世界史

フィリップ2世の治世(在位1180〜1223年)【フランス中世史】

カペー朝の王権を大幅に拡大させた人物として知られているフィリップ2世は、父ルイ7世と母アデルの間に生まれ若くして単独王に立ちました。

祖父の代から少しずつ王権が増えて行ってたとは言えまだまだ諸侯の力が強い時代。彼がどのようにフランス王朝を盛り上げていったのかをまとめていきます。

フィリップ2世の治世前を簡単に

フィリップ2世の功績を語る前に父・祖父の代でフランスがどう変わっていったのかを見ていかなければ、どういう問題点があったのかが見えてきませんので、フィリップ2世の祖父時代から簡単に見ていこうと思います。

祖父の代、ルイ6世の治世下ではイングランドヘンリー1世神聖ローマ帝国ハインリヒ5世と厄介な相手に囲まれ

攻め込まれるピンチがありながらも、諸侯らをキリスト教の信仰心でまとめあげ撃退。国王が諸侯をまとめ上げる片鱗を見せるようになっています。

そんなルイ6世(肥満王)は息子のルイ7世(フィリップ2世の父)アキテーヌ公の娘・アリエノールとの結婚を決めました。

ルイ6世としては、これを機に周囲の大諸侯らと一線を画すだけの領地を領有させたいためです。アリエノールとの結婚が決まればピンクの斜線部が全てフランス王家の領地となります。

一方でアリエノールは弟を早くに亡くし、アキテーヌ公の大領地を引き継いでいたため周辺各国からの注目の的のお嬢様。頭が良い美人さんでしたが、大胆不敵で傲慢・奔放とも言われており父親に大層心配されていたそうです。

こうした親の思惑が一致してルイ7世アリエノールの結婚が成立(この間、父ルイ6世の死や二人の戴冠でバタバタしていましたが)。フランス国王は広大な領地を手に入れました。最初の頃はルイ7世の穏やかな性格もあって関係悪化が表立って現れることはありませんでした。

が、政治にもアリエノールは介入していたと言われ、恐らく本来のルイ7世の性格ならしないであろう厳しい政策を行うこともあって周りの人達をヤキモキさせるようになります。

こういった件が重なるにつれて、即位前は後継者候補の兄がいたために修道院で育てられたルイ7世と、真逆の華やかな宮廷文化の下で育ったアリエノールの温度差は埋まらなくなっていきます。アリエノールも孤立し、不貞の疑いまで出てくるように。

最終的には性格の不一致で離婚に至ったのです。

 

この離婚から2か月後、アリエノールはイングランドのアンリ(後のヘンリー2世)と再婚。

アンリは既にフランス北西部(ノルマンディー・アンジュー・メーヌ・トゥーレーヌ)を父親から受け継いでいた上でアリエノールの広大な領地も手に入れることとなったため、フランスの西半分を手に入れています。その後、彼はヘンリー2世としてイングランド王についてプランタジネット朝を作り上げました。

ルイ7世~フィリップ2世の治世はプランタジネット朝全盛期となり、その対応に追われることになっていきます。

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フィリップ2世治世下の問題点とは?

1180年に父王ルイ7世が亡くなると、約1年前から共同統治者として王位についていたフィリップ2世が15歳で単独王として即位しています。

と同時に対諸侯の問題も抱えたまま。これにも対応しなくてはヘンリー2世相手に大々的に仕掛けることはできませんでした。

ルイ7世はフィリップを共同統治者とした時点で病気がちとなっていたため、即位にむけてある程度準備が必要でした。イングランド王・ヘンリー2世以前に国内の厄介な問題を潰すことになります。

 

フィリップ2世が親戚問題解決のためにしたこととは?

