中世、英仏関係が悪化した背景とは?<ヘンリー2世の治世編>
今回の英仏関係の悪化は後々百年戦争に繋がる内容となっています。
英仏関係のそもそもの大前提として
- ヴァイキングの活動が活発になり、軍事力に優れたロロが率いるノルマン人がフランスに侵入してノルマン公国が出来上がった
- ノルマン公国からノルマン人がイギリスに侵攻
- ノルマン朝が出来上がった
という経緯から「フランス王国の臣下が隣国の国王」という『ねじれ構造』ができあがっていた点が挙げられます。
それでも隣国同士折り合いをつけながらやってきていたのですが、決定的に両国が拗れたのがヘンリー2世の時代になります。
今回はヘンリー2世の時代に起こった問題とその背景をまとめていきます。
ヘンリー2世の頃のイングランドの状況は?
第3回十字軍遠征、各国史のノルマン朝~プランタジネット朝でも触れているので、詳しくは書きませんがフランス国内のアキテーヌ公の娘・アリエノールがルイ7世と結婚し、離婚後に(後の)ヘンリー2世と再婚したことで
フランスの西半分がヘンリーの領地となり、両国の間が一気に緊張感を帯びるようになっていました。
その後、ヘンリー2世はイングランド王として即位しますが、内外ともに精力的に活動するとスコットランドやアイルランドなど近隣諸国も屈服させ宗主権を手に入れるようになっていきます。と同時に、徐々に家族関係が悪化していきました。
そうしゅ‐けん【宗主権】
〘名〙 ある国が従属国に対し、その内政、外交などに関して監督を行なう権利。
フランス国王ルイ7世は、この家族関係の悪化に目をつけ反乱を起こしそうなヘンリー2世の息子を支援していきます。
家族関係を見てみよう
長男は夭逝し、次男三男はフランス国王・ルイ7世の娘と結婚・婚約、四男はブリュターニュ公の娘と婚約・結婚(1166年婚約、1181年に結婚)しています。
この四男とブリュターニュ公の娘との婚約を機に、ブリュターニュと呼ばれる地域はノルマンディーと主従関係を結んでアンジュー帝国に組み込まれることになりました。
なお、リチャードはアリエノールの気質を最も継いだお気に入りの息子です。後に『獅子心王』と呼ばれるほど戦いに長け、第3回十字軍で大活躍しています。
一方で、国王の一家となると当時は特に宗教界との関わりも結構あった訳で、その教会とのイザコザが家族関係にも諸に関係に影響を与えていくことになります。
ヘンリー2世とイングランド教会との関係は??
当時、イングランドではノルマン朝時代を通して教会独自の権力を持つに至った訳ですが、その独自の権力を裏付ける一つの要素にイングランド教会では聖職者の裁判が出来る「教会裁判所」の存在がありました。
国王による世俗の裁判所では死罪にあたる罪でも、聖職者を名乗ってしまえば教会裁判所の裁判で罪を軽くすることも可能だったわけです。
ヘンリー2世は、これを問題視して
- 教会裁判所で聖位を奪われれば改めて世俗の裁判所で裁くことが出来る
- 国王の許可なく聖職者がローマ教皇へ上訴するのを禁じる
よう法を定めますが、猛反対したのがカンタベリー教会の大司教トマス・ベケットでした。
トマス・ベケットは、大法官という地位にいた時期にはヘンリー2世の友人でもあり、後継者として期待していた息子の若ヘンリーの教育係まで勤め上げた人物だったのですが...
