鎌倉殿の13人

鎌倉時代の建築・文学・文化の特徴

歴ブロ

平安時代は国風文化室町時代は【北山文化】【東山文化】などと耳にすることが多いですが、鎌倉時代の文化はあまり記憶がないと言うのが私のイメージです。

鎌倉時代を語る際に執権政治幕府についてはよく聞きますが、建築物や絵画などの文化については中々出てこないと言うのが現状ではないのでしょうか??

そこで今回は、鎌倉時代の文化についてまとめてみました。

 

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鎌倉文化とは?

鎌倉時代の日本の文化を鎌倉文化で、鎌倉幕府が始まった12世紀後半から14世紀前半までの幕府滅亡までの期間になります。

鎌倉時代は初めての武家政権に移行し、これまでの日本の文化の転換期でした。

武士が頭角を現すと同時に、これまでの支配者層・貴族の権力が低下していきます。そんな中、公家や僧侶たちは「政権の実権を握る武士の恩恵にあやかりたい」と彼らの下につく者もあらわれはじめます。力のある武士であれば理由もよく分かりますが、政権中枢にいる武士でなく地方の武士層に付く者までいるほどでした。

こうして貴族から武士へと政権が変わり、権力が移るに従って日本の文化も変わってきます。

従来の伝統を受け継ぎながらも新しい文化を取り入れ、庶民感覚も理解し繁栄したものへと移り変わっていったのです。

 

鎌倉文化の特徴

鎌倉文化の特徴は武士が中心となり庶民感覚を反映させ上で新しい文化を取り入れたというところにあります。

中でも中国の文化は積極的に取り入れていました。

当時の中国大陸では民族間の差別が横行しており、日本へ亡命してくる大陸の者も少なくなく、そうした者たちから日本人達は新しい文化を取り入れていました。

その亡命者の中には僧侶などもおり、13世紀から14世紀頃にかけて日本では新しい仏教の宗派が誕生したのは大きな特徴と言えるでしょう。

皆さんもご存じの【日蓮宗】【浄土宗】【浄土真宗】などはこの頃にできた宗派です。鎌倉文化には、ほかにも新しいものを取り入れ進化していきました。

その代表的なものが建築物や文学・絵画でした。

鎌倉時代の建築物

鎌倉時代の代表的な建築物と言えば東大寺です。

東大寺と言えば平安時代に建設されたものでしたが、平重衡(たいらのしげひら)に焼かれた経緯があり、再建されたのが鎌倉時代なのです。

東大寺再建工事は、源頼朝の支援で後白河法皇が行いました。かなり大掛かりで一大事業であったと言います。

 

鎌倉時代の建築物の特徴は大きく分けて2つあります。

一つは外から取り入れた【新様式】と日本古来からある【日本式様式】でした。

新様式

新様式は、外からの様式を取り入れた新しい様式の事です。この新様式からも二種類あり、大仏様と禅宗様と呼び、それぞれ使用された時期が違います。

大仏様

大仏様を取り入れた工法の代表が東大寺になります。

東大寺の再建には復興資金を広く募り、日本在住の中国の工人の協力のもと、短い工期でおこなわれる建築手法を取り入れました。この時に使用された建築手法を大仏様といいます。

