世界史

赤と白の薔薇が一つになったテューダー朝の成立【イギリス史】

フランスとの戦い・百年戦争の後にイギリスで起こった王位継承争い・バラ戦争(1455~1485年)。ここではバラ戦争の終結と結果できたテューダー朝の始まりについてまとめていきます。

イギリスの内戦・バラ戦争の背景にあったイザコザとは?英仏間で領地とフランス王位をかけて争った百年戦争(1337~1445年)の後半あたりからイギリスでも内部分裂の兆しが見え始めていました。...
イギリス国内における王位継承戦・バラ戦争の流れを追っていこう前回の『イギリスの内戦・バラ戦争の背景にあったイザコザとは?』では百年戦争から続くイギリス内部のゴタゴタをまとめていきましたが、今回はい...

 

ヨーク朝の衰退

百年戦争を起こしたエドワード3世の息子の代から作られたランカスター家ヨーク家で骨肉の戦いが繰り広げられた末、ようやくヨーク家のエドワード4世が即位し足元固めをしはじめようかという時期にに若い頃からの暴飲暴食が祟って死去(1483年)

その後は弟のリチャード3世が王位継承戦を勝ち抜くかと思われたのですが...

ランカスター家とヨーク家家系図

リチャード3世

◆ 協力者と対立して処刑など行う
◆ 戴冠式寸前のエドワード4世の息子エドワード5世リチャード兄弟をロンドン塔へ幽閉

するなど、強引な手法で即位したため貴族層から反発を喰らっていました。

その反発する貴族達の筆頭となっていたのがエドワード4世の妻でエドワード5世とリチャードらの母・エリザベス=ウッドヴィルと、その実家のウッドヴィル家です。

※この時点で二人は殺害されたと考えられていました

エドワード5世(イングランド王)wikipediaより
ポール・ドラローシュ『エドワード5世とリチャード兄弟』

 

ヘンリー7世と彼の母マーガレットの動向

リチャード3世が反感を買うようになっていた中で、ヘンリー(7世)の母マーガレットの3番目の夫の甥(ランカスター派)バッキンガム公・ヘンリー=スタッフォードがリチャード3世を倒そうと陰謀を巡らせていました。

ヘンリー(7世)とマーガレットもこの陰謀に乗っかります。

 

この時点でヘンリー(7世)はランカスター朝最後の生き残りの男子でヨーク派から何度も命を狙われていたため、陰謀を計画するだいぶ前から父方の叔父ジャスパーと共に大陸にあるブルターニュ公国に匿われていました。

ヘンリー7世の家系図
ブリュターニュ公国について

ブルターニュ公国は過去にはイングランド王ヘンリー2世の後継者争いで四男のジェフリーが相続した地でしたが、その後はフランスの支配下にあったりと英仏両方の影響を受けています。

ヘンリー2世
中世、英仏関係が悪化した背景とは?<ヘンリー2世の治世編>今回の英仏関係の悪化は後々百年戦争に繋がる内容となっています。 英仏関係のそもそもの大前提として ヴァイキングの活動が活...

 

その後のブルターニュは百年戦争で力を失っていた英仏からの口出しなしに独立勢力として存在できるまでになりました。ところが、百年戦争でフランスが勝利しバラ戦争がはじまると、今度はフランスに取り込まれようかという時期に突入。

フランスと敵対し、リチャード3世の姉と政略結婚して同盟を結んでいたブルゴーニュ公国と共にフランスに対して反乱を起こしたりしています。

ヨーク家の内紛

ヘンリー(7世)とジャスパーは、そんな場所へランカスター派対ヨーク派の1471年に起きた戦いで負けた後に亡命していたのです。

※第二次内乱でキングメーカーのリチャード=ネヴィルがランカスター派に移った後に起こった戦いで立て続けに重要人物が敗死し、ランカスター派がほぼ壊滅状態となっていた

 

その後、1476年にエドワード4世からヨーク派への引き渡しを要請されますが

  • ブルターニュ公国はヨーク派と同盟を結んでいたわけではない
  • フランスに反乱を平定され、和睦した後の要請

だったこともあって断りました。

以後、ブルターニュはランカスター派の拠点となっています。

 