カンタベリー大司教となって立場が変わると、強い王権の下に教会を置こうとするヘンリー2世とは仲違いしてしまったのです。
※カンタベリー教会については『ノルマン朝~プランタジネット朝』参照
この対立で亡命を余儀なくされたトマス・ベケットは、フランス国王ルイ7世の下に身を寄せています。
そんなイングランド教会トップのカンタベリー大司教トマス・ベケットがイングランドに不在の中でヘンリー2世は共同統治するために若ヘンリーの戴冠式を行ってしまいます。
本来はカンタベリー教会が行うべきはずの儀式をヨーク大司教や親国王派の司教達が代行したため、トマス・ベケットは怒って一時帰国すると彼らを破門に。
この破門した件でトマス・ベケットに対して大激怒しているヘンリー2世の様子を見て、国王側の騎士たちが「国王は大司教の死を望んでる」と解釈。暗殺してしまいました。
父が直接かかわったかどうかは分からないとは言え、恩師を殺された若ヘンリーが父に対して不信感が募っても無理もない出来事でした。
なお、このトマス・ベケットの死をローマ=キリスト教会は「自らの信仰のために命を失った殉教者」として扱い、巡礼者達を随時イングランドに送り込む事態に。
これが非常に厄介だった。ヘンリー2世の立場は非常に悪くなり、最終的には教会に屈服。教会の領事裁判権を認めるに至っています。イングランド版の叙任権闘争(第一弾)ですね。
息子達の離反
教会とイザコザを起こしている裏でヘンリー2世は家庭内でもゴタゴタも抱えていました。一つは相続関係、もう一つは女性関係です。
お金、権力、名誉を持った家庭でありがちな問題ですね(←偏見)。ここをちょっとだけ詳しく見ていきましょう。
相続問題とヘンリー2世の女性問題
ノルマンディー・アキテーヌなど大陸側の領地はフランス国王に臣従することで所領を認められるため、ルイ7世がヘンリー2世に後継の提案なんかもしていたようです。その提案を受け入れて若ヘンリーが後継者として定められています。
その結果、以下のような領地配分となりました。
- 長男:ウィリアム・・・既に逝去
- 次男:若ヘンリー(14歳)・・・ノルマンディー、アンジュー、メーヌ、トゥーレーヌ
- 三男:リチャード(12歳)・・・アキテーヌ
- 四男:ジェフリー<フランス語だとジョフロワ>(11歳)・・・ブリュターニュ
- 五男:ジョン(2歳)・・・・・幼いため領地なし
※( )内は1169年、領地を引き継いだ時の年齢です
フランス国王・ルイ7世からすれば、次男の若ヘンリーは2番目の妻との間の娘・マグリットと結婚していましたし、三男のリチャードもマグリットの妹・アデルと婚約していたので、ジェフリーとジョン以外なら...と考えていたのかもしれません。
なお...若ヘンリーとマグリットが結婚したのは1160年。若ヘンリー5歳、マグリット2歳の時のことでした。完全な政略結婚です。トマス・ベケットが仲介役を請け負っています。
当時はルイ7世に息子がおらず、ヘンリー2世の「あわよくばフランス国王も」っていうのが見え隠れしますね。なお、後々ルイ7世には3番目の妻との間にフィリップが誕生しています。
さて。同時期に起こったもう一つの問題が女性問題。これまでもヘンリー2世はちょこちょこ不倫はしていたようですが、アリエノールはギリギリの所で踏みとどまっていました。
ところが、その時はアリエノールが妊娠中...しかも宮殿に同居を始めようとします(時期については諸説ありますが、大体トマス・ベケット暗殺の前後だったと言われています)。
流石に堪忍袋の緒が切れた妻は別居を決意。
アリエノールは(当時としては珍しく)父から領主として教育を受けた上で領地を引き継いでいましたし、経済力のある女性が別居を決めるまで時間がかからないのは今と一緒です。
バイタリティー溢れた女性だったこともあって、夫から自立すべく裏で色々と画策を始めていきます。
そんな中で、ヘンリー2世はジョンを溺愛するようになっていました。そんなジョンに結婚の話が上がった時、後継者に定められた若ヘンリーに対して
一部の領地を与えることを要求します。
若ヘンリーとしては、
共同統治とは名ばかりの実権のない状況、恩師の暗殺事件、ジョンへの偏愛など、不満を抱いていた中での領地要求に大反発。義父でもあるフランス国王ルイ7世の下へと走りました。
こうしてルイ7世も動き始め、ヘンリー2世包囲網が確実に出来上がっていきます。
息子達の反乱(1173~1174年)
ヘンリー2世は教会とも和解(1172年)し表向きは絶頂期に入ろうかという翌年...
裏では家族たちによる打倒父・夫という状況が整っていきました。若ヘンリーは、母アリエノールとリチャード・ジェフリーの弟、さらにルイ7世の支援を受けて反乱を起こします。この時、ルイ7世の呼びかけに応じてフランス諸侯が集まった他、スコットランド王もこれに参加。
かなり規模の大きな反乱となったため当初はヘンリー2世に不利な状況でしたが...全部自分で強引に動いてしまうだけで、能力的には有能なヘンリー2世は何とか鎮圧させました。
息子達とは和解し、反乱の原因が全部自分でやってきたことによるものと省みて一部の自治権を渡すことに。そうは言っても、やっぱり性格的に実権までは渡せなかったようですが。
一方で首謀者とされたアリエノールは以後15年ほど幽閉されてしまいます。
アリエノールが幽閉されている中、ヘンリー2世はアリエノールとの離婚を進め(実際にはできませんでしたが)リチャードの婚約者でルイ7世の娘アデル(若ヘンリーの奥さんの妹にあたる)と再婚しようとしていた、実際に手を出していたなんて噂が流れました。
※アデルはリチャードの婚約者としてプランタジネット家で育てられています
アリエノールに最も可愛がれていたリチャードを警戒してルイ7世と同盟を結ばないように釘を指していた意図もあったとされていますが...
そんなわけで、リチャードにはずっと父に反発する素地が残されていくこととなります。
ルイ7世の死とフィリップ2世の即位
一方のフランスでは...
