縄文時代

縄文人は貝を食べて食中毒にならなかったのか??

歴ブロ

現代人の私たちは、色々な物を食べる中で縄文人の様に貝を食べる時があります。

そこで気を付けたいのが、生食による貝の食中毒。よく牡蠣を食べてあたったと言う事を聞きます。たまに食べ貝でも食中毒を起こすのですが、きっと現代人より食していたであろう縄文人の人々はノロウイルスのようなものにならなかったのでしょうか??

縄文時代の遺跡にあれだけの貝を山積みにしていたので、頻繁に貝を食べていたのではないかと考えるのは私だけではないはずです。

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貝の食中毒について知ろう!!

貝の食中毒はの主な原因である【貝毒】は、アサリや牡蠣などの二枚貝が毒を持ったプランクトンを食べる事で体内に毒を蓄積します。このことから、貝自体が毒を作っている訳ではなく、貝の食中毒も全体の10%以下と件数も多くはありません。

同じ貝毒でも、下痢毒、麻痺毒、神経毒があり、日本では神経毒の報告はありませんが、熱処理しても分解されにくいために、加熱しても中毒が起こり可能性があります。

麻痺毒は、フグ中毒と似た症状を起こし、最悪の場合は呼吸器麻痺を起こして死に至る事もあるそうです。1973年に、カナダのブリティッシュコロンビアに上陸した一行がマヒ性貝毒にやられたと記録が残っています。しかし、ここの原住民は昔から発行プランクトンが増える夏には貝を食してはいけないとなっていたようです。

縄文時代は、洗剤のリン成分が原因のプランクトン異常発生がないために、貝自体が毒素をため込むリスクが少なく貝毒の食中毒は極めて少なかったのではないかと考えられています。

 

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ノロウイルスの原因について

貝毒による食中毒は少ないと仮定しまししたが、感染性胃腸炎はどうなのか??

代表的なものとしてはノロウィルスが挙げられますが、特に冬に流行しやすいノロウイルスは、接触や食品などを介して経口で感染し、体内の腸管で増殖し、嘔吐・下痢・腹痛などを起こします。

低温環境で長く生き延びるために、冬場に多く見られ体内に入ると小腸内で爆発的に増え症状を引き起こします。また、ノロウイルスは嘔吐物や便にも排出され、ヒトからヒトへ感染します。

 

しかし、ノロウイルスは貝類から直接作られません。

ヒトの排泄物があり始めて貝類に蓄積されます。人間が排出した排泄物は下水処理場で処理をされてから河川や海に排出されます。

その時にウイルス等の物質は浄化するのですが、微量のノロウイルスが処理しきれず残ってしまいます。その残った微量のノロウイルスを二枚貝が蓄積させるのです。

 

そもそもノロウイルスは、加熱をすれば死滅します。その原因とするのは、生食がいけないと言う事になりますが、日本でその対象となる貝は【牡蠣】と【ホタテ】です。しかし、ホタテは通常、白い貝柱の部分を食すことが多いのでノロウイルスによる食中毒が起こりません。

 

縄文時代の食中毒事情

上記のノロウイルスの原因を考えると、縄文人の排泄処理を考えると解決するような気がします。

縄文時代と現代を比べると、人口も少なく過食をしていなかったように思えるので、海に流れる排泄物の量もすくなのではないかと考えます。そのため、ノロウイルスによる健康被害は極めて少なかったと思います。

しかし、現代に比べて衛生観念が気薄なことや冷凍・保存技術が未発達だったことから通常の食中毒は多かったかもしれません。

 

縄文時代の食生活

貝塚】を見る限り、縄文人は主食に近い位に貝をたくさん食べていたように感じますが調べてみると違うようです。とは言うものの、遺跡の発掘では、貝塚から貝殻・土器・動物の骨などが多く発見されます。

貝の種類は、シジミ・ハイガイ・アカニシ・シオフキ・ハマグリ・カキなど多くの種類が確認されます。しかし、よく考えると、貝殻は後世に残りやすく山菜や木の実などはその痕跡は残りにくいのが現状で、そのため貝殻だけが以上に発掘されると考えられます。

