昔の運動会の競技名が読めなさ過ぎた!?
保育園や幼稚園、小学校では、親子共に運動会はとても盛り上がりますが、近年では授業時間の確保などで午前中で終了する学校も増えとても寂し気持ちになります。
中学校や高校では、【体育祭】と名を変えてサッカーやバレーボールなどをクラスや学年対抗で行われたりしていました。
そもそも、この運動会は何のために始まったものなのでしょうか?
学校教育の一環なので健康の増進や運動機能増強を目的としているのは、ぼんやり分かるのですが、今回は運動会の競技やその歴史を踏まえながらまとめてみました。
運動会の起源は海軍の【競闘遊戯会】
今でこそ運動会と言えば、幼稚園や小学校で行う事が多いですが、日本で最初の運動会は海軍兵学校で行われたのが始まりでした。
その当時の兵学寮のカリキュラムは、教室で座って学ぶ座学ばかりの授業でした。
さらに当時の日本には、まだスポーツという概念はなく、体育の授業としては、馬術や武道だけで体を動かして楽しむ機会が極端に少なかったのです。
そこで、日本に滞在していたイギリスの海軍の偉い人は、学生たちが座学だけでは不良になってしまうと、運動することを推奨します。
そして、1874年(明治7年)3月21日、東京海軍兵学寮で開催された行事が、【体育とレクレーション】を兼ねた【アスレチック・スポーツ】を日本に取り入れるべく開催された日本で初めての運動会『競闘遊戯』でした。このアスレチック・スポーツを訳したのが、【競闘遊戯会】と言う名がつけられました。
同じ年に、札幌農学校【北大の前身】で力芸会が開催され、1885年に東京大学で【運動会】が行われ、全国的に盛況となり当時の文部大臣が学校教育の一環として【運動会】を開催するようにと全国の学校に義務付けました。
競闘遊戯会の不思議な競技名
この日本初の運動会こと競闘遊戯会は行われた競技もどんなものか想像できないくらいの名まえでした。
- 燕子学飛(つばめのとびならい)
- 老狸打礫(ふるだぬきのつぶてうち)
- 蜻蛉飜風(とんぼのかざがえり)
- 野鶴出籠(かごのにげづる)
- 乳猿避猟(こもちざるのかけぬけ)
どこかの四文字熟語を連想させるこの名前は、いったいどんな競技だったのでしょうか?
- 燕子学飛→300ヤード走
- 老狸打礫→ボールの遠投
- 蜻蛉飜風→棒高跳び
- 野鶴出籠→競歩
- 乳猿避猟→おんぶ競争
こうしてみると、現代の運動会競技とさほど変わりのない事が分かりますね。
ちなみに300ヤードは約280メートルです。
しかし、中には須浦汲潮(すうらのしおくみ)と言われる、頭の上に水を入れた桶を乗せて50ヤード走る競争もあったようです。
この時に、導入されたのが『兵式体操』で、軍隊式の集団訓練を通して、愛国の士気を高めることを目的とした体操でした。軍隊のような動きを取り入れて、規律や秩序を守る人間を育てるのが目的でした。
今でも、「気をつけ!」「前へならえ!」「全体前へ進め!」が使われていますが、これは、兵式体操の名残です。
どうして競技名が四文字熟語風に!?
一番の理由は、競技プログラムが英文で作られており、それを日本語訳にしたからでした。
しかも、英国で行われていた競技種目にはそれに該当する日本語も存在しなく、英語の専門家と国文学と漢文の教官の間で話し合われ、日本語の直訳ではない美しい四文字熟語でひょげんされる事になりました。
この運動会の最後の花形は中原逐鹿(もろこしのしかおい)で、これはイギリスのお祭りでよく行われる子豚を捕まえる【豚追い競争】だったそうです。現在のリレーや騎馬戦に比べるとなんともカントリーチックなものだったのでしょう。
ほかにも…
- 文鰩閃浪『とびのうをのなみきり』 幅跳び
- 白鷺探鰌『さぎのうをふみ』 三段跳び
- 暁鴉乱飛『あけのからす』 270m障害物競走
- 大鯔跋扈『ぼらのあみごえ』 高跳び
- 蛺蝶趁花『てふのはなおひ』 二人三脚
- 挽馬脱轅『ばしゃのはなれうま』 目隠し競走
- 玉兎躍月『うさぎのつきみ』 立三段跳び
- 猴獼偸桃『さるのももとり』 卵拾い競争
- 須浦汲潮『すまのしほくみ』 水桶運び競走
しかし、これらの呼び方は初めだけで、「すずめのすだち」や「つばめのとびならひ」は『平がけ』と名を変え「ふるだぬきのつぶてうち」は『まり投げ』となりました。
「こもちざるのかけぬけ」は、競技そのもの消滅しました。
第二次大戦中などは、運動会も軍事色が強まっていき、種目にも『爆弾輸送』や『爆弾三勇士』など、戦争をイメージした名前が付けられるようになりました。
運動会のスタートの合図がユニークすぎる!
『位置について よーい ドン!』
は、今では運動会のメジャーなスタート合図として定着していますが、陸上競技の概念もない競闘遊戯が開催されたころは、違う合図が使用されていました。
明治16年の開成学校では、【いいか、ひい、ふう、みい】と言って、傘を振り下ろすスタイルでした。明治の末期から大正にかけては、【支度して、用意】 【腰を上げて 待て!】【ガッテン承知!】【おんちゃなケツ上げぇ!】など、なんとも個性的な掛け声でした。
時が過ぎ、昭和2年に日本陸上競技連盟が懸賞を付けて、スタートの合図を一般公募しました。
そして、東京神田に住んでいた山田秀夫さんの、【位置について よーい ドン!】に決定し、1928年3月4日の東京日日新聞で発表されました。それでも、1964年の東京オリンピックが開催される頃までは、スタートの合図はバラバラだったということです。
体育の日
2000年(平成12)以降の体育の日は【10月の第2月曜日】と決められましたが、1966年(昭和41)~1999年(平成11年)までは、10月10日と定められていました。私自身も歴史を積み重ねた人間なので、現在の体育の日より10月10日の方がシックリ来ます。
この10月10日と言うのが、1964年に東京オリンピックが行われた日を記念して【国民の祝日】として制定した祝日なのです。この制定以降、10月10日は小・中・高等学校で運動会が開かれるようになりました。
近年では台風などの気象の関係で、5月末~6月上旬に行う所もあるそうです。
最後に…
最近の研究では、日本で最初の運動会は、横須賀製鉄所のだという説もあるそうです。
いまでこそ運動会は、親子とも学校の行事として思い出を作るイベントでしたが、私たちが子供のころに比べるとその運動会も様変わりしてきました。
順位をつけないでみんな手を繋いで一列でゴールする、開催の花火の禁止、午前中開催などその時代によって運動会の在り方も変わってきます。
私が子供の頃は、朝早くから敷物を敷いて場所取りをし、一緒にお弁当を食べており、父がビール片手に家族総出で応援してくれたものです。私自身の知っている運動会とちょっと違うのは寂しい気がするのですが、仕方がありませんね。