これまでヘンリー2世とちょこちょこやり合っていたルイ7世が60歳で亡くなり、世代交代の波が押し寄せました。
ルイ7世の次を担ったのはフィリップ2世です。
ルイ7世三番目の奥さんアデルとの間の子で1165年に生まれています。プランタジネット家の息子達とは兄弟のように育って、特にジョフロワとは特に仲が良かったそうです。彼もプランタジネット家の仲の悪さに付け込む父の方針を受け継いでいます。
ヘンリー2世の後継は結局どうなったの??
長年のライバルの死を目にして、反乱後ちょっぴり反省して息子達に自治権の一部を渡したものの実権を与えていなかったヘンリー2世は「流石に本格的な後継者対策にテコ入れが必要」と考えるようになりました。
1182年、若ヘンリーを本格的に周囲にも後継者として認めさせるためにリチャードやジョフロワを兄に臣従させようとしたのですが、リチャードは拒否。若ヘンリーとジョフロワがリチャードを攻撃する事態になったのです。
ところが、その翌年。突如若ヘンリーが熱病にかかり死亡。リチャードがそのまま後継者に移行したのですが
懲りずに、ヘンリー2世はジョンに領地を譲れと言いはじめます。
そして、これを機に再度父に反発を始めるようになりました。
ジョフロワの死とリチャードとの決定的な対立
兄や父たちの諍いの繰り返しに疲れたのか、ジョフロワは父たちから離れるようになっていました。仲の良いフィリップ2世のもとへ身を寄せるようになっていました。
ところが、1186年にフィリップ2世の下で行われた馬上槍試合の最中の事故によってジョフロワが死亡。これを機にフィリップ2世はこの後リチャードと親しくなっていきます。
そんな中でフィリップ2世は『リチャードと(リチャードの婚約者でフィリップの異母姉)アデルとの結婚』を切り出します。結婚しないなら、アデルの持参金替わりとしてプランタジネット家の支配下に置かれている「領地を返還しろ」という至極当然の要求です。
さらに異母姉マグリットの絡みで獲た領地を若ヘンリーが亡くなった後もプランタジネット家支配下に置いている場所があるので「マグリットの領地も一緒に返還しろ」というご尤もな要求も一緒に行いました。
それでも「アデルがリチャードと結婚すればフランスの領地をリチャード(プランタジネット家)所領として認めるよ」と言ったわけです。
ところがヘンリー2世はこれを拒否。
これに対して、リチャードは
「今まではあり得ないと思っていたけど事実だと分かった」
というようなことを言ったそうです。
自分の父親が婚約者に手を出したのでは...という噂の件ですね。実際、この噂はおおむね事実だったとされています。
父親からは悪感情を持たれた上に婚約者を取られ、所領や政治の実権まで奪われかねないとなれば、そりゃ誰でも縁切りしたくもなりますね。
というわけで、以後、リチャードはヘンリー2世と完全に対立姿勢を貫くようになります。フィリップ2世としたら思った以上の成果と言えましょう。
リチャード対ヘンリー2世
息子と再度対決することになったヘンリー2世でしたが、以前と違って自分は年も取って衰えつつある上に相手はリチャード。
当時のリチャードは(経験の少ない10代半ばの頃の反乱とは違って)経験も体力もある30代前半でとんでもなく強かった。世界史的にもトップクラスの武闘派でした。
コーエーの蒼き狼と白き牝鹿Ⅳというゲームではステータスが参加武将でトップの戦闘力98。ちなみに政治力は35に設定されてました。なお、フィリップ2世は知性98(と総合力)でトップ。ゲームだけど指標として。
そのうえ、息子側にはフランスの偉大な王として『尊厳王』とまで呼ばれたフィリップ2世が同盟相手としてついています。この二人相手では、どうひっくり返っても戦況は悪化するだけです。
溺愛していた息子ジョンの領地のために、ジョンと共にヘンリー2世は戦っていましたが、次第に窮地に陥り兄の勝利が見えてくると父を裏切り兄につきます。
最愛の息子にまで裏切られたと知ったヘンリー2世は意気消沈し気力を失うと、そのまま崩御となりました。結局、この反乱を機にリチャードがイングランド王を引き継いでいくことになったのは前回のプランタジネット朝でお話しした通りです。
この後、リチャード → ジョン・・・とイングランド王位が続き、その中で大陸側の領地を失ったり手に入れたりするのですが、ヘンリー2世の統治していたアンジュー帝国時代の領地や後々築く血縁関係を根拠として本格的な争いに突入していったのが百年戦争です。
百年戦争は今回の話から150年近く後の話となりますが、「遠因になった」ということでヘンリー2世の治世は頭の片隅に入れておくと理解度が変わっていくんじゃないかと思います。