大仏様の最大の特色は大陸的な雄大さと豪放な力強さと言われています。

しかし、鎌倉文化以前の建築は優美さを重んじていたため、斬新な大仏様はなかなか受け入れられるものではなく、後継者が減り衰退していきます。

禅宗様

禅宗様が取り入れられるようになったのは鎌倉時代中期ころです。衰退した大仏様と入れ替わるようにして取り入れられた新様式といってもよいでしょう。

禅宗様が知られるようになったのは、禅宗寺院の建築などに使われるようになったためです。

禅宗様は中国の王朝の北宋に影響を受けています。鎌倉文化中期は中国の寺院建築様式が伝わってきたことにより、使われることが多くなりました。

大仏様と似た手法もあることから、鎌倉新様式と総称されることもあります。

禅宗様の最大の特徴は屋根が強い軒反りをしていることで、現代では寺院建築の伝統的な様式のひとつとされています。

日本的様式

日本的様式とは、鎌倉文化で新しく取り入れた外来手法ではなく、それ以前から受け継がれてきた日本本古来の様式のことをさします。

日本的様式のひとつ和様は禅宗様の屋根が強い軒反りをしているの対し、ゆるい屋根、穏やかな軒反りが特徴です。

奈良県の興福寺が鎌倉文化に建てられた代表のひとつです。

鎌倉時代の文学の特色

武家政権が始まった鎌倉時代は、文学の世界にも影響を与えることになりました。

武士が中心となった事で軍記物語が流行りだしますが、公家たちが武家が活躍する書物の反発する傾向にあり、その反発から優れた和歌集が出始めました。

有名な軍着物として【平家物語】があり、仏教の中核教義の無常観がある物語です。

和歌集も負けておらず、後鳥羽上皇が【新古今和歌集】を編纂し、自分たちが文学や芸術を盛んにする事で、存在観を高めようとしました。

鎌倉後期には、これらの和歌が庶民や僧侶の中ではやりだします。

公家の間で流行った和歌とは少し違い、数人で和歌をつなげていく連歌と言うものが誕生しました。

ほかには鎌倉幕府の歴史が書かれた吾妻鑑や日記・紀行文学では十六夜日記や東関紀行などがあり、吉田兼好の随筆・徒然草も鎌倉時代の作品として有名ですね。

鎌倉時代の絵画の特色

鎌倉時代の絵画の代表的なものは、平安時代から続く絵巻ものです。

横長の紙などを水平に繋げて風景や物語を表現した作品が絵巻です。その題材は、仏教の説話や合戦などが書かれましたが、鎌倉時代の最大の特徴は、人物の肖像画が書かれ始めたことです。

人物の肖像画の事を当時、似絵と呼んでいました。代表的な作品としては、下記の【後鳥羽天皇像】や上記のアイキャッチ画像は後白河院の似絵だそうです。

合戦絵巻で有名なのが、肥後国の武士であった竹崎季長が自身の活躍を遺し伝えたいために描かせたといわれる下記の『蒙古襲来絵詞』です。

工芸分野でも新しい物が誕生!!

武士の時代でもある鎌倉時代は、工芸分野でも新しい品が誕生し、武具の生産が盛んになりました。その中でも甲冑は、必勝祈願で神社に奉納する習慣が出来上がります。その流れで、現代まで保管されることが多くなったとされています。

また、刀剣もこの時代に名刀と呼ばれるものが多く作られ、今の時代にも残されています。

著名な名工で言えば、長船派・来派・青江派・福岡一文字などが有名で、長船派の【光忠】や鎌倉の【政宗・景光】がよく知られています。長船の光忠と言えば【燭台切光忠】を伊達政宗が所有していた事で知られています。

鎌倉文化のまとめ

鎌倉時代の文化は、平安期の国風文化を継承しつつ武士や農民層の価値観が付け加えられたのが大きな特徴でした。

これまで京都周辺の公家や僧侶たちによって独占されていた文化は、次第に武士や農民たちにも解放され、庶民の文化としても定着していきました。地方の武士が京都や鎌倉へ往来し、中央の文化が地方にも広がり庶民の文化が育っていったのです。

それが、新仏教の誕生や文字の読めない層にも親しみやすい軍記物の流行、物語を図解した絵巻物の発達などに当たります。

また、これまでの伝統にしたがい新しいことは悪と言った公家文化が次第に影を潜めていき、平安時代のような華々しい文化は誕生しませんでした。一方で、実際性に富む文化を生み出すようになった武家は力強く生き生きとした文化をもたらし、武家造の建築東大寺の金剛力士立像などのたくましさがある作品が生み出されました。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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