国内での最も厄介な問題の一つが親戚問題です。

フィリップ2世の母アデルシャンパーニュ伯兼ブロワ伯の娘。アリエノールと一緒の時に対立してしまったシャンパーニュ伯です。ブロワシャンパーニュは国王領を挟む形で存在しており、プランタジネット朝との抗争を続ける上ではマイナスにしかなりませんでした。

そういった事情もあって、ルイ7世はシャンパーニュ伯の娘と婚姻関係を結んで関係を強化しています(ルイ7世の娘もシャンパーニュ伯兼ブロワ伯の息子の元に嫁いでいます)

歴ぶろ
歴ぶろ

アデルと結婚した時点でルイ7世には男児がいなかったため、ヘンリー2世はフランス王位も見据えて息子の若ヘンリールイ7世の前妻(アリエノールの次の奥さん)の間に生まれた娘と結婚させています。

ところが、待望していた男児(フィリップ2世)が産まれ、今度は妻アデルの実家シャンパーニュ伯の力が非常に強くなってしまいます。

フィリップ2世家族関係

14歳で共同統治についていたフィリップ2世シャンパーニュ伯が協力者であると同時に目の上のたんこぶ的な存在であることを痛感。若いフィリップ2世が個人で抑えられるほど伯父は甘くなかったために仕掛けたのがフランドル伯を血縁に持つイザベル・ド・エノーとの結婚です。

フランドル伯西フランク王国の国王とも血縁関係にあった家柄でシャンパーニュ伯に対抗できる存在だったのです。

カロリング家からの王位簒奪が始まりだったカペー朝にとって「カロリング家の血筋をひいている」状態にしておいた方が諸侯と余計な火種を作らずに済み、子が出来れば完全にカペー家が王位につく正当性を持たせられることになります。

イザベルの家族関係

ちなみにイザベル・ド・エノーの伯母の従兄弟がプランタジネット家の息子達にあたる他、伯父のブレーンの旧知にヘンリー2世とトラブルの末に命を落とした(←イザベラとの結婚より10年近く前の話)人物がいて伯父自身もヘンリー2世と対立していた時期があったり...と、対プランタジネット家も意識しての人選のようにも見えてきます。

フィリップ2世にもブレーンがいたのでしょうが、父が病床についてた中で若干14歳の子がそれを決断したと思うと末恐ろしいですね。実際に彼はフランスに留まらず他国の歴代王達にも手本にされるようになっていきます。

 

結局、即位の年に結婚すると急に息子との婚約を破棄されたシャンパーニュ伯フランドル伯と関係が悪化。シャンパーニュ伯 vs. フランドル伯の構図が出来上がりました。それに乗じてフィリップ2世シャンパーニュ伯を追い出し影響力を減らしています。

ところが、まだ若いフィリップ2世でしたから結局は舅が摂政の立場に収まってしまいました。まだシャンパーニュ伯が影響力を持っているうちはフランドル伯を頼っていたようなのですが…

 

対フランドル伯をどう収めたの?

一計を講じたもののフランドル伯が力を持つようになり、結局シャンパーニュ伯の時と似た構図が出来上がると、イザベルが13歳と出産にはまだ早い年齢でありながら「子が出来ないから」と離婚話を切り出しフランドル伯と距離を置こうとしはじめます。が、領地を失うことをフランドル伯から説得されて思いとどまりました。

「離婚しないでどうフランドル伯の影響力を削いでいこうか?」となった時、フィリップ2世が近付いたのがヨーロッパ一の有力者でプランタジネット朝ヘンリー2世でした。

ヘンリー2世としては

  • 広大な領土を治めて目が届きにくいフランス領を抑えるため
  • 新しい若い国王を牽制するため

協力するのは悪い手ではなかったようです。フィリップ2世の思惑通り手を結んでいます。

流石にヘンリー2世が相手となるとフランドル伯も旗色が悪い。こうしてフィリップ2世は優位に立ち回れる立場を作り上げ、親政を開始していきます。

 

フィリップ2世が王領を増やせた理由とは?

ある程度内部問題が落ち着けば、残る厄介な問題はヘンリー2世。協力してもらっても、その部分は譲れません。というか最も重要な命題でした。

プランタジネット家の内側にはフィリップ2世が即位する前から大きな問題が横たわっていました。ヘンリー2世の女性問題(愛人を城に住まわせようとした)と末っ子ジョンへの溺愛により家族仲が最悪だったのです。

ルイ7世の治世下から彼らの家族関係を煽る方針を取っており、この方針をフィリップ2世もそのまま継承しています。

 

一方で、フィリップ2世ヘンリー2世アリエノールとの間に生まれた若ヘンリーリチャードジェフリー(ジョフロワ)ジョンとは親戚のような付き合い方をしていました。

プランタジネット家とカペー家

ルイ7世アリエノールの娘とヘンリー2世の息子達4人は異父姉弟にあたりますし、ルイ7世の二番目のお后様の娘たちも彼らの元に嫁いでいたり婚約関係を結んでいたので結構濃い関係が両者の間には築かれていたためです。

