延久の善政と称えられた名君・後三条天皇は院政の基礎を作り上げた
2020年8月18日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
平安時代の権力の推移を見ると、藤原鎌足や道長のイメージが強いのか、平清盛が出てくるまで藤原氏がずっと権力を持っていたように感じま …あの天神様を大宰府送りにした左大臣・藤原時平は切れ者だった!?
2020年8月6日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
宇多天皇に可愛がられ、醍醐天皇時代には右大臣に出世した菅原道真。
学問の神様として現在祀られていますが、その晩年は、ライバルに謀反の噂 …蹴聖と呼ばれた蹴鞠の達人・藤原成通の伝説と八咫烏
2020年7月29日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
サッカーは、明治時代に海軍兵学校生の余暇としてイギリスの軍人さんから伝えられたとされ、当時は蹴球と呼ばれていました。 日本にも蹴鞠 …徳川家康に嫌われ、秀忠には改易された六男・松平忠輝の不憫な生涯
2020年7月23日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
1592年に徳川家康の6男・忠輝が誕生しました。 しかし、父親である家康は生母・茶阿局の身分が低く、忠輝の容姿が気に入らないと言う …日本初の戦国大名北条早雲(伊勢盛時)と小田原後北条氏100年の基礎
2020年7月13日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
下剋上のパイオニアとして良く取り上げられる北条早雲は、戦国時代初期に活躍した武将で、一介の浪人から大名にまで成り上がったその野心的な生き …雑賀衆を率いて織田信長を苦しめた棟梁・雑賀孫一
2020年6月18日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
1543年に種子島に鉄砲が伝来し、わずかな期間で日本の鍛冶屋たちが量産に成功し実用化され、これまでの日本の戦の在り方がひっくり返りました …突然、豊臣家に転職した徳川家の実力者、石川数正
2020年5月25日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
戦国時代は忠義が重んじられて二君に仕えないと言うイメージが昔ありましたが、このブログを始めてからは、以外にもコロコロと主君を変えている人 …【佐々成政】信長親衛隊は波乱万丈な人生だった!?
2020年4月25日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
織田家臣団の中で羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家、丹羽長秀、滝川一益に比べるとちょっと地味な印象が強い佐々成政。 信長の親衛 …加賀百万石の祖・前田利家の一本気な人生
2020年4月22日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
おそらく北陸地方では知らない人はいないであろう、加賀百万石を一代で築いた前田利家。その才能は、武芸だけではなく算術にも長けていました。また、武将としての才能だけではなく、忠義の …幼い光秀を後見した叔父の明智光安のお家再興の願い
2020年4月11日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
明智光安は、美濃国明智城主・光綱の弟で若くして亡くなった兄の意思を継ぎ、幼かった光秀の後見として明智家を盛り立ててきました。 光秀 …織田信長と仲良しだった近衛前久は行動力のある関白だった!?
2020年3月28日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
戦国時代は、武家を中心に日本が動いていたので、逸話が多くなるのは必然の事です。 家の生き残りをかけた戦いは、なにも武家だけに限らず …稲葉良通(一鉄)の信長も実力を認めた頑固一徹な人生
2020年3月22日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
【頑固一徹】頑固な人に対してこのような慣用句を用いる事がありますが、今日に使われていることわざや慣用句には歴史上の人物に由来して …織田信勝(信行)は兄・信長より出来が良かったのか??
2020年3月17日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
織田信長が尾張を統一するまで、大きな敵だったのは他の大名家ではなく身内でした。実際に、家督を継いでから平定までに何度も身内に裏切 …妻木煕子(明智煕子)の夫・光秀を支えた一途な人生
2020年3月15日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
明智光秀の正室・煕子は、帰蝶同様に出生の謎が多くいつ亡くなったのかもはっきりしていません。わかっている事と言えば、美濃の武士で妻 …美濃国守護・土岐頼芸の時代に翻弄された人生
2020年3月7日 歴ブロ 楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
麒麟がくるが明智光秀が主人公で、美濃国周辺の大名や人間模様が繰り広げられなければ、おそらく一生モブ扱いだったのかもしれない土岐家ですが、若き日の光秀が仕える斎藤道三と土 …