【こどもの日】端午の節句の歴史
2019年5月5日は、元号が変わった令和初めの子供の日になります。
ゴールデンウイークが近づくにつれて、地域によりますが色とりどりの鯉のぼりが大空を泳ぎだします。5月5日は【端午の節句】でもなじみ深いですが、その由来や歴史は意外と知らない人が多いのではないでしょうか??
端午の節句とはそもそも何?
3月3日は【桃の節句】で女の子の祭りなら5月5日は【端午の節句】で男の子が主役のお祭りです。話はそれますが、こどもの日が国民の休日になったのは、戦後1948年(昭和23年)の事です。
子供の日の名称は、正式名を【端午の節句】と言い、一般的に【こどもの日】として世に広まっています。時がさかのぼり、江戸時代の端午の節句は、幕府により重要な日と決められていたそうです。
端午の節句のほかに、4つあり【五節句】と呼ばれています。
- 1日7日 【人日(じんじつ)の節句】
- 3月3日 【上巳の(じょうみ)の節句】
- 5月5日 【端午の節句】
- 7月7日 【七夕の節句】
- 9月9日 【重陽(ちょうよう)の節句】
端午の文字を見ると、【端】は始めを意味して【午】はウマなことから、【月初めのウマの日】と言うことになります。ようするに、端午とは本来5月に限ったことではなったのです。それがいつのころから、【午】と【5】が同じ発音で、奇数が重なるのはおめでたいと言う事で、5月5日は端午の節句となったそうです。
江戸時代にも、5月5日に端午の節句が行われていたようですが、このころは旧暦の5月5日だったので、現在でいうと6月上旬に行われており、こどもの日は初夏のイベントとしてお祝いされています。
そもそもは厄払いのイベントだった!
端午の節句と聞けば誰もが【男の子のイベント】と言うイメージがありますが、本来は男の子と無関係な行事でした。
古代中国では、【五月は1年で一番悪い月】と考えられていたようで、特に厄払いが盛んにおこなわれていた月でした。そこで、邪気を払うためによもぎや菖蒲などを飾りその香りで邪気を払っていたそうです。この中国での風習が奈良時代に日本に伝来し、平安貴族たちにも広がり、軒先に菖蒲やヨモギで作ったくす玉をつるし邪気をはらいました。
清少納言の【枕草子】でも『節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし』書かれています。現代語訳にすると、【節句と言えば端午の節句。菖蒲やヨモギの香りが漂ってワクワクします】というような意味だったと記憶しています。
きらびやかな貴族の時代が終わり武士の世になると、【端午の節句】に変化が訪れます。厄払いに使われていた菖蒲が【尚武(武を尊ぶ)】【勝負】に通じ、菖蒲の葉が刀に似ていることから、端午の節句が尚武の節句として武家で流行りだしました。
その流れで、男の子の成長や出世を願う日へと変わっていきます。
端午の節句の鯉のぼりはいつから?
江戸時代の浮世絵で有名な歌川広重も作品に鯉のぼりを書いており、1800年代には既に存在していたことがわかります。高層ビルがなかった江戸時代に屋根よりはるかに高い立派な鯉のぼりが空を泳いでいます。こうした風景が見られるようになったのは江戸時代も中期を過ぎてからで、鯉のぼりを飾るのは江戸だけの風習だったようです。
『名所江戸百景 水道橋駿河台』歌川広重 画
当時の主役は鯉のぼりではなく、幟(のぼり)と言う旗のようなものでした。
神社でよく見かける下記の写真のような旗です。
尚武の節句として盛大に祝っていた武家では、尚武高揚のために5月5日に家紋を染めたのぼりを門戸に飾り立てたそうです。これは、【元寇のときに鎌倉幕府の北条家が天下万民ののぼりを立てたところ、敵を追い払うことができた】事に由来したそうです。
庶民でも盛大に端午の節句を祝いたいが、武家の風習をそのままマネする事はためらわれることから、誕生したのが鯉のぼりでした。
中国の伝説に、黄河の激流を登り切った鯉は龍になると言う逸話がありました。
そこで、鯉は大出世のシンボルと言う考え方が生まれ、日本にも伝わりました。この伝説は【登竜門】という言葉の由来にもなっています。男子の出世を願う端午の節句に【立身出世のシンボル】である鯉と言う事で、江戸っ子たちは鯉の形をした飾りを端午の節句に飾るようになったのです。
当初は、下記のようなミニ鯉のぼりだったようですが、次第に巨大化し、やがて屋根より高くなっていきました。この風習を武家がまねをして鯉のぼりを飾るようになり、江戸近郊の風習だった鯉のぼりは全国各地へと広まっていきました。
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五月人形の始まりは室内飾り
家の外にのぼりや鯉のぼりを立てる一方で、室内では様々な飾りつけを施しました。
武家では先祖代々の甲冑などの武具を座敷に飾りました。これは、虫干しも兼ねていたようです。庶民は、代わりに武者人形を紙で作った兜をつくり飾りました。また、菖蒲刀と呼ばれる木刀みたいなものが飾られていました。
端午の節句の代表スイーツ【ちまきと柏餅】
5月5日ころによくお店に並ぶのが、【ちまき】と【柏餅】です。
ちまきは、紀元前3世紀の楚の国に忠誠心の高い政治家が川に身を投げ、その死を悼んだ人々がその死体が魚に食べられないように笹の葉にご飯を包んだものを川に投げ入れたものがルーツとなっています。
しかも、その日が端午の節句だったことから、節句にちまきを食べる風習ができたとされています。かなり、昔の事なので諸説ありますが…
一方、柏餅のほうは、江戸時代に日本で生まれた国産のスイーツです。
その製法は、現代とほとんど一緒で米粉を練ってつくった餅を二つ折りにし、その間にあんを挟み、柏の葉で包みます。柏餅のあんには、小豆あんと味噌あんの2種類があったそうです。
柏の葉が表向きの物が小豆あん、裏の物が味噌あんと分かりやすくなっているそうです。当時は、各家庭で手作りしている事が多かったようです。
柏の葉を使ったのにはちゃんと理由があるようで、柏の葉は新芽が育つまで古い葉が落ちないそうで、【家が代々続く】【子孫繁栄】をイメージさせることから、端午の節句に合うと言う事から始まったそうです。
当初、京や大坂などの上方では、ちまきが主流でしたが江戸時代後期になると、男子が生まれた初節句にちまきを親せきや知人に配り、その後は柏餅を贈るようになったそうです。現代の、関西では【ちまき】関東では【柏餅】と言う傾向は、これらの江戸時代の名残からきているようです。
現在の年中行事として行われているものの多くが江戸時代に庶民でも行われていたと思うととてもロマンを感じられます。2019年5月5日は令和最初の端午の節句です。皆さんの家庭ではどのようなお祝い事をするのでしょうか?