ヨーロッパ

スペイン帝国はなぜ大量の銀を得ても財政難だったのか?

歴ブロ

1519年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が死去すると、次の皇帝の座をめぐってハプスブルク家のカールとフランス王フランソワ1世らが争いました。

この皇帝選挙でカールの資金調達を支えたのが、ドイツの金融商人ヤーコプ・フッガーです。カールは選挙のために巨額の資金を必要とし、フッガー家から約54万グルデン(当時のドイツ地域で使われていた通貨単位)もの資金提供を受けたとされています。

選挙の結果、カールが皇帝に選ばれ、カール5世となりました。彼はスペイン王カルロス1世としても広大な領土を支配していました。彼の治世には、スペイン領アメリカでも銀山開発が進みます。16世紀半ば以降、そこで採掘された大量の銀がヨーロッパへ運ばれるようになりました。

ところが、大量の銀が流入していたにもかかわらず、スペイン王室の財政難は解消されませんでした。カールの後を継いだフェリペ2世の時代には、借金の返済を停止する事態が繰り返されています。

なぜ、大量の銀が流入していたスペインで、王室は借金を重ねていたのでしょうか。

今回は、16世紀のスペイン帝国を取り上げ、王室の収入や戦争にかかった費用、金融業者との関係から、その理由をわかりやすく解説します。

スポンサーリンク

スペインにはなぜ大量の銀が流入したのか

16世紀、スペインはアメリカ大陸への進出を進め、現在のメキシコや南アメリカの広い地域を支配下に置きました。

そのなかで重要だったのが、各地で発見された銀山です。

1545年には現在のボリビアにあたるポトシ銀山で採掘が始まり、翌1546年にはメキシコのサカテカスでも銀鉱脈が発見されました。これらはスペイン領アメリカを代表する銀の生産地となっていきます。

さらに16世紀半ばには、水銀を使って鉱石から銀を取り出す技術が導入されました。この方法によって、それまで利用しにくかった鉱石からも銀を取り出せるようになり、16世紀後半には生産量が大きく増加します。

ポトシ銀山の採掘風景を描いた版画(16世紀末、テオドール・ド・ブリ)
ポトシ銀山の採掘風景を描いた版画(16世紀末、テオドール・デ・ブリ)

この銀山での採掘や精錬を支えていたのは、主に現地の先住民をはじめとする労働者たちでした。ポトシでは、先住民に労働を割り当てる制度も利用され、多くの人々が鉱山で働かされました。

こうして生産された銀の一部は、陸路や海路で港へ運ばれ、大西洋を渡る船によってスペインへ届けられます。

スペイン王室はセビリアに設置した通商院を通じて、アメリカ大陸との貿易や船舶の往来を管理していました。

こうした銀山の開発と採掘技術の発達によって、大量の銀がスペインへ運ばれるようになりました。ただし、王室が実際に得られる収入は、その一部に限られていました。

アメリカ大陸の銀はすべて国王のものだったのか

アメリカ大陸の銀山では、民間の鉱山経営者などが採掘を行い、スペイン王室は生産された貴金属に税金を課していました。

代表的なのが、産出された貴金属の原則5分の1を徴収する「五分の一税」です。こうして王室は銀山から収入を得ていましたが、銀の多くは鉱山経営者や商人などの取引にも使われました。

では、王室にとってアメリカ大陸からの収入は、どれほど重要だったのでしょうか。

2022年に発表された研究によると、フェリペ2世の治世(1556〜1598年)にカスティーリャで計上された王室収入は約3億ドゥカート(当時のスペインで使われていた通貨・会計単位)。そのうちアメリカ大陸から送られてきた王室の貴金属収入は約6,000万ドゥカートで、全体のおよそ2割でした。

王室収入の多くは、カスティーリャで徴収される税金などによって支えられていたのです。

また、カスティーリャ以外の領土には、それぞれ異なる課税制度がありました。スペイン王は広大な領土を支配していましたが、各地の税収を自由に増やしたり、移動させたりできるわけではありませんでした。

さらに、アメリカ大陸で集めた税金も、現地の統治や港の防衛などに使われています。

こうした事情から、スペイン帝国全体で得られる富と、王室が戦争などに利用できる資金には違いがあったのです。

なぜスペイン王室は巨額の戦費を必要としたのか

スペイン王室の財政に大きな負担をかけていたのが、ヨーロッパ各地で繰り返された戦争です。

カルロス1世(カール5世)は、フランス王フランソワ1世とのイタリア戦争をはじめ、オスマン帝国やドイツのプロテスタント諸侯との戦いに多額の資金を費やしました。

こうした軍事活動には、カルロスが支配する各地の財源が利用され、カスティーリャにも大きな負担がかかりました。

1556年に即位したフェリペ2世も、父の戦争と債務を引き継ぎます。1559年にフランスとの戦争が終結した後も、地中海ではオスマン帝国との対立が続き、1571年にはレパントの海戦が起こりました。

