鎌倉殿の13人

平清盛が行った日宋貿易と日本への影響

歴ブロ

菅原道真が遣唐使が廃止されて以降、日本ではかな文字の発達に代表される国風文化が発展しました。そのためか、国交や通称に対して中央政府は消極的な姿勢をとってきました。

 

学問の神様になった菅原道真の人生 以前は菅原道真と平将門の関係については書きましたが、肝心の菅原道真の人物像には触れませんでしたので、今日は菅原道真について書い...

 

時がたち平安時代末期になると、平忠盛が独自に交易を始め平清盛が宋との貿易を推し進めると、日本の経済や宗教、文化に大きな影響を与えることになりました。

この貿易が【日宋貿易】と呼ばれました。

 

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日宋貿易とは?

10世紀~13世紀にかけて中国の宋とのあいだで行われた貿易の事を【日宋貿易】と呼ばれています。

遣唐使の廃止以降、中国との正式な交易は行われていませんでしたが、日本には宋の商人が来航し私的の貿易は続いていまいた。宋が硫黄や木材を必要とすると日本との貿易は活発化します。

これに目を付けたのが平忠盛で宋との貿易で利益を生むようになります。

平清盛の時代になると日宋貿易を拡大し、その利潤が平氏政権の経済基盤になるだけではなく、宋銭の輸入による貨幣経済が発達し日本の経済や文化に大きな影響を与えました。

 

日宋貿易前の日中関係

遣唐使の廃止で日本と中国の外交は途絶えることになりました。

200年以上に渡り唐の文化や制度・仏教など様々なものを日本にもたらしたのが遣唐使の派遣でした。10数回の遣唐使によって、遣隋使にも派遣されている犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)高向玄理(たかむこのげんり)のほか、吉備真備(きびのまきび)らが派遣されています。

 

わかりやすい遣隋使と遣唐使の違いとその目的 遣隋使と遣唐使は、西暦600年頃~894年までの約300年に渡り当時の中国大陸である隋と唐から先進技術や文化を求めて日本から派遣され...

 

894年に菅原道真によって遣唐使は廃止されますが、すでに838年を最後に遣唐使は実施されていませんでした。

それは、唐の衰退から政治的な意義を失いつつある事や留学生に対する唐の対応の悪化、さらには渡航中の事故が頻発するなどのが原因で遣唐使になる人物が現れなくなったのも廃止の要因とされています。

また、遣唐使の期間中はと遣唐使以外の海外渡航の禁止がされていたので、期間が長くなると航海技術や造船技術の低下を招くことになりました。これが遭難事故の頻発につながったと考えられています。

 

遣唐使の廃止後は、渡海制から年紀制と呼ばれる商船が前回の渡航から次回の来航までに10〜12年の間隔を空けるよう制限する取り決めが採用されました。

しかし、10世紀後半には朝廷は特例として宋や高麗の商船の入港を認める一方、宋や高麗に密航する日本船も見られるようになります。商船の行き来は中国の文書や陶磁器などの唐物の人気が根強かったことも理由の一つで、私的な貿易として唐物が輸入されていました。

この頃、国風文化が生まれたとされますが、貴族の生活や文化は唐物の影響を大きく受けていました。

唐や宋の商人は、年紀制では日本での滞在期間が定められていなかったこともあり、大宰府近くの博多に唐坊(とうぼう)という居留地を形成して貿易を行っていました。

 

学問の神様になった菅原道真の人生 以前は菅原道真と平将門の関係については書きましたが、肝心の菅原道真の人物像には触れませんでしたので、今日は菅原道真について書い...

 

日宋貿易の移り変わり

日宋貿易は中国王朝【北宋】から【南宋】への移り変わり共に変化していきました。

北宋時代は、日本からの硫黄の輸出により貿易が活発化し、南宋時代には平清盛によって拡大され医療においては欠かせないものとなりました。

北宋時代の日宋貿易

960年に成立した北宋は、各地に貿易の事務管理をする役所を設置し、日本や高麗、南方とも貿易を行いました。日本とは大宰府鴻臚館で貿易を行いましたが、活発化はせず日本と北宋との正式外交にはつながりませんでした。

日本人の渡航は禁止されていましたが、宋の商人が私的に日本に来る貿易は続いていました。この頃から、日本から北宋への硫黄の輸出が始まりました。

大陸でも硫黄が取れる地域があるのですが、その地域が遼・金・西夏・大理などの国が支配していたので、日本からの輸入に頼らざる得ない事情がありました。硫黄取引の始まりは、988年に420キロの硫黄を北宋に献上したことから始まり、11世紀には宋の商人による買い付けが頻繁に行われたと記録に残っています。