そこで、ヘンリー(7世)は陰謀に乗った上でブルターニュ公の援助も得てイングランドへ上陸しようと動きます。が、この時は嵐に遭ってしまい上陸できず、陰謀を画策したバッキンガム公は処刑されました。

リチャード3世は危機感を覚え、ブルターニュ公ではなくブルターニュ公国の宰相に圧力をかけてヘンリー(7世)を追放させようとします。これに気が付いたヘンリー(7世)はフランスへ逃亡。

一方、母のマーガレットは4番目の夫でヨーク派のトマス=スタンリーの取り成しで命拾いしますが、彼女は只では転ばずエリザベス=ウッドヴィルと結びました。

彼女はリチャード3世に縁者の処刑までされています。そうした背景もあってエドワード4世と彼女の娘・エリザベス=オブ=ヨークヘンリー(7世)の婚約を成立させ同盟を成立させたのです。

こうしてヘンリー(7世)は「ランカスター家の傍流」としてだけでなく「ヨーク家の妻を持つ」ということで彼の王位継承権がかなり近づくことになりました。

 

ボズワースの戦い(1485年)

ブルターニュへの圧力がかかってヘンリー(7世)が逃げた先はフランスです。

フランスはヨーク朝と同盟を組むブルゴーニュと対立していたこともあってイングランドへ攻め込む軍勢と装備を彼らに援助します。さらにランカスター派と近いスコットランドも協力。

1485年に叔父のジャスパーらと共に父の故郷・ウェールズに乗り込みました。父方はウェールズ王の血を引くこともあってヘンリー(7世)の兵は膨れ上がります。加えて、リチャード3世に反発していた味方の兵も加わった上でリチャード3世と衝突。

バラ戦争を決定づける【ボズワースの戦い】が起こりました。

この戦いでリチャード3世が戦死。イングランド王は女系も認めていたため他の候補者による王位継承者もいて完全に足元が固まった訳ではありませんが、バラ戦争はリチャード3世の死をもって終結することとなります。

こうして【ボズワースの戦い】でリチャード3世を破り、ヘンリー7世として即位することとなったのでした。

 

ヘンリー7世の治世

ヘンリー7世は立て続けに起こった百年戦争からのバラ戦争で疲弊したイングランドを立て直すために王室の権威回復を第一に考えます。

内政面では初めに王位を固めるため、妻の地位を確保することで

  • 自分がランカスター家の傍流である
  • 正式なヨーク家の娘と婚姻関係にある

として完全に両家を融合させました。

以前、リチャード3世は即位する際にエドワード4世の息子が即位できないように

「エドワード4世とエリザベス=ウッドヴィルとの結婚は無効。よってエリザベス・オブ・ヨークを含む10人の子は私生児」

という議会による決議を出させていました。妻が私生児の地位のままでは他の貴族達を納得させられなかったのです。

 

外交面では

  • フランスとの領地争いを行わないよう条約を結び、イングランド王を語るものを支持しないよう根回し
  • イベリア半島のスペインの重要性を認識し、長男アーサーとスペインの王女と婚約(←膨大な持参金を請求。病弱なアーサーが15歳で死去すると、弟で後のヘンリー8世と婚約させた)
  • 貿易の振興
    • ネーデルランドとの自由貿易の通商条約を締結
    • イングランドとの貿易特権を有したベネツィアやハンザ同盟には強硬な態度で自主権を回復
  • 海軍の重要性を認識し、世界初の乾ドックを建設

などにより平和維持を第一に繁栄を目指すこととしています。

ドック・乾ドックとは?

ドックとは

船を建造または修理するために構築された施設。

ドックとはーコトバンクーより

乾ドックとは

陸地を船がはいり得るだけの大きさに掘り、コンクリートなどで固めた長方形の掘割で、水に向かう面に水門を設け、ポンプなどで、海水を入れたり出したりできるようにしたもの。

乾ドックーコトバンクーより

 

 

こうした内外の政策を数々実行。ヘンリー7世は、その基盤を築き上げると次男のヘンリー8世にバトンを繋ぐこととなります。

 

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歴ブロ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。