江戸時代

江戸時代から明治時代にかけて日本が大きく変わった事

歴ブロ

1868年江戸幕府が崩壊した事により、明治時代が始まりました。

詳しい経緯は端折りますが、そこからの変化は著しく武士の特権がなくなり四民平等が敷かれ、学制の施行や兵役の義務、チョンマゲの終了など多岐に渡りました。

そこで今回は、江戸時代と明治時代の大きな変化について紹介していきたいと思います。

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税の取り方が変化

江戸時代と明治時代の大きな違いの一つに、税金の徴収方法が変わりました。

江戸時代には年貢と呼ばれる毎年一定の収穫物(米)各藩を通して治める義務がありました。

しかし、明治に入ると所有する土地価格の3%税金をかけて地租を徴収するようになります。収穫物は毎年決まった量と質が違い、常に一定の金額が徴収できるわけではなく、この不安定さが江戸幕府のジリ貧を招いたとして、明治政府はお金を徴収するようになります。

こうして毎年決まった金額が税金として入ってくることから、毎年の予算を組みやすくなり各省庁に配分して、政府の思い描いた政策を実行できるようになりました。

しかし、農民は自分の収穫物を売却してお金に換えるので、その時々の相場の影響を受けることになりました。

変動する相場によって税金が重くなったり軽くなったりするので、農民は耐え切れず一揆が多発し、明治政府は地租を3%から2.5%まで引き下げることに…

武士から民衆へ

鎌倉時代以降、日本の政治を握っていたのが武士階級の人々でした。

江戸時代の武士は、人口の7%で彼らが日本の政治の主役でした。

18世紀末のヨーロッパでは革命が勃発。アメリカ大陸でも独立戦争が起きて、宗主国のイギリスを破り、国王のいない四民平等の国家が誕生します。

アメリカのようなこうした国々では階級制度を廃止し、能力さえあれば誰でも社会の高い地位に就けるようにし、私有財産を国が保障して、商工業の規制を緩和し、急激な発展を起こしました。

同時に、国民の教育や福祉を政府が見るようになり、徴兵によって国民から兵士を選抜する強力な軍隊が編成されました。

日本でも、ペリー来航からの幕末の動乱を経て、明治時代には私有財産の保障や身分制度の撤廃。義務教育施行や商工業の規制緩和などの改革を施行しました。

これまで、武士を支えてきた多数の農民や町人、職人が日本の主役として権利を得てその義務を負う事になりました。

私有財産の保護と連座制の撤廃

江戸時代には個人が持つ財産保護が出来ているとは言えませんでした。

死罪に該当する罪などの重罪人は、特にその財産を没収されるという事が普通に行われていました。しかも、連座制家族にも適応されて、生き残った者が着の身着のまま無一文で外に放り出される事になります。

この連座制がある事で、大きな事件を起こそうとするものは、家族との縁を切って赤の他人となり連座を逃れようとしていたのです。

明治維新後は資本主義を阻害するこれらの事は廃止され、私有財産は保護されるようになりました。罪を犯しても個人の財産が没収されることはなくなり、罪も個人責任と刑罰は変化したので連座制も廃止されることになります。

兵役と教育の義務

江戸時代にも、初等教育機関である寺子屋が登場し、庶民にも読み書き算術を教えていましたが、あくまでもこれは任意であり、幕府も藩も邪魔もしませんでしたが、推奨もしていませんでした。

また、兵役武士の義務で農工商の人々には関係がなかったのですが、明治になると国民皆兵の軍隊を持つ西洋列強国に対抗するために、日本でも国防の体操が全国民に拡大され、兵士養成のために読み書き算術の初等教育が義務となり、学制が発布されました。

また、同時に近代的な教育を伝授する先生の養成学校である、師範学校や医学・商学・工業について教育する専門学校も各地に開校されます。

兵役は庶民取って労働力を奪われ、二年間の貴重な時間を取られるなど不自由を強いられますが、頑強で壮健な兵士を維持するために、政府は医療や福祉、教育にも予算を割くようになり、結果的に主権者となる国民の地位向上に寄与した一面もあります。

参政権の取得

江戸時代の庶民は、村の自治に参加する権利はありましたが、国政に参加する権利はありませでした。各地の藩主も藩に対する支配権があっただけで、幕府の政治に口を挟むことは原則できません。

一方で明治時代は、国民に対して政治に関与できる権利が与えられたのかと言えば、政府設立当初はそうではなく、明治6年の自由民権運動を経て国会の開設要求が承認されます。

それでも当時は、お金持ちしか参政権が無く、議会政治が進んでいく中で参政権の敷居が低くなっていき大正末期には、25歳以上の男子に普通選挙権が認められました。

一方で女性の参政権は、戦前から動きはあったものの男性に比べて遅れ、日本が第二次世界大戦敗北後の平和憲法下でようやく認められることになります。

最近では、投票率の低下が国政選挙のたびに言われていますが、江戸時代は国政に対する批判そのものが命がけだったので、明治以降の先人の努力によって勝ち得た参政権を得ている私たちは、感謝しなければいけませんね。

れきぴよ
れきぴよ

参政権とは、国民が直接または間接的に政治に参加できる権利の事。主に選挙権・被選挙権・国民審査の権利があります。

日本の参政権の歴史年表

参政権有権者数
1890年(明治24)満25歳以上の男子で直接国税を15円以上収めている者人口の約1%
1919年(大正8) 満25歳の男子で直接納税者3円以上の者人口の約5.5%
1925年(大正14)納税用件なし満25歳男子人口の約20%
1945年(昭和20年)満20歳の男・女人口の約50%
2015年(平成25) 満20歳から18歳に引き下げ。この引下げは70年ぶりの事人口の約80%

江戸から明治にかけて大きく変化した事

国民の暮らしなどの細かいことは別の記事にしようと思いますが、日本と言う国が江戸時代から明治かけて大きく変わったのは、上記の事になるのかなと思います。

身分制度の撤廃で、国民が能力に応じた職業に就けるようになった事や財産が保護され、そして、参政権が認められて徐々にですが、国政に関与できるようになりました。

江戸から明治で変わった事一覧

江戸時代明治時代
税金の徴収年貢などの農作物等を決められた量を収める土地の価値に応じてお金で支払い
国民の身分武士を支配層にその下に農工商の民衆がいる身分制度を撤廃して、四民平等を打ち出す
財産の保護犯罪を起こした本人やその家族までが財産が奪われた。私有財産は保護され、連座制廃止した。
兵役と教育兵役は武士が担い初等教育には寺子屋があったが、幕府は管理せず。決められた国民に兵役・初等教育が課せられ、国が主導で制度化された。
参政権の有無国民に幕府の政治に参加する権利はない。しかし、村の自治には参加する事もある。自由民権運動を経て、国民にも徐々にではあるが参政権認められるように
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歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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