三宗教の共通点と違いとは?<ユダヤ教/キリスト教/イスラーム教>
動画のまとめです。
ここでは三宗教の共通点と違いを簡単に表にまとめつつ、当時の時代背景と共に解説していくことにします。
ユダヤ教の成立(紀元前13世紀頃)
ユダヤ教の場合は「この人が作った」と明確に言えるような人物は存在しません。始まった時期も曖昧で、原型が紀元前13世紀頃と言われているようです。
ユダヤ教の聖典ヘブライ語聖書(キリスト教で言う旧約聖書)では、大洪水の生き残りノアの子孫で預言者のアブラハムの登場で話が一気に進みます。
アブラハムが神からカナンの地へ向かえば「子孫たちに土地を与えるよ」との言葉を授けられ、親戚たちとウルの地から地中海西岸のカナンの地に向かいます。
※この子孫に当たるのがユダヤ人とアラブ人。現代の問題にまで繋がっています。
カナンの地では「川の向こう側から来た者」の意味でヘブライ人と呼ばれるようになりました。
ここで飢饉に見舞われたため、アブラハムは一旦エジプトに。美人な奥さんがいた為、エジプト王にアブラハムが王に殺害されるかもと危惧し妻を「妹」と伝えてやり過ごしますが、エジプトの王が妻としてしまいます。
それに怒った神がエジプト王家やエジプトを災害で懲らしめると、王は「アブラハム側には神が付いている」と考え、所有物を奪うことなくアブラハムらをカナンの地へ戻したのでした。
- アブラハムとエルサレムの関係とは?
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アブラハムたちがカナンへ戻った後、元々不妊だと思っていた妻が彼女のエジプト人奴隷を夫の妾とさせ、アブラハムは彼女との間にイシュマエルという息子を授かっていました。そのイシュマエルの生まれた後に、高齢で子を諦めていた妻との間にも念願の息子イサクが誕生しています。
ただ、イシュマエルは増長して本当の妻を軽視。イサクをからかっているところを見た妻が奴隷とイシュマエルを追い出したそう。このイシュマエルの子孫がアラブ人となったとか(なので、イスラーム教ではイシュマエルを結構肯定的な目で見ています)。
そんな妻との間にようやくできたイサクを、アブラハムは神に対して自らの信仰心を示すために捧げようとします。いわゆる「イサクの燔祭」です。天使が息子を捧げようとするのを止める描写があったりします。
このアブラハムがイサクを神に捧げようとした場所がモリヤの山。エルサレム旧市街にある神殿の丘がそのモリヤの山で、のちのヘブライ王国のソロモン王がエルサレム神殿を建てた場所でもあります。
カナンの地に建てられたヘブライ王国の首都で神殿が建てられたからというだけでなく、預言者との絡みも含めてエルサレムは大切な土地だったようです。
ところが、アブラハムの孫の代でまたしても飢饉などでカナンの地にはいられなくなり、エジプトへ。彼らと彼らの子孫たちはエジプトで奴隷にされてしまいます。
その苦しみの声に応えたのが、奴隷を助けるよう神からお告げを受けていたモーセ。奴隷たちと共にエジプトからの脱出を図りました。これを出エジプトと呼びます。
エジプトから追っ手がきたりと大変な目に遭いながらも、モーセの海割りなどでピンチを脱しシナイ山に到着。ここで再び神からのお告げを授かります。この時受けたのが十戒です。
※十戒については下の記事に書かれてあります。
神によって記された石板を与えられ、神とイスラエル人たちは十戒を守るよう契約を結びヤハウェの民となりました。が、同時に「神に選ばれた」として選民思想を強めることに。なお、この出エジプトの後にアブラハムが言われた「子孫たちへ土地を与える」という約束が果たされるとされたのです。
石の板(wikipedia)より
結局モーセは脱出途中で亡くなり、弟子のヨシュアが後継者としてカナンへ到着。
イスラエル人達はカナンの地へ戻った後も緩い連合体として生活を営んでいたのですが、前12世紀頃に海の民族の一派ペリシテ人が侵入します。カナンの地は彼らに支配され、その地はペリシテ人の名からパレスチナと呼ばれるようになりました。
彼らを追い返すために一致団結。リーダー核の人物が王となり、ヤハウェ信仰を行う国家ヘブライ王国が出来上がります。が、後々、北方のイスラエル王国と南方のユダ王国に分裂したのでした。
両国ともに他国に滅ぼされるのですが、中でもユダ王国を滅ぼした新バビロニアには捕虜としてイスラエル人が連れて行かれてしまいます。これがバビロン捕囚です。この頃からイスラエル人達は「ユダ王国の移民」の意味からユダヤ人と呼ばれるようになっています。
何度も続く困難に救世主メシアの存在を求めるようになる一方で、自分たちが苦労するのは信仰心が足りないからだとして、戒律を重視する姿勢をとるようになりました(律法主義)。現在のような形のユダヤ教の誕生です。
終末思想と呼ばれる「いつかこの世が終わる」という考え方もユダヤ教は持っているのですが、この時にメシアが登場するとも言われています。結局、最後は旧約聖書でメシアが登場することなく締めくくられました。
そんなユダヤ教徒の中から出てきたのがイエス=キリストです。
キリスト教の誕生(紀元後1世紀)
キリスト教を誕生させるきっかけとなったイエス=キリスト。キリストとはギリシア語でいうメシアを意味します。
ユダヤ教徒のイエスは大工の父ヨセフと母マリアの子としてベツレヘムという地で誕生しました。イエスはヘブライ語でいうとヨシュアです。
