徳 けんとく 1370‐1372  3年
永和 えいわ 1375‐1379  5年
文中 ぶんちゅう 1372‐1375  4年
天授 てんじゅ 1375‐1381  7年
康暦 こうりゃく 1379‐1381  3年
弘和 こうわ 1381‐1384  4年 永徳 えいとく 1381‐1384  4年
元中 げんちゅう 1384‐1392  9年 至徳 しとく 1384‐1387  4年
嘉慶 かきょうなど 1387‐1389  3年
康応 こうおう 1389‐1390  2年
明徳 めいとく 1390‐1394  5年
統一後
元号 読み 西暦 年数
応永 おうえい 1394‐1428 35年
正長 しょうちょう 1428‐1429  2年
永享 えいきょう 1429‐1441 13年
嘉吉 かきつ 1441‐1444  4年
文安 ぶんあん 1444‐1449  6年
宝徳 ほうとく 1449‐1452  4年
享徳 きょうとく 1452‐1455  4年
康正 こうしょう 1455‐1457  3年
長禄 ちょうろく 1457‐1461  4年
寛正 かんしょう 1461‐1466  7年
文正 ぶんしょう 1466‐1467  2年

 

この年表から分かることと言えば...

北朝の改元が頻発しているのに対して、南朝は非常に長期間の元号を使用している期間があることが分かります。途中で南朝が優位に立ち、北朝を追い込んだ時期(1352年、正平一統)と一致。結局、北朝支持の室町幕府が国内を掌握するにつれ南朝が不利になっていくからか、正平以降は南朝もそれなりに改元されるように。

 

更に言うと、1392年の南朝と北朝(実際には室町幕府)の間で「両統迭立(君主の家系が二つに分かれ、それぞれの家系から交代で即位する)で朝廷が二つある状況を解消させよう」という和議が結ばれましたが、北朝は和議の後も『明徳』の元号を使用し続けます。

これは「自分たちの方が優位なのに両統迭立なんて!」ということを意味しており、実際に和議を反故にして北朝から連続で天皇を立てています。当然南朝はこれに反発して朝廷や幕府に対して抵抗を続けます(当然です)

 

応仁の乱まで反幕勢力も絡んで断続的な抵抗があったということですから幕府と北朝にとって頭の痛い問題だったのでしょう。統一後の改元は理由が不明のものも多いですが、改元が頻発した一因に抵抗を続けた南朝(後南朝と言われます)の影響もあったのでは?と個人的には考えています。戦国時代に移行する遠因にもなったのではないでしょうか。

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戦国時代【1467~1590年】

元号 読み 西暦 年数
応仁 おうにん 1467‐1469  3年
文明 ぶんめい 1469‐1487 19年
長享 ちょうきょう 1487‐1489  3年
延徳 えんとく 1489‐1492  4年
明応 めいおう 1492-1501 10年
文亀 ぶんき 1501‐1504  4年
永正 えいしょう 1504‐1521 18年
大永 だいえい 1521‐1528  8年
享禄 きょうろく 1528‐1532  5年
天文 てんぶん 1532‐1555 24年
弘治 こうじ 1555‐1558  4年
永禄 えいろく 1558‐1570 13年
元亀 げんき 1570‐1573  4年

 

社会の安定度が分かる指標にもなる改元ですが、戦国時代は戦乱続きにも拘らず長い期間同じ元号を使っている場合があります。この時代に限っては朝廷・幕府といった改元に関わる機関の余裕が殆どなかったために長期間同じ年号となっているのです。

永正や天文を調べてもらえると分かりますが、それぞれの時期に起きた出来事がほぼ戦いにまつわるものや何らかの諍い(人質に取ったり取られたり)です。改元には儀式やら何やらで時間も費用も掛かりますから、こういった元号が変わらない状況を見るだけでも朝廷や幕府の窮状が想像できますね。

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安土桃山時代【1573~1603年】

元号 読み 西暦 年数
天正 てんしょう 1573‐1593 20年
文禄 ぶんろく 1593‐1596  5年
慶長 けいちょう 1596‐1615 20年

 

戦国時代と違い、天下人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)が出てきたことで安土桃山時代の移行期『天正』への改元以外は戦乱が理由のものはありません。ようやく落ち着いてきたのが分かります。

 

織田信長の壮絶なる人生に迫る!! 信長関連の記事はこれまでも書いてきたのですが、その生涯について迫った事がなかったので、今回は織田信長の一生について迫っていきたいと思...

 

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江戸時代【1603~1868年】

元号 読み 西暦 年数
元和 げんな 1615‐1624 10年
寛永 かんえい 1624‐1645 21年
正保 しょうほう 1645‐1648  5年
慶安 けいあん 1648‐1652  5年
承応 じょうおう 1652‐1655  4年
明暦 めいれき 1655‐1658  4年
万治 まんじ 1658‐1661  4年
寛文 かんぶん 1661‐1673 13年
延宝 えんぽう 1673‐1681  9年
天和 てんな 1681‐1684  4年
貞享 じょうきょう 1684‐1688  5年
元禄 げんろく 1688‐1704 17年
宝永 ほうえい 1704‐1711  8年
正徳 しょうとく 1711‐1716  6年
享保 きょうほう 1716‐1736 21年
元文 げんぶん 1736‐1741  6年
寛保 かんぽう 1741‐1744  4年
延享 えんきょう 1744‐1748  5年
寛延 かんえん 1748‐1751  4年
宝暦 ほうれき 1751‐1764 14年
明和 めいわ 1764‐1772  9年
安永 あんえい 1772‐1781 10年
天明 てんめい 1781‐1789  9年
寛政 かんせい 1789‐1801 13年
享和 きょうわ 1801‐1804  4年
文化 ぶんか 1804‐1818 15年
文政 ぶんせい 1818‐1831 13年
天保 てんぽう 1831‐1845 15年
弘化 こうか 1845‐1848  5年
嘉永 かえい 1848‐1855  7年
安政 あんせい 1855‐1860  7年
万延 まんえん 1860‐1861  2年
文久 ぶんきゅう 1861‐1864  4年
元治 げんじ 1864‐1865  2年
慶応 けいおう 1865‐1868  4年

 

10年以上どころか20年以上の元号もあり、流石の安定度です。平安に近い長さ政権を取っていたにも拘わらず35回の改元に留まっています(平安は88回)

とは言え、やはり幕末が始まった1853年以降、改元の頻度は高くなっているのが分かりますね。黒船来航も『災害』と捉えられていたようです。

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安土桃山時代~江戸時代前期までの日本と世界の流れを見てみよう 江戸時代末期以降、日本は欧米諸国とのやり取りや中国の状況に対する危機感から明治維新が起こり近代化の道へと進みます。が、欧米諸国は欧米諸...

 

明治以降【1868年~】

元号 読み 西暦 年数
明治 めいじ 1868‐1912 45年
大正 たいしょう 1912‐1926 15年
昭和 しょうわ 1926‐1989 64年
平成 へいせい 1989‐2019 31年

 

一世一元(天皇の代替わりごとに改元)の原則となり、どの時代も非常に長くなっているのが分かります。

新元号予想の最多は『平和』だそうですが、平成と『H』かぶりなので、恐らくないだろうと思ってますが、いかがでしょうか??

よく使われている漢字を参考に予測してみるのも面白いですね。

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※2021年5月28日 更新

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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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