 

縄文時代の食生活を書いた論文に、【縄文人はドングリやクリなどの木の実や山芋のなどの根茎類は過食部分が多くカロリーも高い。一方で貝類は、可食部が少なくカロリーが低く栄養を取るには非効率だった】と記しています。

肉や魚は、貝類とドングリの中間と言われており、縄文人は木の実や根茎類を主食として、副食として肉や魚・魚介類を食べていたと考えられています。ドングリなどの木の実はそのまま食べる事が出来ず、しっかりと調理して食べていたそうですよ。

 

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縄文人は以外にもグルメだった!?

縄文時代の食生活は採取によるものでした。

春・夏は山菜、秋は木の実たち、季節に応じた海産物、時には動物を狩猟し肉を食べていました。こう考えると、時代は違えど私たちと似た食生活をしていたのかもしれません。

そして、驚くことに現代程ではないですが、食料を保存する技術も持っており、木の実は貯蔵庫に蓄え、肉や魚は干したり蒸したりと日持ちするようにしていました。発掘された縄文人の歯を見ると、江戸時代の人よりエナメル質の発達が良く、栄養バランスの取れた食生活をしていたと解っています。

また、他の大陸の民族と比べて虫歯率が高かったようで、それなりの炭水化物も取っていたようです。稲作が盛んになった弥生時代は、さらに虫歯率が高くなったそうですよ。

縄文時代のグルメなレシピ

縄文時代の出土品の中には、獣肉に木の実を混ぜ、野鳥の卵を入れて混ぜて焼いた【ハンバーグ】がありました。さらには、果実酒も飲んでいたとも言われます。

この時代のスーパーフードと言えばドングリで、縄文人はこのドングリで様々な料理を作っていました。粉状にして焼いて【クッキー】土器で煮込めば【リゾット風】と言った具合に調理をしていました。

縄文時代の保存食【縄文クッキー】

歴史好きなら一度は食べてみたいのは縄文クッキーで、小麦粉の代わりにドングリをひき粉状にしたものをウズラの卵を繋ぎにして、はちみつを加え焼いたのを復元して作っているのがあります。

右の写真は、新潟県の縄文遺跡から実際に出土し縄文クッキーです。

古代のチーズ【】をチャレンジしたことがあるので、気になる方は読んでみてください。

いまでこそ、クッキーはおやつですが、縄文時代は狩猟や旅に持っていく携帯食しての役割が大きかったとされています。商品名をあげると、縄文版カロリーメイトでしょうか?

そのためか、高カロリーな食材をギュッと詰め込みかなりの腹持ちがするようです。

 

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縄文土器のジビエ料理イノシシなべ

黒曜石で切り分けたイノシシの肉を、キノコ類、山芋、山菜などをいれます。

山菜の中には、福井県や青森、北海道の縄文遺跡からゴボウが出土されていることからおそらくなべにも入っていたのかもしれません。鍋の内容も、春なら山菜、秋ならキノコと言った具合に変わってくるでしょう。

復元された縄文土器によるイボキサゴスープの調理の様子(産経ニュースより一部加工)

縄文時代=狩猟=肉食と言ったイメージが強いですが、実は縄文人にとって肉は冬にしか取れないレアもので、本州の縄文人にとっては保存食としての認識が大きかったそうです。

しかし、雪の多い北海道や東北地方ではその限りではなかったそうです。

そのため、大陸から稲作文化が入ってきた時に北海道の縄文人は中々稲作を受け入れなかったのに対して、本州の人々はすんなり受け入れたと言います。それは、本州の人々は植物性食物を主とした食生活をしていたためだと考えられています。一方で北海道は、狩猟を主とした食生活をしていたためだと言われています。

 

以前、古代のチーズ【】を作った時はそれなりに美味しかった記憶があります。

縄文クッキーを調べてみると、クリやクルミを使って今でも食べられるような物のレシピまで紹介されているようなので、時間があれば歴史食第二弾として作ってみようと思います。

 

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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