イエスは2人が結婚を控えた時に妊娠。聖霊によって子を宿したなんて逸話があります。精霊と言えばヨハネによる洗礼の際にも出てきているため、キリスト教では精霊も信仰対象にされています。ユダヤ教徒大きく違う部分です。
そんなイエスですが、ユダヤ教の厳しい戒律に疑問を持っていました。貧困に悩む層のユダヤ人は安息日に労働をしなくてはならず、食べ物にも事欠くため禁止されている食べ物を口にしないとやっていけません。
ユダヤ教の場合は指導者たちが律法主義の徹底を訴えていたため、戒律を守れない弱者たちは切り捨てられるような形になってしまいます。そこでイエスは行き過ぎた律法主義を批判したのです。
更にイエスは数々の奇跡も起こしたそうで、十二人の高弟をはじめ何人もの弟子がイエスについて行きました。ところが、戒律重視の批判を受けたユダヤ教の指導者たちはイエスのことを認められるわけがありません。
イエスは
戒律を遵守できない者を罰するような方ではなく、愛を与える存在だ
『図解 比べてわかる!世界を動かす3宗教』より引用
このような教えや、弱者を救う教えを広げていきました。
イエスの生まれた当時のパレスチナはローマ帝国の支配下にあり、ユダヤ人たちの国も属州となっていたため、ユダヤ属州総督ピラトに対して「イエスがローマに反逆を企てている」と密告。さらに弟子の一人のユダがイエスの引き渡しを行うとエルサレムで十字架刑に課せられることになったのでした。
一度は死亡が確認されたイエスでしたが、その3日後には安置していた場所から遺体が亡くなり、大勢の信徒の前に現れ40日間共に過ごすと、その後昇天するという奇跡を起こしました。これにより新たな信仰が生まれていきます。
元はユダヤ教の一派でしたが、その復活を目にした弟子たちがイエスの教えを説いて回りました。元ユダヤ教徒の中からも熱心なキリスト教徒が生まれています。パウロと呼ばれる人物でイエスを迫害していた側でしたが、奇跡を目の当たりにしてからは考えが大きく変わりました。
「イエスがメシアであり、全人類の原罪を償うために十字架刑に処されたのだ」「イエス=キリストを信じることが救いに繋がる」という教えでヨーロッパ各地に布教活動を行い、「信仰、希望、愛」を伝えていったのです。
選民思想から弾圧されることの多かったユダヤ教の一分派と捉えられていたため、キリスト教もローマ帝国からは何度も弾圧されています。
が、やがて時が経つと国も無視できなくなり、コンスタンティヌス帝(全ローマ皇帝在位:324年9月19日 – 337年5月22日)の時に皇帝本人がキリスト教に改宗、国教化しました。
これにより、状況は大きく変わります。キリスト教はますます勢力を広げていったのです。
イスラーム教(610年)
最後の預言者とされるムハンマドによって作られたのがイスラーム教。40歳で瞑想をしている時に天使と出会い、神アッラーからの啓示を授かったのがキッカケで誕生した一神教の宗教です。
ムハンマドもまた様々な奇跡を体験し、自らが「神の言葉を伝える最後の預言者」だと自覚するに至りました。その奇跡の中にエルサレムでの経験も含まれるため、聖地として大切にされています。
そんなイスラーム教が広がったのには広がりやすくなるだけの土壌がありました。それが当時の中東情勢と大きく関連しています。この頃の中東では、ビザンツ帝国とササン朝がにらみ合っていたのです。
両者の抗争地がちょうど商人の行き交う場所で、元々活発に行われていた商業活動がなかなか上手くできなくなりました。そこで商人たちは抗争地を避け、アラビア半島経由で商売を始めます。
最初に啓示を受けて布教活動をしたのが、その商人の通り道にあって経済的に豊かになっていたムハンマドの生まれた地メッカでした。豊かになったとは言え全員が恩恵に授かれるわけではなく、貧富の差が大きくなっていたため宗教が広まりやすい状況にあったと言えます。
同時に、イスラーム教には(キリスト教の教えにもありますが)貧富や民族関係なく「神の前ではみな平等」という大前提の考え方があったため、貧富の差が大きい中でイスラーム教の教えは人々の心に深く入り込みました。
一方で、恵まれた豊かな人々は自分たちを陥れるためだと危険視。ムハンマドを迫害し、命の危険性も感じたムハンマドは少数の信者と共にメディナ(ヤスリブ)に移住したのでした。この移住をヒジュラ(聖遷)と言います(このメッカとメディナもまた、エルサレムと同様に聖地とされている)。
このムハンマドの授かった言葉をムハンマドの死後にまとめたものがコーランです。
コーランは114の章からなり、
- 信仰生活
- 政治
- 社会
- 文化
と多岐に渡る活動においてイスラームの教えが含まれています。
その信仰と行為を簡潔にまとめたものが六信五行です。
- 神
- 天使
- コーラン+各種啓典(旧約/新約聖書)
- モーセ・イエス・ムハンマドなどの預言者たち
- 来世
- 神の予定
なお、各種啓典については信じるものとして挙げられていますが「時間が経ってから自分達の都合の良い形で聖典をまとめているので新たに啓示を与えられた」ためにコーランが出来たという形のため、ユダヤ教やキリスト教の聖典は一部を信仰するにとどまっています。
- 信仰告白
- 礼拝
- 喜捨
- 断食
- メッカ巡礼
※その後のイスラーム世界の成立は下の記事に書いてあります。
こうして成立した三兄弟の宗教でしたが、各宗教もそれぞれ発展し様々な宗派が誕生することとなったのです。