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もっと詳しいバラ戦争<テューダー朝>【イギリス史】

バラ戦争で最終的に勝利したヘンリー7世といえばテューダー朝の初代国王です。テューダー朝といえば中世イギリス史でもかなり有名どころの国王を輩出しています。

例えばヘンリー7世の息子でイギリス国教会を開きイギリス海軍の基礎を築いたヘンリー8世や彼の娘のエリザベス1世はテューダー朝の代表的な国王です。

今回はそんなテューダー朝を開いたヘンリー7世に迫りつつ、これまでよりも少し詳しいバラ戦争についてまとめていこうと思います。

 

ヘンリー7世の家族関係を見てみよう

ヘンリー7世が生まれたのはイギリスが王位継承を巡ってランカスター家ヨーク家で争っていたバラ戦争の真っ最中でした。

ヘンリー7世父はリッチモンド伯のエドマンド=テューダー、母は初代サマセット公ボーフォート家の娘・マーガレット(以後、彼女をマーガレット(母)とします)です。

ヘンリー7世(wikipedia)より 

 

テューダー家とボーフォート家について

ヘンリー7世の母の出身・ボーフォート家は初代ランカスター公・ジョンの息子から始まった家柄で、マーガレット(母)ヘンリー6世の遠縁にあたります。

ヘンリー7世家系図

元々マーガレット(母)の曾祖父ジョンが結婚前に愛人との間にできた子供たちに対して、ジョンの甥っ子(ジョンの愛人の子達の従兄弟にもあたる)でプランタジネット朝最後の王・リチャード2世王位継承権を除外するのを条件に嫡出児として扱ったために出来た家がボーフォート家でした。

 

一方のマーガレット(母)の結婚相手の出身家であるテューダー家は元々ウェールズを統治する側の家系です。そのテューダー家は、ヘンリーの祖父・オウエンが若かりし頃に(父の従弟が首謀者の)ウェールズの反乱によって没落してしまいます。

イギリスを構成する地域

そんな中でオウエンの父が何とか息子の王宮への出仕を許してもらい、オウエンは王宮の雑用係として働きはじめました。その後、オウエンが軽く出世したりしているうちにヘンリー5世は死亡して王妃キャサリンが未亡人となります。

このキャサリンのワードローブの管理人としてオウエンが働くうちに二人は恋に落ちたそうです。

当然、反乱軍の一族に温情で王宮の雑用係として置いてやった身分の低い者と国王の生母で王妃でもあるキャサリンの恋愛は許されるものではなく、法を破ってこっそりと結婚します。

この時に生まれたのがヘンリーの父エドマンドと彼の弟ジャスパーでした。

 

エドマンド=テューダーとマーガレットの結婚

エドマンド=テューダーマーガレット(母)が結婚したのは、バラ戦争の前でまだランカスター家のヘンリー6世がイングランド国王として即位していた頃のことです。

ヘンリー6世は、母キャサリンの再婚相手が『父王ヘンリー5世の治めるイングランドに反乱を何度も起こしていたウェールズ統治者の身内』であるため、自分の義弟にあたる二人の間の子供達が王妃の子として認められていないのを不憫に感じたのかもしれません。

彼らの存在を知った異父兄であるヘンリー6世は彼らを徐爵し、認知させています。

彼らを庇護下に置き爵位を与えると、翌々年に義弟のエドマンドと当時12歳で2度目の結婚となるマーガレット(母)を結婚させたのでした。

※マーガレット(母)は1歳で父を亡くしてヘンリー6世に仕えていた貴族の後見の元で育つと7歳で彼の息子と結婚していますが、その貴族が暗殺されると結婚は無効化された

 

ところが、バラ戦争に突入してヨーク家との争いにエドマンドも参加すると、彼は捕虜となって収監先で伝染病にかかり死亡。ヘンリー6世も捕虜となってしまいます。

こうしたことが重なり、ランカスター家とボーフォート家は存亡の危機に陥りました。ヘンリー(7世)はこの混乱中、エドマンドが収監先で伝染病にかかって死亡した2か月後の1457年1月に誕生しています。

若くして子を産んだマーガレット(母)は、その際に身体的損傷を負った可能性が指摘されており、ヘンリー(7世)以外の子を産むことはありませんでした。

その2年後、まだ若いマーガレット(母)はランカスター派の軍司令官の息子と再々婚。ヘンリー(7世)も父の爵位を継いでリッチモンド伯に叙されます。

 

ヘンリー(7世)、ヨーク派の保護下に置かれる

この間にもバラ戦争は続いており、ヘンリー6世の妻マーガレット率いるランカスター派の軍勢がヨーク派を追いつめて

リチャード=プランタジネットを戦死させたり、リチャードの息子エドワード(4世)が跡を継いで再度ランカスター派を追い込んだり・・・と状況は常に変わっている状況でした。

そんな情勢下でヘンリーは(7世)は叔父のペンブルック伯・ジャスパーに保護され育っていきます。そんな中、第一次内乱で最終的にランカスター派が敗北しヨーク派が勝利したことで状況は一転します。

イギリス国内における王位継承戦・バラ戦争の流れを追っていこう前回の『イギリスの内戦・バラ戦争の背景にあったイザコザとは?』では百年戦争から続くイギリス内部のゴタゴタをまとめていきましたが、今回はい...

