江戸時代に大流行した感染症に人々はどう立ち向かったのか?
現在、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で、2020年7月から始まる東京オリンピックも延期という前代未聞の事態にまでなりました。この未知のウイルスの大流行で、マスク不足になり、日本でも経済活動の自粛や3月から学校も休校になっています。
こうした疫病の大流行は歴史的に見ても人類は、たびたび戦ってきました。
江戸時代にも疱瘡や麻疹、コレラなどの感染症が流行しています。現代のように医療が発達していないこの時代の人々は、どのように感染症と向き合っていたのでしょうか?
流行り病の種類
江戸時代の感染症と言えば、疱瘡(天然痘)・はしか・インフルエンザ・コレラ・ペストなどが有名ですが、ウイルスや菌などの病原体の存在が知らなかったこの時代は、人から人へとうつる感染症は、悪魔や妖怪の仕業考えられていました。
そのため、まじないや民間療法にすがる人々が多数いました。その一方で医者と呼ばれる人たちは、医学書を紐解きながら実際に治療を重ね、効果的な治療法を模索していました。
これは、現在の新型コロナウイルスの感染者と日々向き合っている医療従事者と同じです。
子供の天敵・疱瘡(天然痘)
歴史に携わっているとよく出てくる病気が【疱瘡】で【天然痘】と呼ばれる感染症です。1955年に「地球上から天然痘根絶宣言」が出され、人類が唯一打ち勝つことができた、過去の感染症です。それまでは、世界中で人々の命を奪う恐ろしい感染症の一つでした。
簡単に概要を書くと…
- 飛沫や接触により感染する伝染病(伝染力は強い)
- 潜伏期間は12日ほど
- 発熱と頭痛からはじまり、全身に発疹が広がる
- 発疹は水疱となり膿疱になったあとかさぶたになる
- 下熱すれば治癒に向かうが“あばた”が残ったり失明することも
- 種痘が唯一の予防法であり、種痘発明以前はかなりの死亡率
疱瘡が日本で初めて確認できる史料が『日本書紀』で、奈良時代に「発疹が出来て激しい激痛の末、死に至る」と記載されています。奈良時代の【天平の疫病大流行】では、この疱瘡の大流行で日本総人口の25%が死亡したとされています。
江戸時代には北海道でも大流行し、アイヌの人口減少の一因とも言われています。
概要欄に書いているように、顔にあばた※が残る事から見定めの病とも言われ、特に小さな子供たちにとっては、将来を左右するだけではなく命取りになるしれんでした。幕末の種痘による天然痘予防法が確立されるまでは、疱瘡と戦う術が隔離以外なく、それ以外は神頼みでした。
※疱瘡が治った後に、皮膚にブツブツとニキビ跡に似た小さなくぼみが残りました。
疱瘡になったら神頼み
1798年に疱瘡や麻疹などにかかった際の看病法や心得を書いた『疱瘡心得草』と言われる書籍が発売されました。そこには、疱瘡を擬神化した「疱瘡神」に「疱瘡にかかりませんように…」と祈ったり、魔除けパワーをもつ赤を使った「赤絵(あかえ)」と呼ばれる絵を飾ったり赤色を身につけたりして人々は疱瘡の恐怖を耐え忍んびました。
その一環として鍾馗も疱瘡除けとして信仰されました。
疱瘡除けのパワーを持つとして信仰されていたのが鍾馗(しょうき)様です。中国での民間伝承に伝わる道教系の神で日本では5月5日の端午の節句では鍾馗さまを描いた幟や人形が飾られました。
疱瘡と同じように恐れられた麻疹
麻しんウイルスに感染する事で発症する病が麻疹(はしか)です。日本の歴史上に確認されたのが、998年に1回目の大流行したとされています。
江戸時代にもたびたび大流行を繰り返した麻疹は、命定めの病として天然痘より死亡率の高い感染症として知られ、5代目将軍・綱吉の死因も麻疹ではないかと言われています。
- 感染力が非常に強い
- 免疫を持っていない人が感染するとほぼ100%発症(免疫をつければ感染しない)
- 接触感染や飛沫感染はもちろん空気感染もし、マスクや手洗いでも防げない
- 発熱や咳などの症状を経て、高熱とともに全身に小さな発疹
- ワクチンによる予防接種が唯一の予防策
現在はMRワクチンの予防接種が行われていますが、全国民が受けているわけではありません。ある一定の年代の接種率は20%と低く、この年代で麻疹が流行するとニュースにもなったりしています。とはいえ、後から打つことも可能です。料金は少しお高いですがキチンと予防接種をすれば一安心ですね。
とはいえ、今回の麻疹流行のお話は、ワクチンや予防法が確立されていなかった江戸時代の話です。当時は、一度麻疹が流行すると、多くの人が感染し命を落とすことが少なくありませんでした。江戸時代通して13回の麻疹の大流行があり、1862年の大流行ではコレラまで猛威を振るうというダブルパンチを受け、江戸だけで20万人以上の死者を出しました。
