イギリスの海外進出と重商主義政策の開始<16世紀後半~17世紀>
16世紀後半、ヨーロッパではスペインがフェリペ2世の下で全盛期を迎えていました。
この時代は既に宗教改革により新旧対立が起こっていた時期。旧教カトリックを信仰していた彼の治世下でプロテスタントが弾圧され、プロテスタントの多いオランダがスペインに挑戦し始めていたのです。
それと同時期にイギリスもスペインに挑戦し始めています。
カトリック派の前女王でフェリペ2世の元妻メアリー1世が亡くなり彼女の妹でプロテスタントのエリザベス1世が即位してからスペインとの仲は急激に悪化。オランダ独立戦争に支援する形でスペインに挑戦しました。
ちなみに、メアリー1世やエリザベス1世の時代は15世紀のバラ戦争が終わって成立したテューダー朝の時代です。テューダー朝はエリザベス1世、ヘンリー8世…と絶対王政を強化させています。
今回は、そんなテューダー朝で起こっていたイギリス社会の変化と海外進出についてまとめていきます。
テューダー朝と宗教改革を簡単に
14世紀から15世紀にかけて起こった百年戦争の間に、王室内での内部抗争が生じてバラ戦争という内戦に発展しました。その内戦を収めたのがヘンリー7世。国家財政がボロボロになっていたため、当時のヨーロッパ最強国スペイン王室(当時はアラゴン・カスティーリャ連合王国。スペインの基礎となった国)と婚姻関係を結んで事態を打開しようとします。
ところが、ヘンリー7世の息子ヘンリー8世の代でスペイン王女との離婚問題がこじれてイングランド版の宗教改革が起こったことは有名。イングランド国教会が誕生しました。
12世紀の無政府時代と呼ばれる時代に初めて女王が誕生した際、後継者争いで内乱が発生したため「女王はダメだ」という考えが王室周辺にはありました。
ヘンリー8世はどうしても息子がほしくてメアリーしか生んず流産を繰り返す妻との離婚を決めたようです。
その際にカトリック教会から没収した土地を没収して貴族や新たな階層ジェントリ、商人に売却。財政基盤を築いています。
こうした動きは統治される側にも変化を起こすことになったのです。
ジェントリの誕生
ジェントリは別名『郷紳(きょうしん)』と呼ばれ、その社会的地位は貴族とヨーマンの間に位置します。
中世末期に封建社会が解体したころ出現し始めたイギリスの独立自営農民、もしくは中産的な農民層のこと。
イギリスでは中世末期から(貴族たちに比較すると)小さめの土地の封建領主層であった騎士たちが地方に土着しはじめました。
騎士たちは商業が発達し貨幣経済に移行するにつれて、農民たちを労働力として使い倒すよりもメリットの大きい土地を貸し出して小作料を受け取る形の『地主』になるなどしていったのです。
テューダー朝の下では国王が議会において『地域社会の代表』としてジェントリの自発的な協力を得られるような統治体制が作られていきました。
毛織物産業の成長
古くから盛んな歴史上のイギリスの産業と言えば毛織物産業です。なお、百年戦争が起こった背景でも触れています。
羊のいる風景と言えば、北部の湖水地方が有名です。湖水地方はピーターラビットでも知られていますね。
←こちらのキャラクターもイギリスが母国。
世界的に14世紀から19世紀までは寒冷化していたとも言われているため、羊毛の需要がかなり高まっていたようです。
そんな理由から15世紀末には農業を行うよりも羊を育てる方がいいと考えた領主や地主たちが農地を農民から取り上げて牧場にする囲い込み(エンクロージャー)が進み、羊毛の生産が飛躍的に拡大します。
この羊毛というイングランドの売れ筋商品を持って海外進出を行ったのでした。
東インド会社の設立
以上のような時代背景になりつつある中、エリザベス1世の治世下に国や王室の支援を受けて1600年に東インド会社が設立されます。インドや東南アジアに進出する目的ですね。国家が貿易の利益を間接的に独占する仕組みで運営された東インド会社は、やがて重商主義と結びついていくことになります。
経済で世界をリードしつつあった連邦制で強い王権を持たないオランダは中継貿易で財を成したのに対し、イングランドの場合は 絶対王政が確立され羊毛産業を中心とした交易がおこなわれました。軸がしっかりある分、イングランドの方がやがて優位に立ちはじめることに。
- イギリスの海外進出
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- ヘンリー7世:北アメリカ/カボット父子(イタリア人)による
- ヘンリー8世: 〃 など/カボット父子など
- エドワード6世:ロシア方面から中国へ行く『北西航路』(途中で断念)/ロシアとの自由貿易を獲得
そのイギリスは、エリザベス1世の代で特に活発に海外進出が始まりました。
例えば、カナダのフロビッシャー湾の名前の由来となったフロビッシャー(1535-94年)、1577-80年にかけて世界周航を行ったドレークなど。
フロビッシャーもドレークもスペイン船に対して海賊行為を行っていたことは有名で、ドレークは特に後々無敵艦隊との戦いで活躍することが知られています。
※この海賊行為は国から公式に認められていました。
オランダ独立戦争でも機能した、こうした海賊行為の数々はイギリスが海外進出を進める過程で一定の役割を果たしていたようです。