 

1461年にヨーク派のエドワード4世が王位につくこととなり、その混乱でヘンリー(7世)はヨーク派に囚われ、剥奪された叔父の爵位・ペンブルック伯位を継いだヨーク派の貴族の保護下に置かれたのでした。

 

バラ戦争第二次内乱の発生

ところが、今度はヨークは内部で内部分裂。ヨーク派にいたキングメーカーことリチャード=ネヴィルがランカスター派と結び反乱を起こすと、ヘンリー6世が再度王位に立つように。

この反乱で混乱の中でヘンリー(7世)を保護下に置いていた貴族が処刑され、ヘンリーは宮廷に戻ることになっています。

が、この翌年。エドワード4世がブルゴーニュ公の援助を受けて攻め込むと、

ヨーク家の内紛ヘンリー6世と息子のエドワードは殺害され、さらに王妃のマーガレットも捕らえられてランカスター派はほぼ根絶やしにされました。

※ブルゴーニュ公がフランス国王と対立したのは百年戦争の頃にまで遡る。その後和解するも野心家のブルゴーニュ公の出現で事態と既得権益を排除しようと辣腕を振るうフランス国王の誕生で情勢が変化した

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ランカスター派がほぼ消されている中で「イギリスに残るのはまずい」と感じたヘンリー(7世)と叔父のジャスパーはフランスに亡命しようとしますが強風のため敵わず。半独立国家のブルターニュへ匿われることとなります。彼らは以後14年間、この地で亡命生活を送りました。

 

ブルターニュ公がヘンリー(7世)を匿った理由

当時のフランス国王・ルイ11世は父(←百年戦争で勝利したシャルル7世の顧問官たちを退け、諸侯達にも強硬な態度をとって中央集権化を進めようとした国王です。

後にルイ11世は百年戦争で荒廃したフランスを立て直したとして評価されることになりますが、勇敢に戦うよりも権謀術数の方が性に合うような周りから好かれないタイプの人。性格も『陰険』『狡猾』なんて言われています。

1465年には対フランスのために複数の諸侯達の間で同盟を組み、かつ1467年以降は軍事的にぶつかることもありました。

いつフランスで反乱を起こしてブルターニュも参戦するか分からない情勢のため、ブルターニュ公はヘンリー(7世)をいざという時にイングランドからの援助を引き出すツールとして残そうとしています。

※結局、ヘンリー(7世)とジャスパーがブルゴーニュに匿われた年が1471年。この年にも反乱を起こしている他、1475-77年にはフランスとブルゴーニュ公国やブルターニュ公らも参戦する『ブルゴーニュ戦争』も発生

 

 

なお、ブルターニュ公・フランソワ2世はヘンリー(7世)らをしっかりと匿ってくれていましたが、1476年にその彼が病気となり、顧問がエドワード4世からの引き渡し要求を受け入れようとする時期がありました。

ヘンリー(7世)は港まで赴きイギリスの使節団に引き渡されるところまでいきましたが、急な病を装ってイギリスに向かう船の出発を遅らせています。ヘンリー(7世)らの味方がすぐに到着すると隙を見て修道院に逃げ込んで九死に一生を得た一件は、彼の慎重で用心深い性格を表しているかと思います。

ヘンリー(7世)が逃げだそうとしていた頃にフランソワ2世の病気は回復。ヘンリー(7世)たちの引き渡しを撤回しています。

 

マーガレット(母)が同盟を組んだ相手とは?

ヘンリー=テューダーの母マーガレットに目を向けると、興味深い動きをしています。

彼女はエドマンドが亡くなった後、別の人と再婚と死別を経て1473年以降ヨーク派とも繋がりのあったトマス=スタンリーと4度目の結婚をしていました。

トマス=スタンリーはキングメーカーとも言われたウォリック伯リチャード=ネヴィルの生前からバラ戦争では時の権力者に追従する姿勢を取っています。いわゆる日和見主義の人物です。

※トマスは王朝も無視できない領地で影響力を持っていたので時の王でも手を出せなかった

 

そんな中で1483年、ヨーク朝で大きな動きがおこりました。エドワード4世が日頃の不摂生のために若くして急死したのです。身体は強健で40代に入ったばかりということもあって本当に突然のことでした。

マーガレット(母)はエドワード4世に取り入って息子ヘンリー(7世)の帰国に尽力するなど、それなりの関係を築いていたため、方針転換に迫られています。

 