麻疹も同様に『麻疹軽くする法』と呼ばれる書籍が発売され、麻疹を軽くするおまじない等が色々と書かれています。
一部を紹介すると
- 節分の夜に門に刺したヒイラギの葉を煎じてはしかに感染していない子どもに飲ませると感染しても軽くすむ
- タラヨウの葉におまじないの歌を書いて川に流す
と必ず軽くすむなどの民間療法が流行りました。
江戸時代もインフルエンザは大流行した
現代でも冬の嫌な風物詩としてインフルエンザの流行が挙げられますが、2020年は新型コロナの影響かインフルエンザの感染者数は例年より低く抑えられたようです。
インフルエンザと聞くと最近の感染症のイメージがありますが、平安時代にはそれらしき病が流行したとされています。江戸時代にも【風邪】【風疾】【風疫】と呼ばれた病気の中に似た症状のものが、インフルエンザだったのではないかと考えられています。
1614年に近畿地方で【風疾】と呼ばれるインフルエンザに似た症状が大流行したようです。
インフルエンザは流行るたびにその年の流行した者にちなんだ名前が付けられており、1801年~1804年に流行した時は、悲恋の放火事件で有名な八百屋のお七の小唄にちなんで【お七風邪】と呼ばれたそうです。他にも、人気遊女にちなんで【お駒風邪】なども付けられたとか…
予防接種も特効薬もないうえに、現代に比べてはるかに気温の低かった江戸時代は、インフルエンザで江戸だけでも数万人の人が命を落とすこともありました。1795年には、相撲で無敵の強さを誇り【大相撲史上の強豪】とも言われている横綱・谷風も現役のままインフルエンザで命を落しました。
ころりと死ぬことから【コロリ】とも言われたコレラ
1862年に麻疹と共に大流行し、全国で56万人の感染者を出したコレラです。江戸の人々には【コロリ】と呼ばれ、その病状から「虎烈刺」「虎列拉」「虎列刺」などの【虎】の字があてられました。
- コレラ菌に感染することで発症する感染病
- 感染力は非常に強力
- 感染経路は経口感染(コレラ菌に物を口にすると感染)
- 潜伏期間はおよそ2〜3日、早ければ数時間
- コレラ菌が体内で排出する毒素により、激しい下痢と嘔吐を繰り返す
- 急速な脱水症状を引き起こし死に至る
予防法と治療法が確立された現代でも、コレラの大流行は続いており、決して過去の病気ではない事を押さえておきましょう。とにかく衛生管理が重要なのがこの病気にならないための方法です。
日本でコレラが確認されたのが1822年で、1858年の安政の大流行では西日本を中心に大流行をし、箱根を越えて江戸の町に猛威を振るう事になります。ちなみに、ドラマの『JIN-仁ー』で登場するのは【安政コロリ】の頃を描いたものになっています。
安政コロリの頃に、憑き物落としにオオカミ信仰が流行り、呪具を作るのにオオカミの乱獲が行われ、これがニホンオオカミの絶滅に繋がったのでは?とも言われています。
コレラは明治の世になっても2年~3年おきに大流行し、数万単位で使者を出していました。1877年の『流行虎列刺(コロリ)病予防の心得』では、部屋をよく乾燥させ、こまめに換気し、みだりに井戸水などを飲んではいけない、などのコロリに関する注意書きが書かれています。麻疹や疱瘡の時よりは、まともなことを書いている気がするのは気のせいでしょうか?
甘エビではないよ【アマビエ】だよ
古来より魔よけや厄除けのパワーを持つとされている病魔除けの謎の生き物「アマビエ」。あるSNSの投稿で【甘エビ】と間違えて笑いを誘ったのは有名な話です。
そういう自分も『コロナに【甘エビ】とは何ぞや?エビチリ食べればいいのか?』と思っていたのは内緒です…
さくらももこのコジコジの次郎※にどこか似たような絵ですが、これが「アマビエ」。
※結構有名な話なので、コジコジ 次郎 で調べてみてください。似てて感動します。
アマビエが描かれた瓦版によると、1846年に肥後国の海中から出現し、
「万一、疫病が流行したら私の絵を描いてそれを人に見せるといいよ」
と言ったそうな。
あれから170年。世界中が新型コロナで混乱する中、日本において「今がアマビエを描くとき」と、SNSでたくさんの人々がアマビエを描き公開しています。
こんな姿ですが、れっきとした妖怪でゲゲゲの鬼太郎でも一妖怪として登場しました。
妖怪たちの中には【予言獣】と呼ばれる存在が居ます。人間の前に忽然と姿を現しこれから起こるであろう災いを予言し、それを避ける方法を示します。
妖怪でありながら、人への親切心がある予言獣の一人としてアマビエが存在したようです。
こういった疫病封じの妖怪にはアマビコや神社姫といわれるものも存在しますが、今回はアマビエが広まったみたいですね。
信じる者は、救われるとも言われています。神様・仏様・アマビエ様どちらでも構いませんので、何とか新型コロナウイルスを終息させて下さい。普通の暮らし言うものがどれだけ幸せだったかと言うのを思い知らされる今日この頃でした。