南宋時代の貿易

1126年に南宋が成立すると、支配地域が経済的に発展し急速に人口も増えました。

これにより森林伐採が進み資源が枯渇。これにより日本からの木材の輸入が始まることになります。また、南宋では疫病がはやり【漢方医学】が発達すると、この技術と最新医療・薬品が日本に伝わり日本の医療の発展のきっかけとなります。

 

平忠盛による日宋貿易

1123年平忠盛は越前守となり、宋船が博多だけではなく越前国敦賀まで足を延ばしていることを知ります。この貿易に忠盛が目を付けたのが日宋貿易です。

備前守にもなっていた忠盛は、白河法皇の院宣により山陰道・南海道の海賊討伐の役目に任命されると、瀬戸内海を荒らしていた海賊の鎮圧にあたりました。

鳥羽上皇の院政が始まると、忠盛は鳥羽院御願として千体観音像を造営するなど、鳥羽上皇の信任を厚くし高位の官位にしか認められない昇殿を許されます。

1133年には、後鳥羽上皇からの命だと言う書類を偽造し日宋貿易を管轄する大宰府の介入を拒否し貿易を中止させました。後に瀬戸内海の日宋貿易ルートに現れる海賊を討伐しルートを確保すると、宋と私的な貿易を展開し、平氏繁栄の基礎となる巨万の富と地位を得ることになりました。

平清盛と日宋貿易

1158年平清盛大宰大弐(だざいだいに)なると日宋貿易と深いかかわりを持ち続け、福原を拠点にし1168年に出家すると厳島神社の整備や日宋貿易の拡大に尽力しました。

1173年には、日本初となる人工港大和田泊】の回収に着手し、私財を投じて二年間の難工事を完成させます。これが現在の神戸港の元になります。

清盛が宋船を兵庫まで招き入れたのは、大宰府の干渉を排除し利益を大きくする意図がありましたが、瀬戸内航路の整備や沿岸に大きな影響をもたらしました。

こうして地域を活性化させながら、西国における支配力強化につなげていきました。

 

日宋貿易の輸出入品とその影響

日宋貿易で最も有名な品物が宋銭です。もともと宋銭は日本で使用するためだけではなく、船のバランスを保つために船に積み込まれたとされています。輸入品の陶磁器や絹織物が軽かったので、銅銭で船の重さを調節しバランスを保つ必要があったのです。

輸入された銅銭は、お金としてだけではなく鉱産資源として再利用もされました。銅銭を鋳つぶして作られた有名なものとして鎌倉の大仏が挙げられます。大仏の銅成分と宋銭の成分が一致したことからそう言われています。

日本の主な輸入品

宋銭・陶磁器・香料・薬品・書籍・茶・高級織物・文具・木綿

日本では、皇朝十二銭と言う同船がありましたが、12世紀後半には宋銭の流通が本格化しました。これが貨幣経済が前進する出来事となりますが、一方でこれまで基準となっていた絹の価値を下げ、朝廷財政を圧迫することになり、朝廷との確執が大きくなりました。

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日本の輸出品

砂金・硫黄・木材・刀剣・扇・漆器・蒔絵・真珠・水銀・螺鈿・屏風

硫黄は当時の南宋では火薬発明により需要が急増しますが、宋では硫黄があまりとれなかったのが現状でした。そのため、日本化からの輸入は大変貴重なものでした。

さらに人口増加に伴い木材の不足が深刻化し、木材も大量に輸出されます。

 

金は奥州で産出する砂金が平泉と京都へ結ぶルートで運ばれ、宋に入りました。この話が、減の時代にマルコ=ポーロに伝えられ【東方見聞録】の記事となりました。

 

鎌倉時代以降の日宋貿易

鎌倉幕府成立後も、宋から輸入されたものは唐物と言われ珍重され、大量に輸入された宋銭は依然として日本の基本通貨として流通し、青磁・白磁の陶磁器と共に鎌倉時代の遺跡からたくさん出土しています。

また、宋との交流の中で多くの仏僧・絵画などが渡来し、新しい仏教や学問や芸術をもたらしました。得僧侶の往来は活発で、禅宗では多くの僧が招かれ、鎌倉や京都に禅宗寺院を創建した。彼等によって宋代に発展した儒学の宋学(朱子学)も日本にもたらされ、禅宗寺院で盛んに研究されました。

 

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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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