仮想通貨と宋銭の意外な関係性!?
仮想通貨とはネットワーク上で電子的な決済の手段として流通している国家による裏付けのない通貨の事を言います。
2017年12月のビットコインの価格高騰を機に日本でも仮想通貨が話題となり、2018年のコインチェックによるネム流出事件などが記憶に新しいのではないかと思います。2018年11月現在では、昨年200万越えしていたビットコインも40万円まで下落している状態ですが、仮想通貨は、今後世界共通の通貨となりえるのでしょうか??
こればかりは誰も予測が出来ない事ですが、過去を紐解くことで歴史上に起こった仮想通貨の登場に似た事例から当時の社会に起こった現象を見て、ヒントくらいはつかむことが出来るのと思います。
仮想通貨と言う新しい通貨をめぐり各国がどのように扱い、ルール付けするか大きな転換期に差し掛かっています。こうした状況を踏まえると、鎌倉時代や室町時代の日本でも似たような事が起こっていました。
奈良・平安時代は貨幣経済にならなかった…
8世紀初頭に鋳造された和同開珎をはじめ、奈良・平安時代の日本では貨幣が使われていました。しかし、農民が税を納めるときは、貨幣を用いられず、米や綿布や労役を中央政府に収めていました。
貨幣を導入した当時は、物珍しさからか交換手段として重宝される時代が続いていましたが、平安時代後期になると、商人でさえ貨幣を受け取りませんでした。
その理由として、当時の鋳造技術が悪く、貨幣が粗悪でした。そのため、貨幣の価値が低く見られいました。そのため、政府は貨幣の価値をより高めに、物品の価格をより低めに設定するような政策を行い人々は貨幣を使わなくなりました。
また、当時は貨幣を使わずとも、米や綿布のようなニーズの高いものが交換手段として代用できていました。海産物を手にした人に米を差し出せば、相手は海産物を差し出してくれると言った物々交換が一般的でした。
しかし、その交換もスムーズにいかない時があり、相手がその商品を欲しいと思っていなければ、取引は成立しませんでした。
この点が、貨幣に比べて劣る点です。
貨幣には、交換に対して誰もが受け取ってくれる性質があります。経済学では、この事を一般的受容性と呼ばれるそうです。お金は間に合ってるよと言って受け取りを拒む事は、あのビルゲイツでさえないでしょう。
マネーとビジネスの多様性が進んだ鎌倉時代
奈良・平安時代は、米や綿布と言ったニーズの高い品物を交換手段として用いても、問題はありませんでしたが、鎌倉時代になると物々交換が行き詰まってきます。
その理由として、ビジネスの多様性が進んだことが上げられます。
民衆たちは、朝廷に嫌気がさし、次第に地元の有力者を事実上のリーダーとして仰ぎ、そのリーダーは、有力貴族や寺院や寺社とのコネを築き、民衆たちが朝廷への納税を避けて生活できるようにしていました。
この頃の有力貴族たちは、色々な職人集団を従えていました。
職人たちは、貴族や寺社の庇護を受けつつ、ビジネスの存続と拡大のために部落社会を遍歴するようになりました。その中でも、刀鍛冶や鋳物師などの金属加工の職人が村落社会で活動した事で、金属を用いた料理具や農具が普及しました。
農具の改良は農業生産時間の短縮を図ることが出来ました。時間の余裕ができた農民たちは、これまで稲作に時間を割いていたのを、様々な加工品を生産する事に費やすことが出来るようになりました。
このように、金属加工の技術革新によって、漆器・陶器・畳・草履・酒・酢・ミソ・納豆・豆腐・まんじゅう・和紙などの様な、米や綿布ほどニーズは高くない商品の生産が進みました。こうした、商品でも積極的に交換する事で各自の生計やニーズを成り立たせる仕組みが出来上がりました。
中国銭の登場から貨幣経済の発展へ
物々交換を用いる社会のままでは、各々それらの物品を何らかの形で用意しなくてはいけません。そのために「時間が取られるのなら、貨幣を使った方がよくない?」と言う風潮が出始め、12~13世紀にかけて貨幣経済が成立するようになりました。
その時に使用しされたのが国産の貨幣ではなく中国銭でした。
平清盛が栄華を誇った時代に、日宋貿易が盛んに行われました。
それにより、日本国内の港町などで宋銭が使われるようになります。それ以前の国産の貨幣と違い、人々が満足するクオリティだったのかもしれません。
しかし、九条兼実は「異国の銭を使うことは、偽造貨幣を使うのと同じ罪である」として、宋銭の使用を禁止しました。その後に政権を取った鎌倉幕府もこの方針を引き継ごうとしましたが、方針転換をして宋銭の流通を認めざる得なくなります。
宋から元、明と中国王朝は変わって行き、元銭・明銭が日本の貨幣として普及し、13~14世紀にかけては、貴族や武士が中国銭を使うようになり、農民たちも領主たちに中国銭で納税するようにもなっていました。
私達の行動のありかたに直結する「ルール」
ここまで日本での貨幣経済の歴史をサラッと書いてきましたが、要するに昔の日本では中央政府が発行していない中国銭が当時の交換手段として一般的受容性を備えていたことになります。
また、一部の範囲で十分に一般的受容性を備えているとは言えませんが、ビットコインや一部の仮想通貨が今以上に交換手段として広く用いられるようになれば、当時と似た構図となるでしょう。
鎌倉・室町時代の人々は交換手段として物々交換を見限り、こぞって中国銭に乗り換えていきました。朝廷や幕府はそれを禁止しようとしましたが、民衆による中国銭を使おうと言う答えを最終的に認めざる得なかったのです。
このようにルールとは、人々の日常やビジネスにおける行動の在り方に直結します。
それは時として、政策レベルとは無関係に形成されます。
むしろ人々の行動原理に沿ったルールを政策レベルで作る方が良いかもしれません。
今のところは、交換手段として円を見限り仮想通貨を選ぼうとするにはまだ至っていませんが、世界では新興国を中心に法定通貨の信用が失われつつあります。こうした社会情勢を背景に非中央集権的な仮想通貨は、摩擦の少ない通貨であることから、世界の人々から信用を得るかもしれません。
実際に、ケニア・南アフリカ・ジンバブエと言ったアフリカ諸国ではビットコインでの取引が急増しているそうです。