さらに、1560年代後半からはネーデルラントで反乱が広がり、長期にわたる戦争へと発展します。1580年代にはイングランドとの戦争も始まり、1588年にはアルマダ艦隊による遠征が失敗しました。

特に大きな負担となったのが、遠く離れた地域での軍隊の維持です。兵士への給料や食料、武器の調達には、戦闘が行われていない期間も継続して資金が必要でした。

例えば1574年には、カスティーリャからネーデルラント方面へ約374万ドゥカート、地中海艦隊にも約125万ドゥカートが送られています。

複数の戦線を同時に維持するには、王室が得る税収だけでなく、必要な時期に軍資金を用意し、現地へ届ける仕組みが欠かせませんでした。

そこで重要な役割を果たしたのが、ヨーロッパ各地に取引網を持つ金融業者たちだったのです。

スペイン王室はどのように借金をしていたのか

巨額の戦費を必要としたスペイン王室は、ヨーロッパ各地の金融業者から資金を借り入れていました。

その代表的な存在が、導入でも紹介したフッガー家です。カルロス1世(カール5世)は、皇帝選挙などで生じた借金の返済に関連して、1525年からスペインのアルマデン水銀鉱山などの収益を得る権利をフッガー家に認めました。

れきぶろ
れきぶろ

これは、王室が将来得られる収入を利用して、必要な資金を調達していたことを意味します。

フェリペ2世の時代になると、特に重要な役割を果たしたのがイタリアのジェノヴァの金融業者でした。

彼らは王室にお金を貸すだけでなく、ネーデルラントなど遠く離れた地域への送金も担っていました。各地に取引相手を持つ金融業者を利用することで、王室は軍隊が必要とする場所に資金を用意できたのです。

また、借金の返済には将来の税収などが利用され、短期の借金を長期の借金に切り替える仕組みもありました。

スペイン王室と金融業者の関係(ChatGPTを使用して作成)

こうした金融業者との取引によって、スペイン王室は税収やアメリカ大陸からの銀が届く前にも、戦争に必要な資金を確保できた一方、借金を重ねることで、将来の税収から元金や利息を返済する負担も増えていきました。

フェリペ2世はなぜ何度も「破産」したのか

金融業者から借金を重ねていたスペイン王室ですが、フェリペ2世の時代には、1557年・1560年・1575年・1596年の4回にわたって債務の支払停止が行われました。

この出来事は「国家破産」と呼ばれることもあります。ただし、当時の支払停止は、金融業者との契約を見直し、返済方法や期限を再交渉するという性格も持っていました。

では、なぜ王室は何度も支払いを停止したのでしょうか。

大きな理由の一つは、戦争に多額の資金が必要となる一方で、借金の返済に充てられる税収や、その時点で利用できる資金には限りがあったことです。

王室は将来の税収を見込んで借金をしていましたが、税金を増やすにはカスティーリャの議会(コルテス)や都市との交渉も必要でした。さらに、アメリカ大陸からの銀も、毎年決まった金額が届くわけではありません。

特に1575年には、フェリペ2世が金融業者への支払いを停止したことで、新たな融資も滞る事態となりました。

その後、王室は議会側との税制をめぐる交渉を進め、1577年には金融業者とも債務の返済条件について合意します。これによって、王室への融資が再開されました。

金融業者にとっても、スペイン王室への融資は利益を得られる事業です。支払停止によって損失を被ることがあっても、王室との取引は続いていきました。

大量の銀はスペインに何をもたらしたのか

アメリカ大陸から大量の銀が運ばれるようになると、その影響はスペインだけでなく、ヨーロッパ各地にも広がりました。

16世紀のヨーロッパでは、物価が長期的に上昇する「価格革命」が起こっています。人口増加なども関係していましたが、アメリカ大陸からの銀の流入も重要な要因の一つでした。

また、スペインに運ばれた銀は、輸入品の代金や戦費、借金の返済などに使われ、ヨーロッパ各地へと流れていきます。

こうして大量の銀は経済活動を支える一方、物価上昇にも影響を与えました。

スペイン王室も銀から収入を得ていましたが、広大な領土を維持するための戦費や借金の返済には、多額の資金が必要でした。

スペイン王室の財政難は、銀の流入量だけでなく、戦争にかかる費用や税収の仕組み、金融業者との関係が重なって生じた問題だったのです。

スポンサーリンク
ABOUT ME
歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました