世界史

アンティオキア攻囲戦

アンティオキア攻囲戦第一回十字軍においてかなり重要な攻城戦の一つです。

西側では武勲詩(フランス文学が成立に近付いている時期に書かれるようになった叙述詩のこと)の題材として描かれるほど伝説的な戦いだった反面、攻められた側はその凄惨さが長らく語られることになっています。

 

アンティオキアシルクロードの出発点として知られ、ローマ時代にはローマアレクサンドリアに次ぐ第3の都市として古来より栄えてきました。有力教会(五本山)の一つで『マタイによる福音書』が成立した場所では?と有力視される程、キリスト教と切っても切れない土地でもあります。

そんな重要な都市だけあって、古くから非常に頑丈な城壁が築き上げられていました。

今回は、そんな堅固な城壁を誇る城郭都市をどのような形で奪ったのか、まとめていきます。

 

 

アンティオキアはどんな都市だったの?

ローマ帝国の時代から栄えていましたが、6世紀初めの大地震を機に衰退。それ以降は数多くの戦乱に巻き込まれていきました。最前線となったアンティオキア周辺はますます衰退し、イスラム王朝に奪われます。

第一回十字軍おおよその地図↑アンティオキアの位置

ビザンツ帝国が969年に奪い返したのを機に、皇帝が「もう奪われないように」と非常に強固な城郭都市としてアンティオキアを改めて作り直していったのです。

 

西にはオロントス川(現・アシ川)、東にはシルピウス山、南には急激なのある地形を生かした城壁で守られています。山頂には要塞まで築かれました。どれだけ強固なものだったかは下のイラストを見ると分かります。

アンティオキア城壁アンティオキア攻囲戦(wikipedia)より

1085年になると、そのビザンツ帝国からセルジューク朝アンティオキアを奪うのですが、城壁を破るには非常に多くの労力がかかることから内部で手引きしてもらうことで城を落としたそうです。ということで、10年後の十字軍遠征の時に大きなダメージが残っているはずもなく、堅固な城壁都市の名を欲しいままにしています。

 

いざ攻めようという時に取った十字軍の選択とは?

城壁が堅固で「城を落とせないだろう」と考えた諸侯と「攻撃あるのみ」と考えた諸侯がいたようで、軍の意見は真っ二つに分かれます。

前者がボエモンゴドフロア

ビザンツ帝国セルジューク朝からアンティオキアを奪われたのも内部の裏切りによるもの。それ以前から正攻法ではな裏切りによって開けさせている例があり、正攻法で「落とせない」と考えるのも無理はなかったと思われます。

 

一方「攻撃しよう」という考えだったのがレーモン4世です。

ものすごく簡略化した地図ですが、アンティオキアには主に6つの門があります。

  • 東:シルピウス山の頂上に要塞があるために侵入は実質不可能
  • 南の聖ゲオルギオス門の周りは崖で門の前にはオロントス川に連なる小川が流れていて、兵を配置するには不利な場所
  • 西:橋の門はその名の通り『橋』なので、大々的に兵を展開するのは難しい

西と南には少数なら兵を置いておけますが、シリア=セルジューク朝に高い位置から弓を放絶えたり奇襲をかけられたりするのが目に見えています。ということで、多くの兵を置けそうなのは北西の公爵の門犬の門聖パウロ門くらいです。

 

どちらの言い分も理解できますが、結局はゴドフロアボエモンの意見が通っています。

 

ボエモンとドゥカークの衝突と大地震

十字軍が攻囲戦を選択して喜んだのが、アンティオキア統治者のヤギ=シャーン

城壁が良くても戦えるだけの兵力をアンティオキアは持っていませんでした。攻囲戦に持ち込んでいる十字軍を尻目に、近隣のイスラム勢力に援軍要請を行います。

同時に、アンティオキア市内の共存していたキリスト教徒が十字軍が来たことで裏切る可能性を捨てきれず騙し討ちのような形で城外に追い出した他、食料の備蓄も始めて兵力以外は準備万端の体制で待ち構えていました。

 

十字軍、食糧不足に見舞われる

攻囲戦を始めたのは良いのですが、冬が近づくにつれて 十字軍は徐々に食糧が尽きつつありました

周囲を全て包囲できず中途半端な形での包囲だったため、アンティオキアが補給を難なく行えた一方、十字軍は敵国の真っただ中だけあって補給が困難になっていたのです。

更にゴドフロアが病に倒れるなど不運が続く中、十字軍は食糧不足を補うため度々近隣の街を襲っています。その近隣の町にボエモンらの軍が食糧・物資を調達しに略奪へ行った際に援軍に来たダマスカスドゥカーク軍とアル・バーラ村で鉢合わせしました。

アルバーラでの衝突

最も近いアレッポリドワーンからはヤギー=シャーンと対立(アンティオキアをリドワーンが狙っていたため)していたこともあって最初は要請を断られ、割と関係の良好なドゥカークが援軍に来てくれていたところで衝突したようです。

この戦いで十字軍は勝利していますが、略奪した物資のうち家畜は逃げ、更に兵士を失うという結果になります。食糧不足を改善させることに失敗したのです。

 

大地震の発生とその影響

ボエモンドゥカークの衝突後、負けたとはいえドゥカークは一度退いて体勢を整えてから再度攻撃予定だったのですが、両者の衝突があった12月中に大地震が発生。その後、数週間ほど寒さと豪雨に見舞われたためダマスカスへの退却を決めています。

この事態を重く見たヤギー=シャーンは対立していたリドワーンとの関係を改善させ、再度援軍を要請しました。この要請にはリドワーンもオッケーしたようです。

 

同時に天変地異は十字軍にも悪影響をもたらします。十字軍内で飢餓が更に悪化したのです。7人に1人が餓死する状況になり、(多くは馬の死体を食していたけれども)中には敵兵の死体を食す者まで現れています。

「何度も土地の住民から略奪したために、天変地異が続いているのでは…」

アデマール司教が考えていたように、十字軍の中にも

「神に見捨てられた」

と考える者が多く出るようになりました。士気がものすごく下がり、脱走者が続出し始めます。隠者ピエールもその一人。日を追うごとに十字軍の状況は悪化し続けたのです。

 

ビザンツ帝国との関係のさらなる悪化

そんなある日、十字軍に着いてきたビザンツ皇帝・アレクシス1世の使者が離脱します。

十字軍が使者の助言を聞かないどころか、直接、この使者に

的な事をボエモンが伝えていたのです。

 

何故こんなことを言い出したかと言うと、以前食糧や物資の提供を引き換えにビザンツ帝国皇帝のアレクシオス1世との約束

を反故にして、ボエモン

という野心を持っていたためと考えられています。

 

この使者の離脱を理由に十字軍のまとめ役の一人、ボエモン

として、アンティオキアの領有を主張し始めます。これを認めないと「離脱する」と言い出しました。

 

レーモン4世ゴドフロアは流石に

と反対の立場であり無視していたようですが、ニカイアの件でビザンツ帝国に対する不信感もあった下級兵士らの間にはボエモンに賛同する声が広まっていきます。

 

十字軍、ようやく状況が改善する

2月にリドワーンとの衝突でも勝利を収め、3月に入ると十字軍にとってようやく朗報が。アンティオキアから西へ14㎞離れた場所にある聖シモン港十字軍関係者からの補給船がやってきたのです。

この十字軍関係者の船を手配した人がはっきりと判明していないのですが、恐らくビザンツ帝国アレクシオス1世だろうと言われています。なお、十字軍はビザンツ帝国からだとは全く考えなかったようです。

 

この物資を受け取るにもお互いに

こう思っている二人。逆に言えば、互いに監視し合う仲のため不正が出来ないと思われたのでしょうか?二人で補給物資を受け取る役割を担当することになります。

 

ところが、アンティオキアも黙っていません。ヤギー=シャーンに守備隊とは別の部隊が十字軍の補給部隊を潰すために送り込まれて十字軍は補給物資の多くを失ってしまいます。

この時、ゴドフロアの援軍が駆け付けてくれたため、残りの物資は何とか確保することができました。この判断が十字軍にとっては良い方向に繋がっていきます。

少ない物資とは言え、手に入れた物資で橋の門の出入りを監視できる『ラ・マオメリー』と呼ばれる砦と聖ゲオルギオス門の出入りを監視できる砦を築くことが出来たのです。

これまで無防備だった南の二か所の門にも兵を置くことが可能となり、補給路を襲われる確率が格段に下がりました。ラ・マオメリーにはレーモンの部隊が、聖ゲオルギオス門側の砦にはボエモンの甥・タンクレードが待機することになり、十字軍の食糧事情がようやく改善の兆しを見せ始めたのです。

 

※タンクレードが兵を置いたため『タンクレードの砦』と呼ばれました。

 

ゲルボガとの対決??

食糧事情が春になるにつれて改善した一方で、悪い知らせも十字軍には届きます。 モースルゲルボガという人物が大軍を率いて援軍向かっているというのです。

十字軍は既に餓死者や脱走者が相次いで人数がかなり減っていましたから、急いで城を陥落させる必要が出てきました。

ところが、ゲルボガリドワーンドゥカークの軍と合流した後に、エデッサ国に対して3週間包囲し攻城戦を行うという失態を犯してしまいます。これが十字軍に付け入る隙を与えることになりました。

 

今までの流れや位置関係を簡略化すると、下のような感じです。

そんな中でアンティオキア領有を主張していたボエモンアンティオキアの警備を担う人物と接触に成功 させます

聖ゲオルギオス門の側にある『二人姉妹の塔』の管理責任者である彼とヤギー=シャーンの仲は険悪でした。賄賂で裏切りを促したところ「城内に入れてくれる」というのです。

ゲルボガの大軍が迫ってきたこともあって、ボエモンのアンティオキア領有に反対していた諸侯達もボエモンの意見を受け入れざるを得ませんでした。

最後まで大反対していたレーモン4世ボエモンに対する感情は最悪なものとなり、レーモン4世がビザンツ皇帝アレクシオス1世と対ボエモンで結びつく下地となっていったのですが、それはもう少し先の話になります。

 

アンティオキアの陥落と第二回攻囲戦の始まり

二人姉妹の塔の責任者は約束通り門を開け、十字軍は無事にアンティオキアに入ることが出来ました。元々、アンティオキア側の兵力は多くないこともあって、数は飢餓や脱走で少なくなったはずの十字軍の方が城内では優位に立つように。

この時もまた十字軍による住民への虐殺が始まりました。混乱に乗じて市内に残っていたキリスト教徒が他の城門も開け放ちますが、あまりに混乱しすぎて市内にいたキリスト教徒も二人姉妹の塔の責任者の兄弟すらも犠牲となっています。

なお、この混乱を機に市民を置いて逃げ出したヤギー=シャーンは城外のキリスト教徒によって捕まり首を獲られ、ボエモンの元に届けられました。こうして十字軍によるアンティオキア攻略は成功したかに見えたのですが・・・

 

籠城戦の開始とゲルボガの到着

東側のシルピウス山城塞鉄の門周辺は籠城にも適した造りであり、アンティオキアに入城した後も十字軍は落としきれないまま。その状態でアンティオキアを落とした3日後にはゲルボガの大軍がやってきました。

最初は直接攻撃から始まったのですが、ゲルボガ側は大軍であっても失敗。包囲作戦に切り替えます。

十字軍と違ってシルピウス山鉄の門シリア=セルジューク勢力が掌握していた他、それ以外の門にも多くの兵を常駐させられるだけの兵力がゲルボガには揃っていました。

春先に一旦改善した食糧事情でしたが、これだけ包囲されていると補給も出来ず再度飢餓の危機に陥ります。アンティオキア内で売られている食糧は高騰し、貧しいものから力尽きていきました。

城外へ出るにしてもゲルボガ軍は大軍過ぎて話になりません。かなり絶望的な状況と思われます。

この時ビザンツ皇帝のアレクシオス1世も軍を率いてアンティオキアへ救援に向かっていたのですが、状況を知り引き返すことに...

 

十字軍とゲルボガ軍内部で起こっていた事とは・・・??

 

十字軍の中に飢餓が蔓延してくると、幻覚を見る者が現われはじめます。そのうちレーモン4世麾下の修道士の一人が

「アンティオキアで聖槍を見た」というのです。

※聖槍:磔にされたイエス=キリストの死を確かめるために刺したとされる槍。『ロンギヌスの槍』とも言われ、崇拝の対象でした

諸侯やアデマール司教から胡散臭いと思われていたなようでしたが、実際に地下から槍が発見され十字軍の士気は大いに高まったと言います。

 

一方のゲルボガ軍。アレッポリドワーンダマスカスドゥカークらも合流したこともあって大軍ではあったのですが足並みが揃いません。アンティオキアが攻略できるのも時間の問題と考えていたからでしょうか?

リドワーンドゥカークらはゲルボガアンティオキアを治めた後の心配をしはじめます。

 

(ゲルボガが)シリアででかい顔するんじゃないか?」

 

という疑惑です。この疑惑が拭えなくなった結果、ゲルボガの悪口を軍内で流すという敵国がしてもおかしくない作戦を自軍で行ってしまいます。

 

直接対決

ちょうど聖槍を見つけて十字軍の士気が上がりに上がって「城から出て直接戦おう!」という流れになったのが、ゲルボガ軍内部がガタガタし始めた頃。

ゲルボガたちはアンティオキアから出てきた十字軍を個別撃破するチャンスでしたが

「まとめて叩いてやろう」

と判断したそうです。チマチマやるより一気に叩いて大勝利を収めようとする方が士気が上がると考えたのかもしれません。・・・が、十字軍はゲルボガが思っていた以上に多かった。この判断ミスでゲルボガは大軍が出てきてから戦う羽目になりました。

 

既にゲルボガ軍は士気が下がり始めていた状態で、この十字軍の兵力を見て合流軍のダマスカス王ドゥカークらは

「十字軍多すぎじゃないか。聞いてないぞ」

と諦め、次々と帰ってしまったそう。士気の低下だけでなく数の優位性まで失われることになり、十字軍が直接対決で勝利を収めます。

こうして、大軍だったゲルボガ軍が追い払われると、籠城組も流石に諦め白旗を上げることに。これを機にアンティオキアは完全に十字軍の支配下となったのです。

 

戦後の対立

実を言うと、アンティオキアが白旗を上げた相手は十字軍に対してではなくボエモンに対して降参という形を取っていました。

 

これは裏でボエモンと籠城組が示し合わせた結果であり、ボエモンのかねてからの主張

「アンティオキアは俺のもの」

を進めていこうとします。さらに、大ピンチの時にアレクシオス1世がアンティオキアに来ることなく引き返したことも理由に

「十字軍を見捨てた皇帝に忠誠なんて誓ってられるか」

と以前の誓いを反故にしようとします。

 

これに対してアデマール司教レーモンはかなり反発。ボエモンがここに留まれば、イェルサレムへ行くのが更に困難になることは目に見えており、今後どうするか揉めはじめます。

結局、次の行動が決めきれずに暫く留まることに。この間、まとめ役の一人アデマール司教がチフスと思われる病で死去対立する諸侯のまとめ役だったアデマール司教の死は十字軍に大きな影響を与え、イェルサレムへの道を更に遠ざけました。

ムスリムと敵対していた十字軍は食糧提供もしてもらえず、飢餓が広がりはじめます。諸侯を置いて「イェルサレムへ向かう」と言い出す者も現れはじめ、兵が叛乱を起こしかねない雰囲気に...

この事態にレーモンボエモンの主張を受け入れざるを得ず、殺気立った兵士たちを連れてイェルサレムへ向かうこととなったのです。

 

 

※次回からは通常通り週一回、水曜日更新に戻りますのでご了承ください。

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歴ブロ
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