啓蒙思想とは?【ヴォルテール・百科全書・経済思想・啓蒙専制君主】

歴ブロ

17〜18世紀のヨーロッパでは、国家と個人の関係を理性的に説明しようとする政治思想が発展しました。自然法を掲げて社会契約説の土台を作ったグロティウス、社会契約説をめぐって議論したホッブズロックルソーといった人物については、すでに別記事で扱ってきました。

今回のテーマである啓蒙思想はその延長線上にあります。

人間の理性と自然の秩序を信頼し、宗教や王権の権威をあらためて検証しようとした動きです。

※この定義ですので、ホッブズ・ロック・ルソーも啓蒙思想家に含まれています

フランスのヴォルテール百科全書派ディドロダランベール)、経済の分野で新しい見方を提示したケネーアダム・スミス、さらに啓蒙専制君主と呼ばれる君主たちまで、政治・社会・経済の広い領域に影響を与えました。

この記事では「どんな問題意識を持ち、何を変えようとしたのか」を全体像として見ていきます。

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啓蒙思想とは?

17世紀のヨーロッパでは天体の運動や物体の落下などについて、観察と数学を使って法則を明らかにする「科学革命」が進みました。自然現象は神秘的な力ではなく一定の法則に従っている、という考え方が広がっていきます。

この発想は、人間社会にも応用されました。

グロティウスらは「人間の社会にも、どの国にも共通する理性的なルールがある」と考え、それを「自然法」と呼びました。

17〜18世紀の啓蒙思想は、この自然法の考え方を受け継ぎながら発展していきます。国家や社会の仕組みを考える時に宗教や王権の伝統的な権威ではなく、人間の理性と自然法を基準にしようとした点が特徴です。

その結果「なぜその制度が正当なのか」「その特権に根拠はあるのか」といった問いかけが強まり、政治・宗教・経済など社会のさまざまな分野を見直す動きが広がります。

次は、具体的にどのような人物たちが、どのようなかたちで啓蒙思想を語ったのか見ていきましょう。

ヴォルテール『哲学書簡』─イギリス観察から始まるフランス批判

ヴォルテール(1694〜1778)は、主にルイ15世の時代に活躍したフランス啓蒙思想の代表的な思想家・文学者です。

若いころから機知に富んだ詩や戯曲で人気を集めた一方、辛辣な体制批判でバスティーユ投獄やイギリス亡命を経験しました。

イギリスでは宗教的寛容や議会政治、ニュートンロックに代表される学問に触れ、その体験をもとにイギリス社会を紹介しつつ自国を批判する著作(代表的なものに『哲学書簡』『寛容論』など)も書いています。

フランスに戻ったヴォルテールは宗教的寛容や議会政治、経験と理性を重んじる学問を繰り返し紹介。カトリック教会の特権など旧来の体制を繰り返し批判し、信教の自由や言論の自由、法に基づく政治の必要性を訴えました。

こうした姿勢は、絶対王政と教会の特権に疑問を抱く空気を広げ、のちのフランス革命で語られる「自由」や「市民の権利」の土台の一部になっていきます。

れきぶろ
れきぶろ

かつて(19世紀頃)はヴォルテール含む啓蒙思想家たちが教会と王権への信頼を壊した結果、フランス革命が起こったという見方がありました。

一方で、近年の研究では啓蒙思想だけでなく社会経済的な要因も併せて考える立場が主流になっています。

百科全書(ディドロ/ダランベール)

百科全書とは、フランスの思想家・ディドロダランベールが中心になって編集した辞書のこと。

18世紀フランスの啓蒙思想を象徴する企画でした。

多くの啓蒙思想家が執筆に関わり、ヴォルテールルソー、後述する重農主義者ケネーも記事を寄せています。

一方で、哲学や宗教だけでなく、科学、法律、経済、工芸や日常生活の技術まで人間の知識をできるだけ広く集めて整理しようとする大規模な試みでもありました。実用的な知識や職人の技術を高く評価しており、工場や道具の仕組みを図解つきで紹介した記事も多いです。

同時に、宗教や政治に関する記事にはカトリック教会の特権や絶対王政のあり方に対する批判的な内容も含まれており、百科全書は何度も発禁や検閲の対象となっています。

それでも版元や協力者たちは発行を続け、書物はフランス国内だけでなくヨーロッパ各地に広まっていきました。

れきぶろ
れきぶろ

政府内にも理解者がいたようで、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人もその一人でした。上の絵画に書かれた夫人の左にある大判の書籍は百科全書の第一巻であることはよく知られています。

