昭和恐慌の前に起こった日本の金融恐慌をわかりやすく
恐慌と言えば、世界恐慌と日本での昭和恐慌が知られていますが、その直前に日本では金融恐慌と呼ばれる事が起きました。一般的に金融恐慌とは、銀行などの金融業界を中心に起こる恐慌の事で、日本史では1927年(昭和2)に起きた昭和金融恐慌の事を指します。
歴史では昭和金融恐慌⇒世界恐慌⇒昭和恐慌と言う流れて不況が訪れました。
近年で起きた金融恐慌で起こった不況と言えば…
- 1991年 バブル崩壊
- 1997年 アジア通貨危機
- 2006年 ライブドアショック
- 2008年 リーマンショック
- 2020年 コロナショック
これらは平成・令和に起こった不況ですが、今回は昭和初めに起きた金融不況について紹介していきたいと思います。
金融市場の暴落・急落が起きる基本原理
今回は少し経済的な話が多いですが、経済の基本原理を箇条書きにするとこのようになります。ポイントを頭に入れておくと今回の記事がわかりやすいと思います。
- 企業の売り上げが上がる
- 好景気
- 投資で儲けようと資産を購入する人が増える
- 儲かると気持ちがでかくなりやりすぎる
- 値段が高くね?と考えだす
- 売る人が増える
- 損して悲壮感があふれる
- 資産価値が下がるので資産を売却する人が増える
- 暴落する
- 投資が減る
- 不景気
- 企業の売り上げが減る
このサイクルは、食料品・車・株や債券、不動産のどれをとっても同様に当てはまります。
1990年代後半のバブル景気の時なんかはわかりやすいほど当てはまっていますよね??
この事から、経済の基本は買う人が増えれば価格が上がり、売る人が増えれば価格が下がるのです。このサイクルの中で急騰・暴騰・急落・暴落が起こります。
この基本的な原理を抑えつつ、昭和金融恐慌について見て行きましょう。
昭和金融恐慌
【昭和金融恐慌までの流れ】
世界的に物資不足に
輸出が好調で戦後の好景気に
海運業を始め企業の業績が上昇し投資熱が過熱
過熱感が見え始め売りに転じる
歴史を見ると恐慌の前は必ず好景気になっています。
この日本の好景気は、1914年~1918年の第一次世界大戦によってもたらされました。
世界各国は大きな戦争の為に物不足に陥ったので、日本には物を輸出する生産が活発化し、日本に戦後の好景気がもたらされました。こうした好景気には主な5つの理由がりました。
- 輸出の激増
- 海運業の盛況
- 内需産業の活発化
- 企業規模の拡大
- 正貨保有高の激増
世界中が物不足で日本からの輸出が激増した結果、日本は好景気となりました。
日本の企業が世界に物を供給するために活発化されました。特に、輸出に直結した海運業が儲かり、それに付随する企業が儲かることができ、正貨も増えていきました。
好景気が訪れれば【儲けられるだけ儲けてやろう】と言う人が多くなるのが世の常です。こうなると人間と言うのは気持ちをコントロールできずに緩慢になり、ドンドン投資金額も増えていきます。
この極めつけが、銀行の放漫な貸し出しです。
第一次世界大戦中にため込んだ豊富な預金がもとになり、銀行のイケイケ貸し出しが増え投機熱が増えていきました。
1920年3月の急落・暴落
こうした投機熱は、1920年前半には過熱感が見えて「これは行き過ぎではないか??」と言う心理が芽生え始めました。
こういった考えが増えると、次第に市場は買いから売りに転嫁するようになります。
こうした悲壮感から1920年3月には、急落・暴落が始まりました。
この急落によって第一次世界大戦の好景気は一気に飛んでしまったのです。しかし、これだけでは終わらず昭和金融恐慌に突入します。
国民に広がる信用不安
好景気からの暴落により企業成績が悪化し、倒産が相次ぎました。
それに伴い、銀行が貸したお金も焦げ付き、銀行も破綻につながる連鎖反応が起こります。国民は銀行にお金を預けており、そのお金を元に銀行がお金を貸して利ザヤを得ています。その銀行が破綻するとなると、銀行に預けている私たちはお金が返ってこなくなるのではないかと不安心理【信用不安】が芽生えてきます。
この信用不安が一気に全国に広まっていったのです。
政府や日銀は、暴落を好景気による反動と考えながらも、救済措置として融資を行い暴落からの中間景気が訪れました。この時、暴落により経営困難な企業は整理されるべきだったのですが、政府や日銀の救済措置のおかげでゾンビ企業として生き残ってしまいました。
こうしたゾンビ企業が後の昭和金融恐慌を起こすきっかけとなるのです。
関東大震災と政府の救済措置
さらに追い打ちをかけるように、関東を中心とした大地震が起こり日本は甚大な被害を受けてしまいます。
これを受けて政府は、3つの救済措置を行います。
- 震災手形割引損失補償令
- 輸入品の増加
- 復興のための公債発行
①の災害手形割引損失補償令は、流通できない手形や流通不可な手形に対し、日銀が再割引する事によって流動化させる目的で出した政策で、②は地震の発生によって生活必需品が不足し外国からの輸入品を増やして対応しています。
こうした政策により日本の為替は円高になりました。
さらに、これらの政策を経営に生き詰まり倒産寸前まで追い込まれた企業や銀行が震災対策の救済措置を悪用。ゾンビ企業の更なる延命に一役買ってしまいます。こうした政策が財界のガンになり、1927年の昭和金融恐慌に発展したのです。
昭和金融恐慌始まり
更なる不況に…
震災により被害を受けた企業の救済措置
当初は返済も順調だったが…
大蔵大臣の失言がキッカケで起こった騒動
日銀による震災手形割引損失補償令は、昭和金融恐慌の原因となります。
当初は返済が順調に進んでいたようですが、期限を超えても完済できませんでした。そこで日銀は、さらに1年延長する事を決定しました。
しかし、延長後の1926年12月末になっても震災手形の完済が出来ず日本銀行は困難を極めました。なぜ、期限までに完済できなかったのでしょうか??
