ヨーロッパ

イギリスの内戦・バラ戦争の背景にあったイザコザとは?

歴ブロ

英仏間で領地とフランス王位をかけて争った百年戦争(1337~1445年)の後半あたりからイギリスでも内部分裂の兆しが見え始めていました。やがてイングランド王がフランス王になるトロワ条約まで取り付けるとその危惧は軽減したのですが...

ジャンヌ=ダルクの登場で形成逆転し、カレーを残してフランス領土をほぼ失ったことでイギリス内に以前生まれた内部分裂の危機が再燃した結果起きたのがバラ戦争です。

今回は、戦争責任をめぐる貴族同士の責任の押し付け合いといった側面もあるバラ戦争の背景についてまとめていきます。

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そもそもバラ戦争では誰と誰が戦ったのか?

イギリスの大貴族ランカスター家ヨーク家による王位継承争いです。

バラ戦争の名前の由来は両者ともに記章(身分などを表す帽子や衣服につけるバッジ)をバラとしていたから。ランカスター家赤バラヨーク家白バラです。

そもそもランカスター家百年戦争の途中でプランタジネット朝から王位簒奪しており、バラ戦争が始まる頃には王家という立ち位置にいました。このランカスター家の王位継承に異議を唱えたのがヨーク家でした。

 

ランカスター家プランタジネット家さらにヨーク家の関係は、百年戦争を始めたエドワード3世の時代にまで家系図を遡ると見えてきます。

バラ戦争<エドワード3世の家系図>

※左から兄→弟です

エドワード3世ランカスター公ヨーク公という爵位を新たに作り、息子たちに分け与えます。なお、長男のエドワード黒太子コーンウォール公の爵位を与えられました。

エドワード黒太子がフランスへ遠征に行っている間に、父のエドワード3世の衰えが見えるようになって国政を握るようになっていたのがランカスター公ジョン

黒太子が帰国するとジョンは兄に実権を取り戻されましたが、黒太子の息子リチャード2世の代で彼は廃位されプランタジネット家は断絶(リチャード2世の死因は餓死説・自死説・他殺説あり詳細は不明だが、ヘンリー4世の関与が疑われている)

ジョンの息子ヘンリー4世が王位を奪って国王となり、ランカスター朝へと移っていったわけです。

 

エドワード黒太子
イギリスvs.フランス!百年戦争の詳細をみてみよう<後半戦>前回は百年戦争の前半戦...イギリス側が優位に立った状態で、フランスの賢明王・シャルル5世となるお方がフランス国内をまとめ、劣勢を覆して...

 

ところが、そもそも生前のリチャード2世エドワード3世の三男ライオネル(次男は早世)の孫にあたる人物への王位継承を口にしていました。この時のイギリスでは長子相続が行われており、その原則から言うとライオネルの子孫が受け継ぐはずだったのです。

ランカスター家への王位継承が適切だったのか?

フランスとの戦いで優位に立っていた頃には「強いイギリスになりそうだし、まぁ良いか」と他の貴族達が考えていても、その優位が消えればランカスター家と同じ立ち位置の貴族やそれ以上の存在がいる以上、疑問が生じるのは無理もないことでした。

 

ヘンリー6世の王位継承に疑問符がついた理由とは?

こちらはランカスター家の家系図を紐解いていくと見えてきます。

薔薇戦争時のイギリスとフランス家系図

ランカスター朝の全盛期を築き上げたヘンリー5世。彼は百年戦争を有利に進め、当時のフランス国王シャルル6世が死亡したら「フランス王位を継承する」というトロワ条約まで結んでいました。

ただし、単に継承するだけではフランス国王としての正当性を疑う者も出てきますから、王位継承と共にシャルル6世の娘との結婚も成立させています。

 

ヘンリー6世このヘンリー5世シャルル6世の娘の間にできた子がヘンリー6世。温和で信仰心が篤い平和主義なお方です。

結局ヘンリー5世シャルル6世が亡くなる前に死去したため、シャルル6世が亡くなった後はヘンリー6世がイングランド王とフランス王を兼任することになりました。

※シャルル6世の息子のシャルル7世はトロワ条約があくまで「ヘンリー5世が跡を継ぐ約束だった」として王位を認めていません

ヘンリー6世(イングランド王)(wikipedia)より

 

そんな中で重大な問題が起こっていきます。ヘンリー6世が精神に異常をきたしたのです。

そもそもシャルル6世は『狂気王』のあだ名がある人物。晩年には自身が国王であることも分からなくなるほど重い精神疾患を患っていました。

この精神疾患の遺伝子がヘンリー6世(おそらく)受け継がれていたと考えられています。

発症した頃のヘンリー6世は既にマーガレットというフランスヴァロワ朝の分家筋の娘と結婚し、子供ももうけていたため、マーガレットは病気の夫と我が子(エドワード)を守ろうと摂政になるのですが...

出身がフランスの貴族だけにマーガレットはイギリスの貴族達には嫌われて色々と上手くまとめることが出来なかったようです。

 

ヨーク家リチャードが反旗を翻した理由とは?

マーガレットがイギリス貴族から反感を買うよりも少し前のこと。

百年戦争の敗北が濃厚になってきた中でイギリス国内が和平派と抗戦派に分かれてしまいます。国王に近いのが和平派。一方の抗戦派に代表されたのがヨーク家リチャード=プランタジネットでした。

結局、百年戦争マーガレットヘンリー6世の結婚によりフランス優位で終戦したため抗戦派のリチャードは追い詰められていきます。

 

そんな最中にヘンリー6世が精神病を発症。既に追い詰められていたリチャード

  • ヘンリー6世が国政を行えない
  • マーガレットの摂政では心許ない

といった理由で王位を狙った行動に出始めました。その根拠は家系図から見えてきます。

ヨーク家家系図

嫡子のいないリチャード2世が王位継承者として名前を上げていたのが母方の祖父マーチ伯・ロジャー=モーティマーでした。例の長子相続が根拠です。

ただし、彼はリチャード2世が亡くなる少し前に死去したためにロジャーの息子でリチャード=プランタジネットの叔父にあたるエドマンドが継承権を獲得。

このエドマンドランカスター朝に忠誠心を示し続けていたので内乱に発展することはありませんでしたが、子のいないまま死去したため彼が有していた王位継承権が姉アンの息子リチャード=プランタジネットに移っていたのです。

 

こうして百年戦争の真っ最中~終わった頃の時期に

  • リチャードが国王派と対立し追い込まれていた
  • 戦争からの帰休兵が加わって兵を持て余していた大貴族達がいた
  • リチャードに王位継承を主張するだけの大義名分があった

などが重なって国王派と反国王派に分かれて対立するようになり、いよいよバラ戦争へ突入していくことになりました。

イギリス国内における王位継承戦・バラ戦争の流れを追っていこう前回の『イギリスの内戦・バラ戦争の背景にあったイザコザとは?』では百年戦争から続くイギリス内部のゴタゴタをまとめていきましたが、今回はい...

 

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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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