わかりやすい五代十国時代~北宋の誕生<中国史>【907~960年】

歴ブロ

中国でが滅亡(907年)してからが建国(960年)し中国を統一する(979年)までの時代を五代十国と呼んでいます。

唐の衰退のきっかけとなった安史の乱で中央政府の統制が弱体化し、各地で節度使が力を持つようになっていました。税制が崩壊し貴重な財源として唐は塩の専売を開始しますが密売が横行。

この密売者への厳しい取り締まりの末、不満を持った塩の密売人・黄巣が【黄巣の乱】を起こすと全国に反乱が波及し弱体化した所で10世紀の初めに朱全忠(852~912年)に滅ぼされました。

今回は楚の朱全忠が立てた後梁の建国から短命続きの5つの王朝と10の地方政権の興亡が起こった混乱期についてまとめていきます。

唐の動揺と衰退【安史の乱とは??】<中国史>安史の乱以降の流れは『隋と唐の建国』の記事でもチラッと触れていますが、今回はいよいよ唐が衰退した時のお話を具体的にしていこうと思います。...

 

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どんな国、どんな地方政権があったの??

五代とは華北で興亡した都を開封(後漢のみ洛陽)とする5つの王朝を、十国とは華中・華南で興亡した10あまりの国を指しています。

※ちなみに開封とは黄河との時代の皇帝が2代に渡って作った大運河の合流地点です。

 

五代は

  • 後梁(907~923年):建国者は朱全忠
  • 後唐(923~936年): 〃  李存勗
  • 後晋(936~946年): 〃  石敬瑭
  • 後漢(947~950年): 〃  劉知遠
  • 後周(951~960年): 〃  郭威

そのうち、後晋は王朝を開くために北方の契丹という国にとんでもない物を差し出しました。以後、後漢・後周さらにその次のの時代にまで苦しめられることになります。

※『後◯』の読み方は全て『こう◯◯』と読みます。後漢はこうかん、後周はこうしゅうなど

十国は

  • 南漢
  • 南唐
  • 呉越
  • 荊南
  • 前蜀
  • 北漢

これらの国々が起こっては滅びしていました。とにかく大混乱です。

 

こうして安史の乱以降、戦乱が続き国々が興亡を繰り返したという背景から元々力を持っていた旧来の貴族達が没落。経済基盤であった荘園を失っています。

代わりに台頭していったのが軍人勢力と結託した新興地主層でした。

従来の荘園を直接開拓するのではなく、買い集めた土地を小作人佃戸・でんこ)に貸し出して小作料を取り経済力をつけていったのです。

また、唐代末期に置かれた節度使を主とする軍閥・藩鎮が軍事・民政・財政まで掌握する独立した地方勢力となっていきました。彼らが武力による専制的な武断政治を行うようになると、完全に貴族層は没落していったのでした。

 

また、唐という大国がなくなったことで中国周辺の諸地域にも政治的・社会的変動が起こっていくことになります。

 

契丹に後晋が差し出した物とは??

契丹とは4世紀から現モンゴル・中国北東部・極東ロシアといった地域に居住していた遊牧民族で、中国が混乱に陥っている中で916年に契丹国(国号はを建てています。更に北部にいる女真族や西の西夏、ウイグルや突蕨などといった部族を服属させたものすごく強い国でした。

そんな契丹が、936~946年に華北で王朝を開いた後晋を援助。代わりに万里の長城の内側にある燕雲十六州を受け取ることとなったのです。

本来なら戦闘能力の高い北方遊牧民を侵入させないための万里の長城なわけで、内側を取られると非常にまずい。

そのため後漢以降、燕雲十六州を取り返す動きを何度もしたのですが上手くいきませんでした。実際に返還されるのは宋の時代に入ってからとなります。

 

北宋の誕生

五代で随一の名君と言われた後周二代目の世宗。建国者・郭威の妻の兄に当たります。彼が亡くなると、7歳の息子が皇帝に即位。その動揺を見計らって(契丹)が南下してきました。

960年、遼の南下を防ぐために出陣したのが節度使の趙匡胤。後周の最後の皇帝を皇太后と共に補佐していた人物でもあります。

が、幼帝に不安を抱いていた趙匡胤の配下たちが彼を擁立して開封を占領。皇帝が趙匡胤に禅譲したことで宋王朝は開かれました。

今までの禅譲とは異なり元皇帝を守役を付けた上で地方に送ると、21歳で病死した後も皇帝に対するのと同じ形式で葬儀を執り行っており最後まで敬意を表していたようです。

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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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