それは、財界に人脈がある企業の決済困難な悪質な手形の滞留でした。
好景気が終わった1920年が引き金となり、経営が生き詰まった企業が強硬な手段でも生き残るために返済不可になった手形をこの震災手形に充てたことによって滞留していました。
銀行の取付騒ぎ
返済不能となっていた震災手形があると言う噂が広まり、世の中が不安になっていたようで、そんな状況で大蔵大臣・片岡直温が、まだ休業に至っていない銀行を休業したと誤って報じた結果、取付騒ぎが始まりました。
取り付け騒ぎとは特定の 金融機関 や金融制度に対する 信用不安 などから、預金者が 預金 ・貯金 ・掛け金等を取り戻そうとして(=取り付け)、急激に金融機関の店頭に殺到し、混乱をきたす現象の事です。
片岡大臣失言が導火線となり、二流・三流銀行が取り付け騒ぎとなりましたが、局所的なパ人区で収まりひどい金融恐慌にはつながりませんでした。しかし、台湾の中央銀行を担っていた台湾銀行が1927年4月18日に休業しました。
相次ぐ銀行の休業により、一般人の不安が爆発します。いち早く自分のお金を引っ張り出そうと民衆たちは、銀行へ走り出しました。この結果、全国的な信用パニックになり昭和金融恐慌が始まります。
昭和金融恐慌の対応
各銀行への取り付き騒ぎが発端で昭和金融恐慌が起こりましたが、当時の日本はどのようにしてこの金融恐慌から脱出したのでしょうか??
政府と日銀は以下の政策でこの苦境を乗り切りました。
- モノトリアム
恐慌などの時に起こる金融の混乱を抑えるために、手形決済や預金の払い戻しを一時的に停止させる - 日銀特別融通
- 台湾銀行の特別融資
まずは政府と日銀は、パニックをなだめるために3週間を使い手形決済や預金の払い戻しを停止させ、人々の心理状態を落ち着かせていきます。
その間、取りつき騒ぎに合っている銀行の救済措置として日銀特別融通を行いました。銀行が一斉に取り付き騒ぎに対応できないときの為に無担保貸し出しを行いました。
日銀特別融通とは、政府からの要請により日本銀行が資金不足に陥った金融機関への無担保・無制限に行う融資の事です。
今回の金融恐慌の原因は中央銀行として機能していた台湾銀行。全体の震災手形のうち約25%も占めておりそのほとんどが返済不可能手形でした。そんな休業中の台湾銀行に対して、政府と日本銀行は特別融通を行います。
当時の台湾は、日本の支配地域です。
昭和金融恐慌の原因
こうした金融恐慌の原因は、第一次世界大戦後の好景気からの銀行からの貸し出しの放漫が挙げられます。好景気がこのまま続くだろうと言う慢心がこうした危機を生んでしまったのです。
しかし、そんな良い状態はいつまでも続くはずがありません。
その結果、経済の先行きが不透明となった時に銀行が大きく揺らぎ、関東大震災による震災手形によってゾンビ企業が延命されていくのでした。
昭和金融恐慌とその後
普通銀行預金貸出金図
【百万円】 | 預金 | 貸し出し | 預貸率 |
1927年 2月 | 8,949 | 9,284 | 103.7% |
3月 | 8,865 | 9,232 | 104.1% |
4月 | 8,272 | 9,110 | 110.1% |
5月 | 8,524 | 8,681 | 101.8% |
6月 | 8,810 | 8,583 | 97.4% |
12月 | 8,906 | 8,123 | 91.2% |
1928年 6月 | 9,092 | 7,742 | 85.2% |
12月 | 9,216 | 7,555 | 82.0% |
1929年 12月 | 9,212 | 7,313 | 79.4% |
昭和金融恐慌は、国民の信用不安から銀行への取次騒ぎからの銀行の破綻につながる金融ショックです。
金融恐慌が起こってから1927年3月から4月にかけて銀行への預金が大きく低下しています。その後の政府と日銀のモラトリアムによって5月以降の預金は回復しました。
その反面、銀行からの貸出金は昭和金融強以降も低下しています。
この資金需要の低下は、金融恐慌以前から見られていた事から、日本の経済不振が金融恐慌前から始まっていました。
第一次世界大戦中から支えてきた設備投資が、生産効果を発揮しておらず投資した資産の価値低下を起こしていました。このような状況では、投資資金を増やす必要もなくなるために企業がお金を借りようとしません。
銀行の貸出低下はお金を借りたい相手が少なくなっている証拠。そのため、銀行は人々にお金を貸すために金利を下げなければいけません。その結果、昭和金融恐慌後の金利は2021年と同様な低金利時代だったようです。
ここからが不況の始まりで昭和恐慌に繋がっていくことになります。
稼げない銀行は整理され、大銀行の地位は向上し、大都市圏に資金が集中します。現代では、稼げない銀行は統廃合を繰り返し整理されていますね。
この騒ぎ以降、国民は小さな銀行へお金を預けると危ないと考え、財閥系などの大銀行に対して預金をするようになりました。そのため、五大銀行【三井・三菱・住友・安田・第一】に預金が集中するようになり、財閥の力がさらに強大化する要因となりました。
現在ではその五大大銀行も統廃合を繰り返してメガバンクとなっていますね。