リチャードによる王位簒奪

一方で国政上では、エドワード4世の後を息子のエドワード5世が継ぐも3か月も経たないうちに叔父のグロスター公、後のリチャード3世にとって代わられるという出来事がありました。

マーガレット(母)はリチャードが1483年6月に国王リチャード3世として即位してから彼の妻アン=ネヴィル(キングメーカー・リチャード=ネヴィルの娘で、ヘンリー6世の息子・エドワードの元妻でもある)に仕え始めています。

エドワード5世(wikipedia)より『エドワード5世とリチャード兄弟』

 

この時の王位簒奪でリチャード3世が「非常に強引な手法を取った」ことから他の貴族達...中でもエドワード5世の生母エリザベス・ウッドヴィルと彼女の家を敵に回しています。リチャード3世はウッドヴィル一族の多くを処刑、政界から排除しました。

 

リチャードの協力者とマーガレットの同盟相手とは?

ウッドヴィル家排除の際、リチャード3世に協力していたと言われているのがエリザベスの義弟でバッキンガム公のヘンリー=スタッフォードです。

ウッドヴィル家

過去に自身が若くして公爵になる際に後見人が必要だったため、エリザベスが後見役を務めていた間柄です。

が、彼女の妹との結婚をヘンリー=スタッフォードの意志を無視して強引に進めたことで仲が険悪に。その恨みは妻やウッドヴィル家に向かっていたのです。

そのため、エドワード4世が亡くなって本来なら甥でもあるエドワード5世の後見を務めるべき立場であったにもかかわらずリチャード3世の味方をしています。ウッドヴィル家で処刑された人物の中には、彼の裏切りが原因となった者もいたようです。

 

マーガレット(母)はリチャード3世との距離を縮めようとしながらも、軽視され始めていたエリザベス=ウッドヴィルと同盟を結び彼女の娘・エリザベス=オブ=ヨークとヘンリー(7世)との婚約話を進めました。

彼らは1483年12月結婚の約束をする誓いを立て、ヘンリー(7世)の王位継承の正当性を高めています。

※マーガレット(母)の出身・ボーフォート家は王位継承権を放棄する条件付きで成立したため、ヘンリーの王位は正当性に欠けていた

 

テューダー朝の成立

義実家を裏切りリチャード3世の味方となっていたヘンリー=スタッフォードですが、わずか半年でリチャード3世を見限り彼の廃位とヘンリー(7世)の即位に関する陰謀を企てました。

この背景には、彼の出自がランカスター派の家であり「(ヨーク朝の初代国王となったエドワード4世が即位した際に)没収された領地を返そう」とリチャード3世が密約を持ち掛けた可能性を指摘されています。

 

ランカスター派ということで気になるのはヘンリー(7世)との関係ですが、祖父が兄弟である又従兄弟に当たります。さらに加えて、マーガレット(母)の3番目の夫の甥っ子にもあたる人物でした。

そんな陰謀が渦巻く中で1483年7月、リチャード3世の戴冠式が行われます。

マーガレット(母)はリチャード3世の戴冠式に夫のトマス=スタンリーと共に出席しながらヘンリー=スタッフォードの陰謀にも加わり、ヘンリー(7世)の即位に動いていました。

ヘンリー=スタッフォードはウェールズで軍を集め、ヘンリー(7世)もこの動きに連動して同年10月に匿ってくれていたブルターニュ公フランソワ2世の援助を得ながらイングランドへの上陸を試みます。が、両者共に運悪く嵐に遭ってしまいました。

幸いヘンリー(7世)はブルターニュへ戻れましたが、嵐の中でリチャード3世の兵に攻撃されたヘンリー=スタッフォードは変装して逃げようとしたところを捕まって処刑されています(1483年11月)

マーガレット(母)も陰謀に加担したことがばれますが、夫がリチャード3世側について反乱を抑える側について貢献したため妻の助命を嘆願して赦免を勝ち取りました。

 

その後、リチャード3世はブルターニュの宰相に圧力をかけるとヘンリー(7世)を引き渡すよう要求。ヘンリー(7世)はこの危機を感じてブルターニュからフランスへ逃亡すると、今度はフランスに歓迎されて援護も受けています。

こうしてフランスの援護を受けることに成功させ、元々父の基盤であったウェールズから1485年にイギリスに上陸。そこでも援護を受けながら叔父や支援者と共に乗り込んでボズワースの戦いで勝利。リチャード3世を戦死させ、ようやく王位についています。

義父であるトマス=スタンリーはリチャード3世陣営にいましたが積極的に動かず、決定的な場面で裏切りヘンリー(7世)が勝利する決定打となりました。

 

その後、1486年に婚約していたエリザベス=オブ=ヨークと結婚。ヨーク家とランカスター家の融合をはかり王権の足元固めの一歩を踏み出していったのです。

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歴ブロ
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