ヨーロッパ

18世紀のスペインはどう変わった?ブルボン朝の改革を解説

歴ブロ

18世紀初頭、スペインではハプスブルク朝に代わってブルボン朝が成立しました。

初代国王フェリペ5世は、それまで地域ごとに異なっていた統治制度の再編を進め、その後の国王たちも財政・軍事・経済など、さまざまな分野で改革に取り組みます。

こうした改革によって、スペインの政治や社会はどのように変わったのでしょうか。

今回は、18世紀のブルボン朝の改革を歴代国王の政策とともに振り返り、その成果と限界について解説します。

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ブルボン朝成立と改革の背景

18世紀以前のスペインは、カスティーリャ王国やアラゴン王国系の諸地域など、異なる法律や政治制度を持つ地域が、一人の国王のもとに結びついた国家でした。

15世紀後半にカトリック両王のもとで両王国の結びつきが成立した後も、それぞれの統治制度は維持されていました。

一方、ハプスブルク朝時代には度重なる戦争によって財政負担が増大し、国家運営の立て直しが課題となっていました。

1700年、スペイン王カルロス2世が後継者を残さず死去すると、フランス王ルイ14世の孫フェリペ5世が即位。その王位継承をめぐってスペイン継承戦争が勃発しました。

戦争を経て王位を維持したフェリペ5世は、ブルボン朝のもとで統治制度の再編を進めていきます。

フェリペ5世と中央集権化

スペイン継承戦争を経て王位を維持したフェリペ5世の治世には、フランスの統治制度も参考にしながら、王権を支える行政機構の再編が進められました。

その代表的な政策が、1707年から1716年にかけて出された新組織王令(ヌエバ・プランタ)です。

この法令によって、アラゴン、バレンシア、カタルーニャ、マジョルカ島などでは従来の議会や統治制度が廃止・再編され、国王が任命する総司令官や裁判・行政機関が統治を担うようになりました。これらの地域には、基本的にカスティーリャの法制が導入されます。もっとも、地域固有の法律がすべて廃止されたわけではなく、ナバラやバスク地方などには従来の特権が残されました。

一方、中央政府でも行政改革が進み、従来の評議会の役割が縮小するなか、国王直属の秘書官が政治に関わる範囲を広げ、財政や軍事などの行政を分担する仕組みが整えられました。

さらに、徴税制度の見直しや陸海軍の再編も進められ、国家の財政・軍事力を強化する体制づくりが進みます。

こうしてフェリペ5世の治世には、地域ごとに異なる制度を持っていたスペインで中央集権化が進み、後のブルボン改革の基礎が築かれました。

フェルナンド6世と国内再建

1746年、フェリペ5世の死去によって息子のフェルナンド6世が即位しました。

フェリペ5世の時代には、スペイン継承戦争後もイタリアの領土をめぐる戦争などに参戦していましたが、フェルナンド6世は対外戦争から距離を置き、フランスとイギリスの対立に巻き込まれない中立外交を重視します。

その一方で、国内の財政改革や海軍力の強化を進めました。

れきぶろ
れきぶろ

当時のヨーロッパでは、イギリスとフランスが植民地や貿易の主導権をめぐって争っていました。

こうした長期的な対立は「第二次百年戦争」とも呼ばれています。

改革の中心人物となったのが、エンセナーダ侯です。

当時のカスティーリャでは徴税制度が複雑で、税負担にも不均衡がありました。そこで1749年から、土地や家屋、収入などを調べる大規模な調査が始まり、「エンセナーダの土地台帳」が作成されます。

これは従来の複雑な税を整理し、財産や収益に応じて課税する単一税の導入を目指したものです。ところが、特権層の抵抗などもあり、構想どおりの税制改革は実現しませんでした。

また、造船所や海軍施設の整備を進め、対外戦争を避けながら軍事力を強化。道路や運河、港湾などの建設にも取り組み、国内の交通や物流の改善を図りました。文化面では、1752年に王立サン・フェルナンド美術アカデミーが設立され、美術教育や芸術活動の振興も進められています。

さらに1753年には教皇庁との協約を結び、教会職の任命に関する国王の権限を拡大しました。

こうしてフェルナンド6世の治世には、対外関係の安定を図りながら、国家の財政・軍事基盤を整える政策が進められました。

カルロス3世と啓蒙改革

1759年、フェルナンド6世が後継者を残さず死去すると、異母弟のカルロス3世が即位しました。

カルロス3世は、それまでナポリ王国などを統治した経験を持ち、スペインでも啓蒙思想の影響を受けた改革を進めます。

当時のヨーロッパでは、プロイセンのフリードリヒ2世やロシアのエカチェリーナ2世、オーストリアのヨーゼフ2世なども、啓蒙思想を取り入れた改革を進めていました。こうした君主が王権を維持しながら、上から社会や経済の改革を進める政治は、啓蒙専制主義と呼ばれています。