百科全書は、教会や王権に守られた限られた学問から、より広い層に近代合理主義の立場による知識を普及させる役割を果たしたのです。

次は、この百科全書にも関係した経済思想家たちが、社会や国家のしくみをどのように説明し直そうとしたのかを見ていきましょう。

啓蒙の時代の経済思想──ケネーからアダム・スミスへ

啓蒙思想は、政治や宗教だけでなく「お金の流れ」についての考え方も変えていきました。

当時のヨーロッパでは、国家が貿易を厳しく管理し、金銀をため込むことを重視する重商主義が広く行われていましたが、本当にそれで社会が豊かになるのか疑問を持つ人びとが現れます。

その中で登場したのが、フランスの重農主義とイギリスの古典派経済学です。

重農主義(ケネー/テュルゴー)

重農主義は18世紀後半のフランス、ヴォルテールと同じくルイ15世の治世下で社会や経済が疲弊してきた中で生まれた思想です。

『百科全書』で記事を執筆したケネーが重農主義の理論を生み出しました。富の源泉を工業や商業ではなく土地に求めて農業生産を重視し、経済活動の自由放任を主張した思想家です。

『経済表』を出版し、地主・農民・商人・職人などの間でお金が地代・賃金・購買という形で循環している様子を図式化しました。

れきぶろ
れきぶろ

ケネーは経済学者であり医師でもあり、1749年からはポンパドゥール夫人付きの宮廷医師としてヴェルサイユ宮殿で暮らしていました。

1628年にイギリスの医師ハーヴェーが提唱した血液循環説にならい、富や資金の流れを「循環」として説明したのは、異色の経済学者ならではの発想だったと言われています。

さらに彼の弟子で70年代半ばのルイ16世治世初期の財務総監テュルゴーは、そうした経済活動の自由放任を含む重農主義の考え方を現実の改革を試み、穀物取引の自由化などの政策を実施しています(が、その多くは短期間で挫折)

重農主義が生まれた背景

フランスで重農主義の理論が生まれた背景としては、次のような例が挙げられます。

  • 重商主義で国家規制が強く、規制が多かったこと
  • フランスの国土や気候が元々農業大国になる条件を満たしていたこと(現在でも農業大国です)

こうした現実を踏まえた「農業こそ国の基盤だ」というフランス社会の感覚が、ケネーらによって理論として言語化されたのが重農主義だと考えられます。

アダム・スミス

一方で、フランスで生まれた重農主義の影響も受けながら、イギリスではアダム・スミス古典派経済学を形作っていきました。

諸国民の富(国富論)』で、国の富は金銀のたくわえではなく、国民の生産活動全体を富の源泉とみなしています。分業によって一人ひとりの作業を細かく分けると生産性が高まること、多くの人が自分の利益を追求して行動しても競争と価格の仕組みによって全体としては調整が働くことを説明しました。

重農主義と同様、ここでも重商主義を批判する立場をとっています。

『国富論』が書かれた背景

アダム・スミスが1776年に書いた『国富論』は、イギリスで商工業が発展し産業革命につながる動きが始まっている時期に書かれたものです。

分業で作業する形態が広まり、商業・金融・植民地貿易が発展していくなかで東インド会社のような国の特許による特権などを良しとする重商主義が批判されるのも、ある意味では自然な成り行きでした。

産業資本家階級が力を持ち始めて広い市場や安い原材料を求めるようになりつつある中、アダム・スミスらが自由貿易・反独占の経済思想を理論的に位置づけたことで新興の産業資本家たちはその経済思想をフル活用しはじめます。

資本家たちに言葉と枠組みを与えたわけですね。

結果、実際のイギリスでは、東インド会社の独占特権撤廃(1813年・1833年)やインド帝国成立に至る過程の中で、産業資本家の利害や国際情勢の変化も重なりながら重商主義から自由貿易へと政策が転換していきました。

啓蒙専制君主の登場

18世紀後半には、啓蒙思想の影響を受けて自ら改革を進めようとした絶対君主たちが現れました。

フリードリヒ2世(プロイセン)ヨーゼフ2世(オーストリア)エカチェリーナ2世(ロシア)などがいわゆる啓蒙専制君主と呼ばれる人びとです。彼らは法制度の整備や行政改革、宗教的寛容、教育や経済の振興などを進めようとしましたが、同時に身分制と自分たちの権力は手放しませんでした。

れきぶろ
れきぶろ

啓蒙思想を利用しながら最終的な決定権はあくまで王の手に残しておくという姿勢を貫いたんですね。

ヴォルテールや百科全書派、ケネーやアダム・スミスが示した理性や自然法、自由の発想は、このように王権の側からも部分的に取り入れられていきました。

啓蒙の時代は、こうした思想と現実政治の試行錯誤を通じて、のちの革命や近代国家のあり方を考えるための土台を形づくった時期だったと言えるでしょう。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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