 

フィリップ2世は中でもジョフロワと仲が良かったそうなのですが、彼が若くして亡くなるとリチャードと関係を深め『ヘンリー2世+ジョンvs.他の息子達』の構図を再び作り上げて謀反に発展するよう煽っていきました。

更にジョンを丸め込んで、その反乱でジョンに父を裏切らせるとヘンリー2世は失意の中で亡くなっています。

 

リチャード1世がヘンリー2世のあとを継ぐ

ヘンリー2世が亡くなった時点で次男と四男は既に亡く、リチャード1世がイングランド王を継ぐことになります。

騎士道精神の塊のようなカリスマ性のある国王で直接対決はヘンリー2世以上に不利な相手でしたが、この時点でリチャードフィリップ2世は仲が良く「互いに領土を侵略しない」と約束しています。

ところが、そんな中でローマ教会からアイユーブ朝にとられた聖地イェルサレム奪還のために第3回十字軍が呼びかけられて遠征を始めると事情が変わってしまいました。

現実主義者でキリスト教会とつかず離れずの距離を保ちたいフィリップ2世と敬虔なキリスト教徒で十字軍に熱を注ぐリチャード1世の間に大きな溝が生まれたのです。

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第3回十字軍の最中にフィリップ2世が仕掛けたこととは?

第3回十字軍にはフィリップ2世リチャード1世だけでなく、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世【赤髭王】も参加していますが、遠征途中でフリードリヒ1世は死亡。

当時の神聖ローマ帝国シュタウフェン家ヴェルフ家で争っている真っただ中だったため第3回十字軍遠征どころではなくなり、神聖ローマ帝国の皇帝の参加は見送られました。

なお、ヴェルフ家にはプランタジネット朝の娘マティルダが嫁いでいたこともあって、過去のトラブルの際にはヘンリー2世ヴェルフ家の人達を匿っていました。生前のヘンリー2世神聖ローマ帝国に何かあれば首を突っ込める状況としていたわけです。

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ということで、シュタウフェン家カペー家対プランタジネットで利害が一致。

自国優先のフィリップ2世は、リチャードと対立・神聖ローマ帝国の不参加という不利な状況になってまで十字軍に参加する意義を見出せません。

実際に体調不良になったこともあって先に帰国すると「リチャードは自国を顧みない。ジョンがイングランド王に相応しい」とリチャードの弟ジョンを兄の留守中にけしかけ、彼の領地を奪っていきます。

 

十字軍遠征を一人で戦い続けたリチャードは流石に焦りました。相手のアイユーブ朝のトップに立つサラディンも年齢からの体調不良で戦い続けるのに不安があったため、休戦協定を結ぶとすぐにUターン。

ところが、その帰路でリチャード神聖ローマ帝国シュタウフェン派に捕まってしまいます。「これまでか?」となったわけですが、母アリエノールが動きました。膨大な身代金を用意して息子のピンチを助けると、解放されたリチャードジョンを打ち破り、フィリップ2世が手に入れた領地は殆ど奪い返されてしまいます。

リチャードの本拠地アキテーヌ地方の諸侯を動かすなど裏工作もしたのですが、金庫や公文書といった重要なものさえ持ち出せずに大敗するなど歯が立ちません。

が、そんなリチャードも勇猛果敢な性格が災いして戦死。子もいなかったためジョンリチャードの跡を継ぎました。

 

ジョンとの対決

この厄介な二人と戦ってきたうえでのジョン。彼自身の評価も良くないですが、それ以上にリチャード時代の十字軍遠征費用や身代金で国庫がすっからかんな状態だったこともフィリップ2世優位に進める要因になりました。

フィリップ2世の領地の変遷

結局、ジョンの自爆もあって多くの地が抵抗のないままフィリップ2世に降伏。強い王権による支配を嫌ったアキテーヌ・ガスコーニュを除く多くの地域をフランスの領地とし、国王領まで広げています。

こうしてフィリップ2世の治世下で大きく王権が発展していくこととなったのです。

 

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歴ブロ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。