経済振興と国内の改革

カルロス3世の治世には、農業や商工業を振興するため、さまざまな政策が進められました。

1765年には穀物取引の自由化が実施され、市場での取引を活発にすることで食料供給の改善が図られます。

ところが、当時は凶作による食料不足や価格の高騰が問題となっており、こうした改革に対する人々の不満も高まりました。

1766年には、服装に関する規制をきっかけに、マドリードなどでエスキラーチェの乱が発生。食料価格の高騰や生活への不満も重なり、国王は一部の政策の撤回を余儀なくされました。

エスキラーチェの乱

カルロス3世の重臣エスキラーチェ侯が、首都マドリードの治安改善を目的に、都市改革の一環として長いマントやつばの広い帽子の着用を規制したことをきっかけに起きた暴動です(啓蒙思想にふさわしい近代的な首都へ変えようとする側面もありました)。

一方、当時は凶作や穀物価格の高騰などによって生活への不満が強まっており、政府の改革に対する反発が暴動へと発展しました。

暴動後、政府は服装規制の撤回を迫られ、エスキラーチェ侯も失脚しました。

その後も経済振興は続き、1767年にはシエラ・モレナ地方などで入植事業が始まります。また、農業・工業・商業の発展を目指す経済協会の活動が広がり、1782年にはサン・カルロス銀行(現在のスペイン銀行の前身)が設立されました。

教会政策とイエズス会の追放

カルロス3世は、教会に対する王権の統制も強めました。

その代表的な出来事が、1767年のイエズス会追放です。

イエズス会は、当時、スペイン本国やアメリカ植民地で教育・宣教活動を展開し、大きな影響力を持っていました。ローマ教皇への特別な服従を誓う修道会でもあり、王権による教会統制を重視する政府との間で対立が生じていました。

こうした中、政府はイエズス会がエスキラーチェ暴動に関与したと疑い、スペイン本国と海外領土から追放します。

※実際にどの程度関与していたのかについては明らかではありません。

なお、イエズス会は教育にも大きな影響力を持っていたため、追放後には教育制度の再編も進められました。

七年戦争と海外帝国の再編

外交では、フェルナンド6世の中立路線から転換し、1761年にフランスとの間に第三次家族協約を締結しました(スペインとフランスでは、ともにブルボン家が王位に就いており、フェリペ5世の時代から「家族協約」と呼ばれる同盟がたびたび結ばれています)。

翌1762年、スペインはフランス側に立って七年戦争に参戦します。しかしイギリス軍によってハバナやマニラを占領され、1763年の講和では両都市を返還されたものの、フロリダをイギリスに割譲しました。

七年戦争後のスペイン領土の変遷
図解:ChatGPTを使用して作成

こうした経験を背景に、カルロス3世の治世にはアメリカ植民地の防衛や行政制度の見直しが進められます。

植民地の徴税・行政機構を整備する一方、1778年にはスペイン本国とアメリカ植民地の間で貿易できる港を増やし、帝国内の交易を活発にしようとしました。

こうしてカルロス3世の時代には、国内の経済振興から教会政策、海外帝国の統治に至るまで、幅広い改革が進められたのです。

ブルボン改革でスペインはどう変わったのか?

18世紀のスペインでは、ブルボン朝の歴代国王によって中央集権化が進み、行政・財政・軍事などの国家運営が大きく変化しました。

同時に、この時期には政治改革が進められただけでなく、社会や経済にも変化が見られています。

人口が増加し、農業生産や商工業も発展。特にカタルーニャ地方では、バルセロナを中心に綿工業が成長し、18世紀末にはイギリスで生まれた紡績技術も導入されました。

もっとも、こうした経済発展には地域差があり、スペイン全土で産業革命が進んだわけではありません。人口や生産活動の拡大にも、農業や貿易の発展など、さまざまな要因が関係しています。

れきぶろ
れきぶろ

スペインは中央部に高原が広がり、周囲を山地に囲まれているため、地域間の交通や物資の輸送が難しいという地理的条件もありました。

こうした事情も、経済発展に地域差が生じた要因の一つです。

一方、貴族や聖職者の特権、大土地所有など、従来の社会構造は残されていました。エンセナーダ侯の税制改革が実現しなかったことからも、改革の難しさがうかがえます。

1788年にカルロス3世の後を継いでカルロス4世が即位すると、翌年にはフランス革命が勃発。その後、スペインはフランスやイギリスとの戦争に巻き込まれ、1808年にはナポレオン軍の介入によって王政が危機に陥りました。

こうして18世紀に進められた国家の立て直しは、一定の成果を上げながらも、19世紀初頭の政治的混乱によって新たな試練を迎えることになります。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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